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第8話「元侯爵令嬢、便利な箱を知る」

 リーベルに来て、数日が過ぎた。

 朝のリーベルは、今日もにぎやかだった。

 大通りには商人や旅人、重装備の冒険者たちが行き交い、大きな荷車が音を立てて進んでいる。


 リオはその人混みの端を、静かな足取りで歩いていた。

 背筋はまっすぐ。

 けれど、以前のように人とぶつかることはない。


 人混みでは端を歩く。

 流れに逆らわない。

 急に立ち止まらない。

 この数日で、少しずつ覚えてきたことだった。


 串焼き屋台の前を通る。

 値札には、『一本銅貨三枚』と書かれている。


『串焼きは銅貨三枚』


 三羽鴉の宿の看板が見えた。


『宿は素泊まりで銅貨十二枚。お湯は銅貨四枚』


 市場のざわめきを聞きながら、リオは道の端を選んで歩く。


『人混みは、端を歩く』


 冒険者ギルドの前に立ち、小さく息を吐いた。


『少しずつ、リーベルのことが分かってきた』


 ギルドの重い扉を開ける。

 中は朝の依頼を求める冒険者たちで、相変わらずにぎわっていた。


 リオはまっすぐ依頼掲示板の前に立つ。

 まず、討伐依頼の欄を見る。

 だが、そこに並んでいるのはC級やD級の依頼ばかりだった。


 視線を下げ、E級欄を見る。


 荷運び。

 倉庫整理。

 薬草仕分け。

 掃除。

 雑務。


 リオは受付へ向かった。


「討伐依頼は」


 受付嬢が慣れた様子で答える。


「今日もE級向けの討伐依頼はありません」


 リオは少し沈黙した。


「……そうか」


「やっぱり残念そうですね」


「私は剣士だからな」


 受付嬢がペンを止める。

 リオは腰の剣に軽く触れた。


「剣を持つなら、剣で役に立ちたい」


 受付嬢の表情が、少しだけ優しくなる。


「……リオさんらしいですね」


 そう言って、受付嬢は一枚の依頼書を取り出した。


「でも、今日の依頼は荷運びです」


 リオはぴたりと固まった。


「……荷運び」


「魔道具屋さんへの荷運びです。割れ物や小さな部品が多いので、丁寧に扱える人を探しているそうです」


 リオは差し出された依頼書を見つめた。


「道具を丁寧に扱うのは当然だ」


 リオの顔が、一気に真剣になる。


「そう言ってくれる冒険者は、意外と少ないんです」


 受付嬢が依頼書の端を整えながら言う。

 リオは力強く頷いた。


「分かった。受ける」


 受付嬢が受付印を押した。


「よろしくお願いします」


「荷運びも、剣士に必要な鍛錬だ」


 真顔で言い切るリオに、受付嬢は口元を緩めた。


「そういうことにしておきますね」



 午前の倉庫街。

 そこかしこに木箱が積まれ、荷車が並び、作業員たちが忙しそうに動いていた。


 リオは依頼書を持って、倉庫番の男に声をかける。


「依頼を受けて来た」


「おう、魔道具屋への荷運びだな。箱はこれだ」


 倉庫番が指差した先には、大小さまざまな木箱が積まれていた。

 その中に、赤い印がついた箱が混ざっている。


「赤い印は?」


「割れ物だ。硝子管とか、魔石灯の部品とかだな」


 リオの目が真剣になる。


「割れ物」


「落とさなきゃ大丈夫だよ」


 倉庫番は気楽に言った。

 だが、リオは荷車の上の箱をじっと見つめている。


「崩れれば、中身が傷む」


「まあ、そりゃそうだが」


 リオは箱を一つずつ確認し始めた。

 重さ。

 印の位置。

 箱の角。

 そして、荷車の上に積まれていた箱をすべて下ろし始める。


 倉庫番が驚いた。


「おいおい、何してんだ?」


「積み直す」


「運ぶ前から?」


 リオは当然のように頷いた。


「重い箱を下に。割れ物は上に。隙間は布で埋める」


 倉庫番が呆気に取られている前で、リオは箱と箱の間に黄色の布を挟み、角度をきっちりそろえていく。

 あっという間に、荷車の上の箱は妙に美しく並んだ。


「なんで布まで綺麗な色なんだよ」


「見失わない」


 倉庫番が感心した顔になる。


「……本当にE級か?」


 リオは懐から登録札を少し見せた。


「E級だ」


「いや、そういう意味じゃねえんだけどな」


 倉庫番が頭をかく。

 リオは荷車の取っ手を握った。


 ゆっくり押す。

 箱は、ほとんど揺れなかった。


