第9話「元侯爵令嬢、D級冒険者になる」
朝のリーベル冒険者ギルド。
広い空間は、今日も冒険者たちの声でにぎわっていた。
依頼掲示板の前には、今日の仕事を探す冒険者たち。
そんな中、リオがギルドの扉を開けて入ってきた。
背筋は、いつも以上にまっすぐ。
腰には、見慣れた実用剣が揺れている。
カウンターで書類を整理していた受付嬢が、リオに気づいて手招きした。
「リオさん。こちらへどうぞ」
リオは静かな足取りで受付へ向かった。
「依頼か」
受付嬢は、笑顔で一枚の書類を取り出した。
「その前に、おめでとうございます。依頼達成数と評価が規定に達しました」
リオは一瞬だけ考えた。
「規定」
「本日から、リオさんはD級冒険者です」
リオは小さく目を見開いた。
「D級」
受付嬢が登録記録に達成の印を押す。
「はい。D級からは、受けられる依頼の幅が広がります」
リオは、思わずカウンターへ身を乗り出した。
「討伐依頼だ!」
「はい。D級向けの討伐依頼も受けられます」
リオの表情が、はっきりと明るくなった。
「討伐依頼」
「嬉しそうですね」
リオは静かに、けれど深く頷いた。
「嬉しい」
「素直ですね」
リオは腰の剣に軽く触れた。
「剣士として、剣で役に立てる依頼を受けたかった」
その真っすぐな言葉に、受付嬢の表情がやわらぐ。
「リオさんらしいですね」
リオは少し考え込んだ。
「……その、らしい、というのは。私は……俺は旅の男として、何か間違えているのだろうか」
受付嬢のペンがぴたりと止まった。
「……急にどうしました?」
「旅の者になってから……よく笑われる」
受付嬢は一瞬迷い、それから優しく答えた。
「それは、男らしくないからではないと思います」
「では、剣士らしくないのか」
「そこでもないと思います」
リオは真剣に考え込んだ。
「難しいな」
「そういうところだと思います」
「そういうところ」
リオには、その意味が分からない。
受付嬢は口元を緩めた。
「ですが、今日はその話より依頼ですね」
リオの目は、すぐに依頼掲示板へ向いた。
「討伐依頼か」
「はい。D級向けの依頼が一つ出ています」
受付嬢はカウンターに依頼書を置いた。
依頼名は、ワイルドボア討伐。
「リーベル南の森で、ワイルドボアが増えています。浅い場所まで出てきていて、薬草採取の人や通行人が危険なんです」
「間引きか」
「はい。一体につき銀貨二枚。討伐証明は右牙一本です」
「右牙だけなのか」
「一体で二回報告できないようにするためです」
「不正対策か」
リオは納得して頷いた。
「体は大きいので、持ち帰らなくて大丈夫です」
リオは心底ほっとした顔をした。
「それは助かる」
「ただし、突進力があります。正面から受けないでください。皮も厚いので、浅い斬撃や矢では止まらないことがあります」
「分かった」
「D級になったばかりですから、無理はしないでくださいね」
「無理はしない。討伐依頼は、剣で役に立つための依頼だ。無駄に危険を増やすべきではない」
受付嬢がほっと息を吐いた。
「そこはちゃんと分かっているんですね」
「俺はD級冒険者だからな」
「今日なったばかりですけどね」
受付嬢は受付印を押し、依頼書を渡した。
「では、気をつけて行ってきてください」
「行ってくる」
リオはギルドの扉へ向かった。
扉を開けると、朝の眩しい光が差し込んでくる。
『D級』
腰の剣に触れる。
『討伐依頼』
静かに、けれど確かな足取りで歩き出した。
『私は、剣士として役に立つ』
*
昼前。
リーベル南の森。
浅い森ではあるが、木々は深く生い茂っていた。
地面には、はっきりと獣道が通っている。
リオは森の入口に立ち、片手に依頼書、もう片方の手を腰の剣に添えた。
足元を見る。
土が荒々しく掘り返されていた。
『地面が荒れている』
木の根元には泥が飛び散り、草が力まかせに踏み倒されている。
『大きな獣が通った跡』
リオはゆっくりと森の奥へ足を踏み入れた。
腰の剣に手を添えたまま、周囲を確認しながら進む。
その時。
遠くで、鳥がけたたましく飛び立つ音がした。
リオが足を止める。
森の奥から、何かが激しく走る音が聞こえてきた。
『近い』
続いて、弓弦の音が響く。
ビュッ!
リオの視線が、音の方へ鋭く向いた。
さらに、女の子の焦った声が聞こえる。
「当たってるのに……!」
リオは低く身構えた。
『戦闘中か』
木々の間を抜け、音のする方へ走る。
森の開けた場所。
そこには、巨大な猪型の魔獣がいた。
ワイルドボア。
荒い鼻息を吐き、地面を前脚で掻いている。
肩には矢が刺さっていた。
だが、分厚い皮に阻まれ、どれも浅い。
少し離れた場所には、弓を構えた少女がいた。
薄茶の髪を後ろで結び、軽い革鎧を着ている。
少女は次の矢をつがえようとしていた。
けれど、その手は恐怖で震えている。
「なんで……矢が通らないの……!」
ワイルドボアが地面を掻く。
少女が一歩下がった。
「待って。近づかないで……!」
ビュッ!
