白銀
二度目の警報は昼に鳴った。
岩場の壕で配給の芋を数えていた私の手が止まるより早く、あの声が空から降ってきた。
『十二時間の猶予を与える。高位共鳴反応の対象は単独で広場に出頭せよ。出頭が確認されれば当該作戦は終了し、住民への措置は行われない』
措置、という言葉の冷たさに壕の中がざわめいた。声は続けた。
『出頭が確認されない場合、当該区域は共鳴汚染地帯として処理される。これは懲罰ではない。手順である』
手順。
その言葉だけが妙にはっきりと胸に残った。私の得意分野だ。手順というものは、始まってしまえば感情に関係なく最後まで進む。あの声の主はそれをよく知っている声をしていた。
芋を置いて立ち上がった私の腕を、柊が掴んだ。
「おい。考えてることが顔に出てるって言ったよな」
「離して」
「離さない」
「十二時間しかないの。私が出れば終わる話でしょ。村の人も、レムもゼンも、あんたも——」
「終わらん」
壕の入り口から声がした。レンさんが大鎚を壁に立てかけて、こちらへ歩いてくる。
「あれの言う回収の先を、俺は知っている。器だけ抜き取って中身は処分する連中だ。お前が出れば、お前が終わるだけで何も終わらん」
「知ってるって、なんで」
「昔の話だ」
レンさんはそれ以上を言わずに、レムを手招きした。懐から手帳を出して、押しつけるように持たせる。
「預かってろ」
「え、や、やだ。なんで。レンさんこれ、肌身離さず——」
「重くなった。しばらく持ってろ」
嘘の音は、しなかった。この人の声は柊みたいに浮かない。ただ私の耳は別のものを拾っていた。手帳を渡す指が、レムの手の上に一秒だけ長く残ったこと。それだけだった。
日が傾き始めた頃、レンさんは壕の外で空を見ていた。隣に立った私に、前を向いたまま言った。
「昨日の約束は生きてるな」
「……返事はしてません」
「今する。——澪。合図をしたら走れ。全員連れて。振り返るな」
「レンさんは何をする気ですか」
「掃除の続きだ」
「嘘。掃除はもう終わってる。広場に機械は一体も残ってない。あなたがやろうとしてるのは掃除じゃなくて」
言葉が続かなかった。続けたら本当になる気がした。
レンさんは初めて私をまっすぐ見下ろした。夕日で目の色がよくわからなかった。
「いい耳だ。最後まで、いい耳だった」
「過去形にしないでください」
「一つだけ頼む。レムは、背中で聞く子だ。……あいつの隣に、しばらく立っててやってくれ」
返事をする前に、レンさんは歩き出していた。
合図は、日没と同時に来た。
村の鐘が三回。短く、短く、長く。壕の入り口でレンさんが一度だけ振り返り、大鎚を担ぎ直した。それが合図だと、聞かされていなくてもわかった。
「走って! 北の尾根へ、全員!」
私は叫んだ。叫びながらレムの手を掴んだ。レムは手帳を胸に抱えたまま動かなかった。
「や、だ。やだ、レンさん、レンさん!」
「レム、走るの!」
「離して! だって、だってあの人、一人で——」
「約束したの! 私が、あの人と!」
自分の声が壕の岩に反響した。レムの目から涙がこぼれるのを見ながら、私はその手を引いた。ゼンが反対側からレムの肩を抱えた。柊は——柊は三歩だけ広場の方へ走り出していて、私は空いた方の手でその襟首を掴んだ。
「あんたもよ!」
「でもレンさんが」
「約束したでしょ!」
言いながら思った。私は今、一番嫌いな種類の指示を出している。理由を言う時間のない指示。届かなくても引きずってでも動かす指示。母がしなかった方のやり方。
それでも私は二人を引きずって、北へ走った。
尾根までの道の間、私の耳は戦いを聞いていた。
見なくてもわかった。大鎚が鉄を打つ音が広場から城壁へ駆け上がり——城壁の上で、止まった。置いたのだ。得物ごと届く高さじゃないと知っていて、ここから先は速さだけを連れていくつもりで。素手の何かが空気を蹴る音がして、壊しながら、あの船へ上がっていく。