「道は大通りをまっすぐだ。魔道具屋は青い看板だぞ」


「分かった」


 リオは背筋をまっすぐに伸ばし、荷車を押して歩き出した。

 速さは妙に一定。

 まるで、荷車まで礼儀正しく歩いているようだった。


 通りの人々が、不思議そうにちらちら見る。

 段差の前に来ると、リオはぴたりと止まった。


 そして、段差に対して荷車の角度を慎重に合わせ始める。

 近くの通行人が笑った。


「兄ちゃん、荷車で儀式でもしてるのか?」


 リオは真顔で答えた。


「割れ物がある」


「そりゃ大事だ」


 リオが荷車を押す。

 絶妙な力加減で、箱はほとんど揺れずに段差を越えた。


 リオは少しだけ満足そうに息を吐く。


『荷運びも、奥が深い』



 昼。

 大通りを進むと、青い看板の魔道具屋が見えてきた。

 窓の向こうには、魔石灯や小さな魔道具がずらりと並んでいる。


 リオは店の前に荷車を止めた。

 扉が開き、年配の主人が出てくる。

 目つきは鋭い。

 けれど、悪い人間ではなさそうだった。


「お、届いたか」


 リオは依頼書を差し出した。


「荷物を持ってきた」


「……ずいぶん綺麗に積んだな」


 主人が箱の並びを見て感心する。


「崩れては危ない」


 主人は赤い印の箱を開けた。

 中には、硝子管や魔石灯の部品が入っている。

 どれも無傷だった。


「割れ物が一つも傷ついてない。揺れも少なかったみたいだな」


「道具は丁寧に扱うべきだ」


「冒険者にしては珍しいな」


 リオは少しむっとする。


「冒険者でも、道具は使うだろう」


「違いない」


 主人は声を出して笑い、店の中を指した。


「こっちへ頼む」


 リオは木箱を抱え、店内へ入った。

 棚には、魔石灯、小型の温熱具、声を変える石、方位を示す針、奇妙な箱などが並んでいる。

 リオの視線が、棚の上をゆっくり動いた。


『魔道具が、こんなに並んでいる』


 ふと、一つの小さな箱の前で足が止まる。

 黒い金属で縁取られた、手のひらより少し大きい箱。

 値札には、『収納箱・容量小』と書かれていた。


「これは何だ」


 主人が棚を見る。


「収納箱だ。小型のアイテムボックスみたいなもんだな」


「アイテムボックス」


 以前、ギルドで聞いた名前だ。

 主人が箱を軽く叩く。


「荷物をしまって持ち運べる。冒険者や商人なら誰でも欲しがる魔道具だ」


 リオの目が少しだけ真剣になる。


「荷物を、しまって持ち運べる」


 脳裏に、ホーンラビット五体を抱えて歩いた時のことが浮かんだ。

 重かった。

 何度もふらついた。

 とても大変だった。


「それは、便利だ」


「便利だぞ。容量小でも、旅荷物くらいなら全部入る」


「いくらだ」


「容量小で金貨十枚」


 リオの動きが止まった。


「……」


「高いだろ」


 主人が値札を指で叩く。

 リオは黙ったまま、腰の革袋に意識を向けた。


 森で目覚めた時、服と一緒に置かれていた革袋。

 中に入っていた金貨。

 まだ使い切ってはいない。


『逃げるための金』


 森の中の書き置き。


『逃げろ』


 誰が置いたのかも分からない金だ。

 使えば楽になる。

 でも、使っていいのかは分からない。


 それに。


『これは、リオとして稼いだ金ではない』


 リオの手が、革袋から静かに離れた。


「どうする? 買うか?」


「……保留にする」


 主人が眉を上げた。


「ずいぶん真面目に悩んでたな」


「この金は、使い方を決めていない」


「金は使うためにあるんだがな」


「そうなのか」


「そこからか」


 主人は苦笑する。

 リオは収納箱を見つめ続けた。


「いつか買う」


「金貨十枚だぞ。E級冒険者には遠い目標だ」


「分かっている」


「それでもか?」


「ホーンラビット五体を腕で運ぶよりは、現実的だ」


 主人が動きを止めた。


「……何を運んだんだ、お前」


「依頼の品だ」


 リオは少しだけ目をそらした。

 主人は笑うと、依頼票に印を押して渡した。


「荷運びは文句なしだ。ほら、達成印だ」


「助かる」


 主人が収納箱を指差す。


「金貨十枚、貯まったらまた来な」


「来る」


 リオは店を出た。

 背後の棚には、収納箱が静かに置かれていた。



 昼過ぎ。

 リーベルの通りを歩くリオの手には、達成印の押された依頼票がある。

