ここが、二人の場所
中村朔也、26歳、メーカーの営業職。
ありきたり苗字に、少しだけ珍しい名前。人生も、まあそんな感じだと思う。
大手勤めとはいえ、商社や証券ほど派手でもない。個人の成績は悪くない。会社でもちゃんと頑張っているつもりだし、後輩とも上司とも、それなりにうまくやっている。
普通の会社員。
それに比べて。
俺の彼女、佐伯玲子、同じく26歳。高校時代からの付き合い。
モデル、
美容師の資格、
SNSではそれなりに知られていて、
細くて、綺麗で、
服も美容も詳しくて、
昔からちょっと先生みたいなところがある人。
俺が変な服を着れば、
「それ合わせるならこっち」
と言う。
髪が伸びれば、
「そろそろ切った方がいい」
と言う。
仕事で悩んでいれば、
「それ、相手の問題まで自分の責任にしてない?」
みたいな、普通に刺さることを言ってくる。
そんな玲子の周りには、当然のようにすごい人が多い。
彼女の親友、詩織さんは結婚した。相手は成瀬さん。
一度会っただけでも分かる。
頭がいい。
仕事もできる。
変に偉そうではないけど、話しているとこっちのことをかなり見ている。
さらに。
別の親友の美緒さん。
つい最近まで彼氏なんていなかったはずなのに、成瀬さんの会社の先輩を紹介されて気づけばかなり進んでいるらしい。
その男、三枝さんも成瀬さんと同じく大手商社。
しかも事業企画部門、仕事もでき給料もいいはずだ。
「……」
俺はスマホを見る。
成瀬さんから来たメッセージ。
【三枝さん、美緒さんを半年以内に実家へ連れていくらしいです】
そして。
【早くしないと玲子さん、美緒さんに負けますよ】
冗談っぽく書いていたが、俺には完全に警告に見えた。
*
焦っていた。
もちろん、玲子が他の男に行くと思っているわけじゃない。
俺たちは長い、本当に長い。
高校生だから、簡単に数えられないくらい、色々あった。
でも。
だからこそ、俺は今何をしているんだろうと思う。
詩織さんは、もう結婚した。
美緒さんにも、急速に話が進みそうな相手が現れた。
玲子は、ただ俺とずっと一緒にいる。
俺だけ、何も進めていないような気がした。
詩織さんが結婚した少し前玲子に言われたことがある。
「詩織たち見てると、新婚ちょっと羨ましい」
その時、俺は。
「そろそろ真面目に考えるか」
と答えた。
玲子は笑っていたが、少しだけ嬉しそうだった。
だから、指輪は買った。
問題はその先だった。
*
プロポーズ、どうやるんだ?
こんなこと、当然人生で初めてだ。
ネットを見る。
『夜景の見えるレストラン』
『思い出の場所』
『旅行先』
『ホテル』
『花束と一緒に』
『サプライズ』
分からない。
詩織さんと成瀬さんは二人にとって思い出のある場所でプロポーズだったらしい。
大学時代から関わっていた場所。
それを聞いた時、すごいと思った。
ちゃんと考えてる。
その場所を選ぶ理由がある。
俺には、何がある?
玲子との思い出の場所は高校が最初に浮かんだ。
今さら高校の裏まで行ってプロポーズ?
