普通に、自然に#1
清水宗介、24歳、声優…生計を立てる意味ではモデル。
声優になりたい。
そう口にするのは、いつからこんなに苦しくなったんだろう。
養成所に入った頃は簡単だった。
声優になりたいです。
いつか名前のある役をやりたいです。
聞かれれば、迷わず答えられた。
24歳になった今、同じ質問をされると、一瞬だけ言葉に詰まる。
道路を挟んだ向こうのジムには、自分がモデルを務めた広告が大きく貼られている。私が立っている収録ブースでは名前すらない。
「清水くん、そこ、もうちょっと普通にできる?」
「はい」
「作りすぎなんだよね。もっと自然に」
「分かりました」
分かりました、けれど、分かっていない。
普通って何だ。自然って何だ。
台本には《驚く》としか書いていない。
俺なりに、その人物がどう驚くのか考え、息を吸うタイミングも、声をひっくり返す場所も考えた。
やれば、言われる。
違う。
もっと普通に、もっと自然に。
以前別の事務所の先輩に言われたことがある。
「自分がどうしたいのかもいいけど、意図を理解しないとね」
もっと普通に、もっと自然にしか言わないのに、どう意図を理解するんだ。
「はい、じゃあ次、ガヤお願いします」
「はい」
今日の俺の役名はない。
通行人でもない。男Aですらない。ざわざわしている人々の一部。
画面の向こうでは、名前のある役たちが物語を進めている。
俺はその後ろで笑ったり、驚いたり、騒いだりする。
収録が終われば、事務所から次の仕事の連絡が入っていた。
教材用のナレーション。発音は明瞭に、感情は抑えて。
仕事をもらえるだけありがたい。分かっている。分かっているから、余計につらい。
声優の現場では、俺はずっと直されている。
なのに…
「清水さん、もう一回だけお願いします! 今のすごくいいです」
「はい」
「そう、それです! 目線そのまま。顎ほんの少しだけ下げてください」
モデルの現場では、褒められる。
専門学校出て、事務所から「声の仕事だけじゃ食えないから」と紹介されたのが最初だった。
やってみたら、妙に受けた。
「ダークホースだね」
編集の人から満足げに笑われたことがある。
恵まれた体格に加えて、声の表現のために鍛えていた身体は服が映える。
発音、抑揚のために鍛えた顔の筋肉で表情が生きている。
カメラの前で変に力まない。
俺も、彼らが求めているものが手に取るようにわかる気がした。
男性誌もファッション誌も、広告も、妙に仕事が続いた。
声優として売れるために入った事務所なのに、営業から来る電話はモデル案件のほうが多い。
飯を食える、家賃を払える。
ありがたい。
なのに、そのたびに胸の奥が少しずつ削れる。
俺は、何をしているんだろう。
*
「宗介くん、成瀬くん、スタンディングテーブルをお願い!」
「了解!」
声を張って、葉山理恵の言葉に答えた。
専門学校から働いているミールファームのコンサートホールで働いている。
辞める理由もないまま続けていたら、いつの間にか俺も古株に近い側になっていた。
モデルの仕事が入れば、声優の収録、練習がが入れば休む。
それでもシフトに入れば、親しいメンバーがいて、客がいて、忙しい時間が過ぎていく。
ここでは誰も、もっと普通に、自然になんて言わない。
分かりやすい。
だから、少し楽だった。
「成瀬、そっち終わった?」
「もう終わってます」
「早いね」
「見てますから、普通ですよ」
俺は思わず笑った。
成瀬玄。大学1年、まだ入ってそんなに経っていないはずなのに、妙に仕事ができる。
誰かが困っていれば先に気づくし、店全体を見て立ち回れる。何か頼もうとした時には、だいたい終わっている。