 リオは腰の革袋にそっと触れた。


 逃げるために渡された金。

 そして、今までの依頼で自分が稼いだ金。

 それは、リオの中では少し違うものだった。


『リオとして使うものは、リオとして稼ぎたい』


 市場には、働く商人がいる。

 荷物を運ぶ旅人がいる。

 屋台で食べる子供がいる。


 リオは小さく息を吐いた。


『なら、依頼を受けるしかない』


 目標は、金貨十枚。

 リオの顔が、少しだけ真剣になる。


『遠い』



 それから数日。

 リオはリーベルで、ひたすら依頼を受け続けた。


 一日目。

 旅人宿の荷物整理。

 リオは荷物を大きさ順に、まるで芸術作品のように並べている。


「店じゃなくて倉庫だよ」


「倉庫だからこそ、整えるべきだ」


「まあ、探しやすいけどね」


 二日目。

 魔道具屋の棚卸し。

 リオは魔石灯の部品を、色と形で完璧に分けていた。


「見やすいが、細かすぎる」


「同じ形でも、色が違う」


「職人みたいなことを言うな」


 三日目。

 市場の荷運び。

 野菜箱の向きをそろえ、隙間ができないように荷車へ積んでいる。


「商品みたいに綺麗に積むな」


「商品だろう」


「そりゃそうだ」


 四日目。

 薬草納品の仕分け。

 リオは薬草を種類ごとに、標本のように丁寧に並べていた。


「リオさんが来ると、なぜか棚が綺麗になりますね」


「乱れていると、探しにくい」


「助かっています」


「なら、よかった」


 五日目。

 町外れの花壇修繕。

 リオは崩れた石の高さをそろえ、花の向きまで整えている。


「そこまで綺麗にしなくてもいいよ」


「花にも向きがある」


「あるの?」


「……あると思う」


「じゃあ、そういうことにしておこうか」


 六日目。

 ギルドの受付前。

 リオは依頼達成印の押された票を差し出した。


「リオさん、ここ数日でずいぶん依頼を達成しましたね」


「金貨十枚は遠い」


 受付嬢が顔を上げる。


「金貨十枚?」


「目標だ」


 少しだけ目をそらすリオに、受付嬢が微笑んだ。


「大きな目標ですね」


「収納箱を買う」


「ああ、アイテムボックスですか」


「荷運びが楽になる」


 受付嬢が口元を緩める。


「買うために荷運びをしているんですね」


「矛盾しているのか」


「いいえ。冒険者らしいと思います」


 リオは静かに登録札を見つめた。



 夕方のギルド。

 昼間より少し落ち着いた受付前に、リオは立っていた。


「依頼か」


「その前に、少しお話があります」


 リオは首を傾げた。


「話」


 受付嬢が登録記録を見せる。


「リオさんの依頼達成数と評価が、かなり積み上がってきました。この調子なら、そろそろD級が見えてきますよ」


 リオの目が輝く。


「D級」


「はい。次の依頼次第ですね」


「D級になれば、討伐依頼は増えるのか」


「増えます。ただし、討伐だけが冒険者の仕事ではありませんよ」


 リオは真剣な顔で頷いた。


「分かっている」


「本当に分かっていますか?」


「荷運びも、剣士に必要な鍛錬だ」


 受付嬢が小さく笑う。


「それ、まだ言うんですね」


 リオは登録札を強く握った。


『D級になれば、剣で役に立てる依頼も増える』

『収納箱も、いつか買う』


 ギルドの扉を開け、外へ出る。

 夕方のリーベルには、屋台の灯りがともり始めていた。


 リオは串焼き屋の前で足を止める。


「一本か?」


 屋台の店主に聞かれ、リオは少しだけ考えた。


 腰の革袋。

 逃げるための金。

 そして、自分で稼いだ小銭の入った袋。


 リオは小銭の袋を取り出した。


「一本ください」


「はいよ」


 串焼きを受け取り、一口食べる。

 リオの表情が少し緩んだ。


『欲しいものができた』


 けれど、それは自分で稼いだ金で買いたい。


 夕方の通りを歩く。

 背筋はまっすぐ。

 手には串焼き。

 腰には剣。


『そのために、明日も依頼を受けよう』


 リーベルの夕暮れ。

 人混みの中を、リオが静かに歩いていく。


 リオのリーベルでの日々は、確かな重みを持って、少しずつ積み重なっていた。


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