悪くはない。いや、悪いし違う気もする。
そもそも。
俺たち。
どうやって付き合い始めたんだっけ。
*
高校一年のころ、玲子は目立っていた。
今みたいに完成された感じじゃなかったとはいえ、綺麗だった。
学校の中でも。
普通に目立っていた。
読モもやっているらしいと噂があり、男子の間での話題の的だった。
「話してみたい」
とかの、でき心のような軽いノリの話だった。
俺も話してみたいと思った。
だから声をかけた。
「玲子だよね?」
玲子は俺の顔を見て最初に言った。
「茶化すつもりなら失せて」
「……」
びっくりしたけど、嫌じゃなかった。
むしろすごく品があると思った。
周りから見られている自分を分かっていて。
媚びない。
でもただ乱暴なわけでもない。
自分を安売りしない。
それが俺には格好良く見えた。
だから、また話しかけた。
「また来た」
「うん」
「暇なの?」
「割と」
「うざ」
「知ってる」
最初は本当にうざがられていたと思う。
それでもちょっとずつ話すようになった。
好きなもの。
嫌いなもの。
学校。
家。
将来。
読モの仕事。
人に見られること。
女子同士の面倒くささ。
悩み。
そういうもの。
高校の裏側のあまり人が通らない道。
そこを二人で歩きながらよく話した。
*
二年になる少し前、玲子がちょっと学校で孤立しかけた時期があった。
大きないじめとかじゃないけど、いやな噂、陰湿な陰口。
『モデルだから調子乗ってる』
『男に媚びてる』
そんな感じの。
俺は腹が立った。
玲子は別にそんな女じゃない。
むしろ変に真面目で、人に厳しいけど、自分にも同じくらい厳しい。
だから俺は友達に言った。
「玲子、普通にいいやつだよ」
男子にも。
女子にも。
何度も。
「話したことないのに悪く言うのやめろよ」
「結構ちゃんとしてるから」
俺が何か言ったから全部変わったなんて、格好いい事は起きなかった。
少なくとも俺の周りでは変なことを言うやつは減った。
玲子は後からそれを知った。
「朔也」
「ん?」
「なんか色々言ってくれてたんでしょ」
「誰から聞いた?」
「いいじゃん」
「別に大したことしてないよ」
「……ありがとう」
あの時玲子が、本当に素直に
『ありがとう』
と言った。
すごく嬉しかった。
*
高校二年の春。
いつもの帰り道である学校の裏道を二人で歩いていた。
「玲子」
「何」
「俺さ」
「うん」
「玲子のこと好き」
普通に準備もしてない。
花もない。
場所だって、ただの学校の裏道。
玲子が止まる。
「……急だね」
「そう?」
「うん」
「でもずっと好きだった」
「ふうん」
「品がある君が好き」
何であんな言葉を選んだのか。
今でも分からない。
玲子が。
すごく変な顔をした。
「何それ」
「変?」
「変」
「ごめん」
「でも」
少し笑った。
「嬉しい」
そして。
「いいよ」
「え」
「付き合う」
「本当に?」
「何回聞くの」
あの時、めちゃくちゃ嬉しかった。
そこから二人で本当に色々やった。
初めてのデート、喧嘩、仲直り。
大学、就職、仕事。
玲子がモデルを続けるか悩んだ時。
美容の資格を取った時。
俺が仕事で失敗した時。
同棲。
何度も、別れそうになったことだってある。
でも結局一緒にいた。
「……なのに」
今俺はそんな玲子を待たせている。
その気がなかったわけじゃない。
むしろ、結婚するなら玲子だと思っている。
でも、いつ、どうやってが分からなかった。
*
少し前、家で二人でご飯を食べていた時。
俺は何気なく聞いた。
「玲子」
「何?」
「プロポーズってさ」
「うん」
「どういうのがいい?」
玲子が箸を止めた。
少し考えて。
「普通でいい」
「普通?」
「うん」
「普通って何」
「普通は普通」
「夜景?」
「別に」
「高いレストラン?」
「なくてもいい」
「旅行?」
「それも別に」
「じゃあ何」
玲子は少し笑った。
「二人でいる時に、普通に言ってくれればいい」
「……」
「変に人いるところとか嫌」
「なるほど」
「あと大げさなのも苦手」
「花束とか?」
「嫌じゃないけど、必須ではない」
「分かった」
その時は、分かったつもりだった。
でも後からもっと分からなくなった。
玲子の。
『普通』
って何だ。
品のある君が言う普通は俺の普通と同じなのか。
*
とりあえず、レストランを予約した。
ちょっと高い店。
普段二人では行かないくらい。
個室ではないけど、落ち着いていて、綺麗で、料理も評判がいい。
花束も頼もうと思ったが、店に確認すると。
『大きな花束のお預かりは難しいです』
と言われた。
「……」
じゃあ、どこで渡す?
食後の外?
夜景がある場所?