「成瀬、お前はここ就職したいの?」
成瀬が一瞬だけ俺を見る。
「何でですか」
「いや。なんか、やたら仕事できるから」
「就職はしないですよ」
「じゃあ何でそんな真面目なんだよ」
「学生らしいバイトがしたかったので」
「学生らしい?」
トレーを片手に、成瀬は当たり前みたいに言った。
「飲食店でバイトするとか、学生のうちしかできないじゃないですか」
「げんちゃん、また生意気言ってんの?」
強い言葉が俺と成瀬の間に入る。
河野詩織。成瀬の一つ上で、最初は教育係だったはずなのに、今は顔を合わせるたびに殴るか言い合うかしている。モデルの現場でもたまに会う。高校から読モをやっていて、そっちでも評判はいい。
才能、努力、自分の目標が上手く混ざり合った理想形の生活をしている。
うらやましい子だ。
少なくとも、俺にはそう見えた。
「普通ですよ」
「可愛くないな。あ、理恵さんが3人で先に休憩入れって」
遠くにいる葉山理恵を一度見てから、バックヤードに入る。成瀬はスタッフ用のコーヒーを入れ、詩織は紅茶を入れてから、俺に一つ渡してきた。それからニヤリとして聞く。
「で、モデル専業になるの、いつからですか?」
「……ならないよ」
「え?」
「俺、声優志望だし」
河野の目が丸くなる。
「声優?アニメとかの?」
「そう。今は教材とかのナレーションが多いけどね」
「へえ」
本当に知らなかったらしい。
「面白いですか?」
この直球な質問が、成瀬と河野から同時に来る。2人少し睨みあう。
「厳しいね」
「へえ」
「うまくいってないんですか?」
幸い反応はそれぞれ違うが、成瀬の質問は苦い。
「うまくいってないっていうか……もっと普通にやれとか。自然にやれとか。そればっか言われる」
「普通と自然」
成瀬が復唱した。
「曖昧ですね」
成瀬の回答に隣の河野は笑い始めた。
「ははっ!お前格好つけてそれ?!」
「格好つけてない、的外れなことも言ってない」
「まあ、それはそうだね。確かい曖昧」
2人して俺を見てくる。妙に意見が合う。
「そんなの、人によって違うでしょう」
あまりに簡単に言う成瀬に、俺は一瞬黙った。
「……そうだな」
「何が普通か説明してくれないんですか」
「される時もあるよ。でも、やってみると違うって」
河野はつまらない話になったと顔で表現している。成瀬も俺も黙り込むと河野が口を開いた。
「清水さん、モデルめっちゃ評判いいじゃないですか」
「そう?」
「そうですよ。スタッフさんも清水さん使いやすいって言ってましたよ」
「使いやすいって」
「褒め言葉ですよ」
河野は笑う。
自身がある顔だ。
「だから、あたしにも仕事分けてくださいよ」
「…強欲」
成瀬の一言で、河野に彼の腕を叩いた。2人の小競り合いが少し微笑ましい。
「できればね」
「マジでお願いします。あたし、もっとやりたいんで」
「今でも結構やってるじゃん」
「もっとやりたいです」
迷いがない。
「モデル好きなの?」
「好きですよ」
即答だった。
「服好きだし、写真も好きだし。自分が出たやつで服買ったって言ってもらえると嬉しいし」
「そっか」
「清水さんは?」
「え?」
「モデル」
少し考えてしまった。
「嫌いじゃないよ」
「じゃ、いいじゃないですか」
「まあね」
「清水さん、詩織と違って単純じゃないから」
「うるさい」
河野は当然のように成瀬の腕をまた叩いた。
2人のじゃれあいはいつもの事だった。
できることは当たり前にやる成瀬、好きなことなら、もっとやりたいと迷わず言える河野。
それに比べ俺は、できることには後ろめたさが、やりたいことには迷いがある。
だから、二人の様子がいつもの帰りの電車でも少し頭に浮かんだ。