放たれた矢が、ワイルドボアの肩に当たる。
しかし、やはり厚い皮に浅く刺さるだけだった。
「嘘……!」
痛みで逆上したワイルドボアが、少女へ向かって突進を始める。
「きゃっ!」
少女の顔が青ざめた。
「魔獣が……こんなに強いなんて……!」
その時、リオが木の陰から飛び出した。
「横へ」
「え?」
突然現れた少年に、少女が呆然とする。
「正面に立つな。横へ跳べ」
「む、無理――!」
ワイルドボアの巨体が、少女へ迫る。
リオは迷わず少女の前へ出た。
ただし、真正面からは受け止めない。
膝が沈む。
足裏が、柔らかい土を確実に捉える。
次の瞬間。
リオの体が、地を這うように低く前へ出た。
土が後ろへ跳ねる。
ワイルドボアの突進線から、リオがわずかに横へ抜けた。
すれ違いざま、抜刀の勢いを乗せたリオの剣が、魔獣の首元へ深く入る。
ザンッ!
ワイルドボアの巨体が、突進の勢いのまま数歩進んだ。
そして。
ドサァッ!
地面に重く崩れ落ちる。
森が一瞬、静かになった。
少女はへたり込んだまま、倒れたワイルドボアを見つめている。
「……倒した?」
リオは剣についた血を静かに払った。
「倒した」
「今の、何?」
「斬った」
「見れば分かる! そうじゃなくて!」
少女が思わず叫ぶ。
リオはその声に首を傾げながら、右手を差し伸べた。
その所作は、森の中での戦闘直後とは思えないほど、やけに優雅だった。
「立てるか。怪我は」
少女は差し出された手を見て、少しどぎまぎしながら立ち上がる。
「な、ない。たぶん……」
「なら、よかった」
リオが立ち去ろうとすると、少女が慌てて声を上げた。
「あ、待って!」
「何だ」
「討伐証明、右牙だよ。根元から取らないと、ギルドで受け付けてもらえない」
リオは少女を見た。
「俺は助けに入っただけだからな。横取りみたいなことはできない」
「いいの。一人じゃ倒せなかったし。命の恩人だし」
「……分かった」
リオは短剣を抜き、ワイルドボアの右牙を根元から綺麗に外した。
そして懐から、いつも持ち歩いている黄色い布を取り出す。
牙についた血や汚れを、丁寧に拭い始めた。
少女が不思議そうにそれを見る。
「……なんでそんな布、持ち歩いてるの?」
リオは大真面目な顔で答えた。
「便利だからだ。目印にもなる」
少女が、不思議そうに笑う。
「そうなんだ」
「私、ティナ。D級冒険者。弓使い」
リオが頷く。
「リオだ。D級冒険者」
「D級なの?」
「今日からだ」
ティナの目が丸くなった。
「今日から!?」
「そうだ」
「今日D級になって、今日ワイルドボアを倒したの?」
「D級から受けられる依頼だ」
「受けられるのと、倒せるのは違うんだね……」
ティナは倒れたワイルドボアを悔しそうに見る。
自分の矢が刺さった場所は、どれも浅い。
「私もD級だから、いけると思ったんだけど。当たってるのに、全然止まらなくて」
リオはワイルドボアの厚い皮を見た。
「皮が厚い。正面から止める相手ではない」
「分かってるなら先に教えてほしかった……」
「今、会ったばかりだ」
「それはそう!」
ティナは自分の弓を落ち込んだように見つめる。
「私、荷運びとか、採取とか、迷子探しとかでD級になったから」
リオがティナを見る。
「弓は練習してたけど、本物の魔獣相手は、ほとんど初めてで」
「なるほど」
リオは真剣に頷いた。
「級とは、実力を保証するものではなく、依頼を受けるための目安なのだな」
「……っ! それ、今の私にすごく刺さるんだけど!」
リオは大真面目な顔で返した。
「安心しろ。刺してはいない。俺の剣は鞘の中だ」
「心の痛みの話だよ!」
リオは倒れたワイルドボアへ視線を移す。
「だが、矢の軌道はぶれていなかった。狙いも正確だ」
「え?」
「魔獣の知識が足りなかっただけだ。目か喉を狙えば、ティナが勝っていた」
ティナがリオを見る。
リオはまっすぐな声で続けた。
「弓使いとしては立派だと思う」
ティナの目が少し潤む。
「……慰めてる?」
「事実を言っている」
ティナは嬉しそうに、少しだけ表情を緩めた。
「そっか。……ありがとう」
リオは森の奥へ警戒の目を向ける。
「戻るぞ。血の匂いで、別の獣が来るかもしれない」
「う、うん」
歩き出すリオの背中に、ティナが少し遅れてついていく。