公園?
家?
「……家?」
いや、さすがに家は格好悪いだろ。
指輪はある。
言葉も大体考えた。
なのに場所だけが最後まで決まらなかった。
*
前日、玲子から言われた。
「朔也」
「ん?」
「最近、話少なくない?」
「そう?」
「そう」
「仕事かな」
「忙しい?」
「まあ」
嘘ではないが、本当でもない。
玲子にどうプロポーズするかばかり考えていた。
だから余計なことを言わないようにして。
その結果、普通の会話まで減っていた。
「何かある?」
「ないよ」
「本当に?」
「うん」
「……そ」
玲子はそれ以上聞かなかった。
その顔が少し寂しそうだった。
何やってるんだ、俺。
*
当日のレストラン。
玲子はとても綺麗だった。
「何」
「いや」
「見すぎ」
「今日綺麗だなと思って」
「今日?」
「今日も」
「遅い」
食事は楽しかった。
久しぶりにちゃんと二人で外食した。
玲子は仕事の話をして、俺も会社の話をして、美緒さんの話も少し出た。
「次、吉祥寺で4回目デートらしいよ」
「進んでるね」
「早い」
「……そうだな」
「何」
「別に」
ポケットの指輪を握った。
今?
いや、人がいる。
食後?
店の外?
帰り道?
ずっとそればかり考えていた。
*
結局、店を出るまで何も言えなかった。
「美味しかったね」
「うん」
「また来たい」
「そうだな」
気付いたらもう家の最寄り駅、家が近い。
「……」
ここまで来たら言わなきゃ。
どこかで。
道端?
マンションの前?
コンビニの横?
違う、違う。
そう思っている間に玲子が急に言った。
「今日じゃなかったの?」
俺の足が止まった。
「……何が」
「プロポーズ」
バレてた。
玲子がこっちを見る。
「違った?」
「……」
「この店予約して」
「……」
「最近変だし」
「……」
「今日かなって思ってた」
何も言えなかった。
「……そっか」
玲子が少しだけ笑った。
「違ったならいい」
その顔明らかにがっかりしていた。
最悪だ。
*
家に帰った。
二人で住んでいる家、玄関。
「ただいま」
「ただいま」
2人で靴を脱ぎリビングへ。
いつものソファ。
いつものテーブル。
洗って干してある二人分のマグカップ。
玲子が昨日置いた雑誌、俺の仕事鞄、彼女の美容関係の本。
ずっと。
二人で過ごしてきた部屋。
「……」
急に。
思った。
俺にはここしかない。
「玲子」
「何?」
「ちょっと待って」
「?」
指輪を出した。
玲子が止まった。
「……え」
俺ももう逃げない。
「今日」
「……」
「本当は」
喉が乾く。
「プロポーズするつもりだった」
玲子の目が少しずつ変わる。
「でも」
「……うん」
「どこでやればいいか分からなかった」
「……」
「店も違う気がして」
「うん」
「帰り道も違うし」
「うん」
「格好いい場所とか」
「……」
「俺には選べなかった」
自分でも……情けないと思う。
「友達のところみたいに、ちゃんと思い出の場所とか」
「……」
「そういうのも考えたけど」
高校、あの道。
でも。
今の俺たちが一番長く、一番普通に、一緒にいる場所。
結局ここしかなかった。
「私では」
一度、息を吸う。
「ここでしか、ちゃんとプロポーズできないと思った」
玲子の目から涙が落ちる。
「ここが」
俺の声が震える。
「今の俺にとって、一番の二人の場所だから」
指輪を持つ。
「玲子」
「……うん」
「結婚してください」
玲子が泣きながら。
笑った。
「……はい、お願いします」
その瞬間、本当に全部力が抜けた。
*
玲子を抱きしめた。
高校生だった玲子。
大学生。
モデル。
美容師。
仕事をする玲子。
疲れて帰ってくる玲子。
化粧もせずにソファで寝る玲子。
怒る玲子。
笑う玲子。
全部、この腕の中にいる。
「……ごめん」
「何で?」
「格好悪い」