*
『宗介くん、今日来る?』
また現場で怒られてからの帰り道、理恵からメッセージが来た。
『行く』
俺も短く返した。
葉山理恵、ミールファームの同期、同い年。
バレリーナで、ダンサー。
昔から姉御肌で、誰かが揉めれば間に入るし、後輩が困れば助ける。
俺が愚痴れば聞いてくれる。
俺も彼女が舞台でうまくいかなければ話を聞く。
同じように夢を追っている。
同じように、夢だけでは飯が食えない。
ミールファームの大きな飲み会があったとき、俺は飲みすぎたし、葉山も飲んでいた。
気づけば二人で抜けていた。
持ち帰られた、という表現が一番正しいと思う。
あの夜以降、俺たちは何度か同じことをした。
恋人ではない。
好きかと聞かれれば、好きだ。
でも付き合ってはいない。
葉山もそういう話をしない、俺もしない。
身体を重ねて、終わったあとに仕事の愚痴を言う。
変な関係だった。
だけど、楽だった。
葉山の家へ向かう途中、スーパーへ寄った。
手ぶらもなんだと思い、適当に惣菜を買う。
唐揚げ、ポテトサラダ、サンドイッチ、プリン、缶ビール。
「よし」
それなりに気が利いている気がした。
理恵の家に着く。
「お邪魔します」
「どうぞ」
理恵は部屋着で、髪をまとめている。
俺が袋を持ち上げる。
「飯買ってきた」
「珍しい、何買ってきたの?」
「色々」
テーブルに並べる。
理恵は呆れた顔になった。
「……何?」
「宗介くん」
「はい」
「いま私、これ食べられないものばっか買ってきたね」
理恵が唐揚げを指す。
「揚げ物」
ポテトサラダ。
「マヨ多い」
サンドイッチ。
「これも結構重い」
プリン。
「論外」
「あ」
「舞台前なんだけど」
「ああ……」
思い出した。
来週、本番があると言っていた。
身体を絞っているとも言っていた。
「ごめん」
「いいよ」
理恵はぎこちなく笑った
「宗介くんが食べれば」
「いや、何か別の買ってくる」
「別にいいって」
「いや」
「ほんといいから」
理恵は冷蔵庫を開け、野菜と鶏肉を取り出す。
「私はこれ食べる」
「作るよ」
「宗介くん料理できないじゃん」
「焼くくらいできる」
「焦がすじゃん」
「一回だけだろ」
「三回見た」
「数えてたのかよ」
理恵が笑う。俺も笑った。
けれど、少し経ってから、彼女が包丁を動かしながら言った。
「宗介くんって優しいんだけどさ」
「ん?」
「相手の立場に立つの、下手だよね」
包丁がまな板を叩く音がする。
「……急に何」
「いや。これ」
買ってきた惣菜を顎で示される。
「買っていってあげよう、までは考えるのに、私が今何食べられるかまでは考えない」
「それは……悪かったよ」
「怒ってないよ」
「じゃあ何」
「そういうとこあるなと思って」
理恵は淡々としていた。
「優しいよ。宗介くん」
「褒められてる気がしない」
「褒めてる」
「後半が余計なんだよ」
「でも本当じゃん」
彼女は切った野菜を皿に移す。
「自分がしてあげたいことはいっぱいある。でも、相手が何してほしいか見るのは苦手」
「……」
「だから女の子にも勘違いされるんじゃない?」
「今その話する?」
「する」
「俺、理恵には結構ちゃんとしてると思うけど」
彼女が手を止めて、俺を見る。
「そう?」
「そうだろ」
「じゃあ私が最近何でしんどいか分かる?」
言葉に詰まった。
舞台。
体重。
稽古。
足。
何か言っていた。
俺は知っている、知っているはずなのに。
どれが一番なのか分からない。
「……舞台?」
「ほら」
「いや、舞台前なのは知ってる」
「そうじゃなくて」
理恵は笑った。責める笑いではなかった。
それが余計につらかった。