機械の拍が何十と乱れて止む。船の低い唸りが初めて調子を変えた。焦りに似た音だった。機械も焦るのかと、場違いなことを考えた。
『対象外の個体による攻撃を確認。排除する。排除する。排除——』
あの平坦な声が初めて同じ言葉を繰り返した。
尾根に着いた。村の人たちが息を切らして振り返る。誰も何も言わなかった。夜空に浮かぶ黒い船の腹に、小さな白い点が張りついているのが、ここからでも見えた。
点が、船の中心へ潜り込む。
音が消えた。
船の唸りも、機械の拍も、風も、私の心臓も。世界がまるごと一拍だけ静かになって——その静寂の底で、私は聞いた。
短い、笑うみたいな息。
呼吸の音を聞かせなかった人の、最初で最後の呼吸だった。
白銀。
夜が真昼になった。光は音より先に来て、遅れて届いた轟音は山ひとつ分の空気を殴りつけた。黒い船は内側から白い光に裂かれて、燃えながらゆっくりと村の反対側の谷へ傾いでいく。誰かが叫んだ。歓声だったのか悲鳴だったのか、私にはもう仕分けられなかった。
レムの手から手帳が落ちた。
私はそれを拾って、砂を払って、レムの手に戻した。それしかできなかった。レンさんに頼まれたのは隣に立つことで、私は約束を守る係だから、レムが膝から崩れて声を上げて泣く間、ずっと隣に膝をついていた。
柊は少し離れた場所で谷の火を見ていた。拳の音がした。骨がきしむほど握り込む音が、さっきからずっと。
葬儀は三日後にあった。棺は空で、村の人は工房の鉋を一枚だけ納めた。
その夜、レムとゼンと私たちの四人で、丘のベンチの周りに座った。レムが手帳を開いた。開くのに三日かかったのだと言った。
最後のページに、二種類の字があった。
角ばった乱暴な字。
『悪いな。最後まで付き合わせる』
定規で引いたような字。
『最初からそのつもりだ』
『……そうか』
『そうだ』
そして一番下に、二つの字が一行ずつ。
『最後まで、共に』
『最後まで、共に』
同じ言葉なのに、字は最後まで混ざっていなかった。二つのままで、同じ行の高さに並んでいた。
その前のページには、私たち宛ての置き土産があった。谷を三つ越えた先の都市の名前と、ヴェルナーを頼れという指示。レム宛てに工房の権利書の在り処。ゼン宛てに『声がでかいのは才能だ。人を集めろ』の一行。
それから。
『三秒の男へ。癖を直すな』
柊が手帳を持ったまま長いこと動かなくなった。覚えとく、とあの人は言った。本当に最後まで覚えていた。
『聞こえる側へ。呪いみたいな顔で使うな。それと——俺の相棒の分まで書いておく。あんたの耳は、いいものだ』
二回言われた。一回は声で、一回は字で。
泣けばよかったのだと思う。レムみたいに、声を上げて。
でも私の中で動いていたのは涙じゃなくて、もっと冷たいものだった。夜の壕であの声が言ったことが、頭の中で正確に再生される。感情的行動は排除の対象となる。感情は非効率である。
——本当に、そうかもしれない。
だってレンさんが大事じゃなかったら、この痛みはない。工房の音を綺麗だと思わなかったら、聞こえる側だと言われて嬉しくなかったら、弁当なんて届けなかったら。大切になった途端に、失う。だったら最初から、大切なんて作らなければ。
そう考えている自分に気づいて、ぞっとした。
あの平坦な声と同じ理屈を、私は今、内側から組み立てていた。手順の得意な頭で、痛みを二度と起こさないための手順を。
「澪ちゃん」
レムが泣き腫らした目のまま、私の袖を掴んでいた。
「あのね。大事だから、怖いの。順番は逆にしちゃだめなんだよ。……あたしが言ったんだから、あたしも守るから、澪ちゃんも」
背中で聞く子は、私の背中の中身まで聞こえるらしかった。
私は頷いた。頷くだけで精一杯だった。
その夜、布団の中で耳を澄ますと、谷の残り火の爆ぜる音の遥か向こうで、あの旋律が聞こえた。
一音欠けた子守唄は、何事もなかったみたいに、まだ回り続けていた。