「何が」
「こんなところで」
「……」
「玲子みたいな人に」
「何それ」
「もっとちゃんとした場所でやればよかった」
「朔也」
「うん」
玲子が、俺の肩に顔をつけたまま小さく言った。
「覚えてくれたんだ」
「何を?」
「前に聞いたでしょ」
「プロポーズ?」
「うん」
『二人でいる時に、普通に言ってくれればいい』
「私」
玲子が少し笑った。
「こういうのが良かった」
「ここ?」
「うん」
「家だよ?」
「家だから…普通に二人で過ごしてるところ」
息が止まる気がした。
「付き合ってくれって言われた時みたいに」
俺は動けなかった。
「覚えてる?」
「当たり前だろ」
「学校の裏」
「うん」
「何にもなかったじゃん」
「……」
「花も」
「うん」
「レストランも」
「うん」
「ただ朔也がいて」
玲子が俺を見る。
「品がある君が好きって」
恥ずかしい。
「それ今言う?」
「言う」
「忘れてよ」
「絶対忘れない」
玲子は泣きながら笑っていた。
「私、あの時すごい嬉しかったよ」
少し、指輪を見る。
「今日も」
涙が出た、止まらない。
自分でもびっくりした。
「朔也?泣いてる?」
「ちょっと」
「何で」
「分かんない」
「変なの」
玲子が笑う。
俺はずっと焦っていた。
成瀬さんと詩織さん。
三枝さんと美緒さん。
みんな、俺より格好良く、早く、ちゃんと人生を進めているように見えた。
でも。
玲子はそんなもの見てなかった。
品がある君といった時からずっと、こんな俺だけをちゃんと見ていてくれた。
「……俺だけ焦ってた」
「何が?」
「周り」
「ああ」
「成瀬さんから連絡来て」
「玄くんから?」
「美緒さん、三枝さんが半年以内に実家連れてくって」
「は?」
玲子の顔が変わった。
「何それ?美緒知らないよね?」
「多分」
「むかつく」
「何で」
「私の方がずっと先に付き合ってるのに」
思わず笑った。
「玲子も焦ってるじゃん」
「今はもういい」
「何で?」
「婚約したから」
強い。
「……そうだな」
「美緒より先」
「競争じゃないだろ」
「ちょっとある」
「あるんだ」
*
しばらくして、二人とも少し落ち着いた。
玲子の指に指輪をつけた。
「どう?」
「……いい」
「サイズ大丈夫?」
「ぴったり」
「よかった」
「いつ買ったの?」
「少し前」
「一人で?」
「うん」
「店員さん困らせた?」
「かなり」
「だと思った」
「三店舗行った」
「そんなに?」
「分かんないんだよ」
「聞けば良かったのに」
「聞けないだろ、しかも誰に?玲子?」
「わかっちゃうね」
二人で笑った。
それから俺は玲子の手を握った。
「玲子」
「何?」
「幸せにする、絶対」
玲子が少しだけまた目を潤ませた。
「うん」
「今までよりちゃんと」
「それ」
「何」
「一人でやろうとしないでね。結婚って二人でするんでしょ」
「そうだな」
「じゃあ」
玲子が俺の手を握り返す。
「二人で幸せになろう」
「……うん」
また泣きそうになる。
「玲子」
「何」
「今日、俺結構泣いてない?」
「泣いてる」
「格好悪いな」
「いいじゃん」
「いいの?」
「うん」
玲子が俺の肩に頭を乗せた。
「私、そういう朔也も知ってるから」
高校生の頃。
でき心のような軽いノリで、話してみたかった。
声をかけた。
失せろと言われた。
それでもまた話しかけた。
いつの間にか。
味方でいたいと思った。
好きになった。
告白した。
そこから二人で普通の日を積み重ねた。
だから特別な場所なんて必要なかったのかもしれない。
玲子と毎日帰って、飯を食べて、喧嘩して、笑って眠る。
この家が俺たちにとって一番思い出のある場所だった。
格好良いプロポーズはできなかった。
でも、玲子は受け入れてくれた。
それなら、これが俺たちの普通で、一番いいプロポーズだ。