「別に宗介くんに支えてほしいとは思ってないよ」
「……」
「私も宗介くん支えられてるか分かんないし」
また包丁の音がする。
「だから今の関係でいいんじゃない?」
「そうだな」
「うん」
俺たちは理解者だと思っていた。
同じ立場。
夢がある。
現実もある。
うまくいかない日もある。
その気持ちは分かる。
でも。
俺は彼女を支えていない。
そのことに初めて気づいた。
*
食事のあと、理恵のベッドに並んで横になった。
こういう時、いつもならもう少し身体を寄せる。
今日は何となく、天井を見ていた。
「ねえ」
「ん?」
「今日静かだね」
「そう?」
「うん」
「……考えてる」
「珍しい」
「失礼だな」
彼女が笑う。
「何考えてるの」
「今日言われたこと」
「そんな刺さった?」
「刺さった」
「ごめん」
「いや」
俺は首を振った。
「同じようなこと、声優の現場でも言われたことあるから」
「何て?」
「自分がどうしたいのかはいいけど、その前に相手の意図を理解しろって」
「ああ」
「その時は、意味分かんなかったんだよ」
葉山がこっちを見る。
「今は?」
「……ちょっと分かる気がする」
俺は自分の手を見る。
声優の現場で俺はずっと、
どう演じれば評価されるか。
どうすれば正解になるか。
そればかり考えていた。
演出する側が何を欲しがっているのか。
その場面で相手役が何をしているのか。
その人物が誰に向かって言葉を出しているのか。
自分以外のものを見ること。
「難しいな」
俺が言うと、理恵が笑った。
「何が?」
「相手の立場に立つって」
「難しいよ」
「理恵は、できるじゃん」
「できないよ」
「できてる」
「できてたら、もっとバレエ上手い」
「関係ある?」
「あるよ」
彼女は天井を見る。
「一人で踊ってるように見えても、音とか、舞台とか、相手とか、観客とか、いっぱいあるから」
「……なるほど」
「宗介くんも私も、人が作るものの上で踊るからさ、難しくてもやらないと」
この間の成瀬を思い出した。
『普通と自然なんて、人によって違うでしょう』
河野も思い出す。
『モデル、もっとやりたいです』
葉山の言葉も。
『相手の立場に立つの、下手だよね』
全部が妙につながった気がした。
俺は声優になりたい。
なのに声優として評価されない。
モデルとして評価される。
それがずっと苦しかった。
自分がなりたい何者にもなれていない。
そう思っていた。
でも、もしかすると。
俺は「なりたい自分」ばかり見すぎているのかもしれない。
声優として認められたい俺。
モデルにはなりたくない俺。
葉山に優しくしているつもりの俺。
全部、俺から見た俺だ。
相手から見た俺は、違う。
モデルの現場から見れば、使いやすくて結果を出すモデル。
声優の現場から見れば、考えてはいるけれど、演出意図を掴みきれない若手。
葉山から見れば、優しいけれど相手を見るのが下手な男。
じゃあ。
声優になるには。
俺が俺を見るだけじゃ、駄目なのかもしれない。
「理恵」
「ん?」
「ありがと」
「何が?」
「分かんない」
「何それ」
彼女が笑う。
「宗介くん、やっぱ変」
「うるさい」
少しだけ身体を寄せると、理恵が俺の肩に頭を乗せた。
恋人じゃない。
たぶん、まだ。
俺はこの人が何を欲しいのか、ちゃんと分かっていない。
でも今日は、聞いてみようと思った。
「理恵」
「んー?」
「今、何かしてほしい?」
葉山が顔を上げて少し驚いたように俺を見る。
それから笑った。
「今日はね」
「うん」
「何もしなくていい。ここにいて」
「分かった」
だから、何もしなかった。
ただ隣にいた。
普通に、自然に。
あまりわかってはいないけど。