「リオって、すごく落ち着いてるね」
「旅の剣士だからな」
ティナが一瞬黙る。
「旅の剣士って、自分で言う人、初めて見た」
リオが足を止めた。
「おかしいのか」
「おかしいっていうか、真面目すぎるっていうか」
「真面目すぎる」
リオは少し考えた。
『やはり、旅の男の捉え方が違うのかもしれない』
「どうしたの?」
「研究課題が増えた」
「何の話?」
「男らしさだ」
ティナが足を止める。
「……え?」
「行くぞ」
リオは真面目な顔のまま、森を進んでいく。
「普通の人は、男らしさを研究課題にしないよ」
「そうなのか」
「そうだよ」
リオはまた考え込んだ。
「難しいな」
ティナが小さく笑う。
「うん。リオは難しそうだね」
*
昼過ぎ。
リーベル冒険者ギルド。
リオとティナが戻ってくると、受付嬢が二人に気づいた。
リオは、布に包んだ右牙を持っている。
受付嬢は、ティナの汚れた服を見て心配そうに尋ねた。
「リオさん。ティナさんも。何かありましたか?」
「ワイルドボアに突っ込まれかけました」
「怪我は?」
「大丈夫。リオに助けられたから」
リオは布を開き、血を拭き取った右牙を出す。
「ワイルドボアを討伐した」
受付嬢が確認し、記録に印を押した。
「右牙。根元も新しいですね。ワイルドボア一体、討伐達成です」
「達成」
「D級になって最初の討伐依頼、成功ですね」
リオの表情が少しだけ明るくなった。
「剣で役に立てた」
微笑む受付嬢に対し、ティナが受付台に両手をついて落ち込んだ。
「私の方は失敗です」
「無事に帰ってきたなら、それも大事です」
「でも、ワイルドボア、全然止められなくて」
「受けられることと、倒せることは違う」
リオの言葉に、ティナが顔を上げる。
「また刺さった」
「刺していない」
「リオさんの言い方は真っ直ぐですからね」
受付嬢の言葉に、リオは真剣に悩む。
「曲げた方がいいのか」
「いえ。そのままで大丈夫です」
「いや、たまに刺さるよ」
「難しいな」
受付嬢は苦笑しながら、報酬袋を用意した。
「こちらが報酬の銀貨二枚です」
「ありがとう」
リオは報酬袋を見る。
『銀貨二枚』
魔道具屋の収納箱が、ふと頭に浮かぶ。
『金貨十枚までは遠い。でも、少し近づいた』
報酬袋をしまうと、ティナがリオを見つめていた。
「リオ」
「何だ」
「明日も、討伐依頼を受ける?」
「受けたい」
「じゃあ、その……」
ティナは少し言いにくそうに口を開く。
「よかったら、一緒に行かない?」
リオがティナを見る。
「一緒に」
「私は弓だから、距離があれば攻撃できる。でも、近づかれると弱い」
ティナは自分の弓を見る。
「リオは、前に出られるでしょ。それに……」
「それに?」
「私の弓、ちゃんと見ててくれたから。たぶん、相性は悪くないと思う」
リオは少し考えた。
「前衛と後衛か。だが、俺はリーベルの依頼にまだ詳しくない」
「それなら、私の方が少しは詳しいよ。雑用ばっかりだけど、依頼は色々受けてきたから」
「雑用も大事だ。基礎をおろそかにする者は大成しない」
ティナがはにかむように笑った。
「それ、リオに言われるとすごく救われる」
そして、少し照れたように続ける。
「じゃあ、明日。ギルドで待ってる」
リオが頷いた。
「分かった」
「逃げないでね」
「逃げない」
リオは真面目に頷いた。
「俺は旅の剣士だからな」
ティナがまた笑う。
「うん。やっぱり面白い」
「普通だ」
二人のやり取りを見て、受付嬢が穏やかに笑っていた。
*
ギルドの外へ出る。
外は昼過ぎ。
リーベルの通りは、今日も人でにぎわっている。
リオは腰の剣に触れた。
『D級になった』
報酬袋に触れる。
『討伐依頼も達成した』
少しだけ振り返る。
ギルドの中には、まだティナの姿がある。
『そして、明日は一人ではないらしい』
前を向いて歩き出す。
『旅の剣士とは、まだ分からないことが多い』
夕方にはまだ早い。
それでも、屋台からはすでに肉の焼ける匂いが流れてきていた。
リオの足が、自然と串焼き屋台の前で止まる。
「一本か?」
店主に声をかけられ、リオは報酬袋を見て、少しだけ考えた。
腰には剣。
手元には、自分で稼いだ銀貨。
『今日は、剣で稼いだ』
リオは顔を上げ、少し誇らしげに言った。
「一本ください」




