第5話「元侯爵令嬢、初めて討伐する」
数日後。
朝の冒険者ギルドは、本日の依頼を求める冒険者たちでにぎわっていた。
そんな騒がしい空間の扉が、ギイッと開いた。
入ってきたのは、一人の少年だった。
男物の服に、腰には実用剣。
けれど、その歩き方はなめらかで、背筋は相変わらず一本の芯が通ったようにまっすぐだった。
書類を整理していた受付嬢が、リオの姿に気づく。
「リオさん。こちらへどうぞ」
笑顔で手招きされ、リオは静かな足取りで受付へ向かった。
「依頼か」
「その前に、おめでとうございます。依頼達成数と評価が規定に達しました」
「規定」
リオが首を傾げる。
受付嬢は、真新しい木札の登録札を差し出した。
「本日から、リオさんはE級冒険者です」
「E級……つまり、受けられる依頼が増えるのか」
「はい。条件つきですが、簡単な討伐依頼も受けられます」
「受ける」
「内容を聞いてからにしてくださいね」
受付嬢はカウンターに依頼書を広げた。
「依頼主は町の食堂です。西の森でホーンラビットを五体討伐し、持ち帰ってください」
依頼書には、食肉用としてホーンラビット五体を提出すること。
報酬は銀貨一枚と銅貨十枚。
そう書かれていた。
そのやり取りを聞きつけ、酒場側で朝食をとっていたベテラン冒険者が顔を上げる。
「お、リボン坊。今日は草じゃなくて、跳ねる肉か」
リオは極めて真顔で振り返った。
「ホーンラビットだ」
「真面目に言い直すなよ」
「依頼対象の名称は、正確に覚えるべきだ」
ベテラン冒険者は、黒パンをかじりながら呆れたように笑う。
「そういうとこだぞ」
「それに、リボン坊とは誰のことだ」
「薬草をリボンで結んで、森にもリボンを飾る坊ちゃんのことだ」
周囲の冒険者たちが笑った。
リオはむっとする。
「坊ちゃんではない」
「じゃあ、リボン剣士か?」
「それも違う」
リオは受付へ向き直り、依頼書を真剣な目で読んだ。
「五体、持ち帰る」
「はい。食堂で使う食材なので、できるだけ肉を傷つけないようにお願いします」
リオは少し考え込んだ。
「肉を傷つけない」
「剣で真っ二つにしないでくださいね」
「分かった」
リオは力強く頷いた。
それを見たベテラン冒険者が、横から口を挟む。
「初討伐で五体は、油断すると転がされるぞ」
「転がされる?」
ベテラン冒険者は、手で角を作る仕草をした。
「小さいが、突っ込んでくる。足に食らうと派手に転ぶ」
リオは剣の鍛錬を思い出し、真面目に頷いた。
「突進の軌道を見ればいいのだな」
「……まあ、そうだな」
ベテラン冒険者が一瞬黙る。
受付嬢は、西の森の簡単な地図を渡した。
「西の森の浅い場所です。奥には入らないでください」
リオは地図をしっかり受け取る。
「奥には入らない」
「本当にですよ」
「入らない」
ベテラン冒険者がにやにや笑う。
「今度は道に勝てよ」
リオは少しだけ胸を張った。
「黄色い布を持っている」
「西の森まで舞踏会になるな」
「実用的だ」
からかいを正面から受け止め、リオは依頼書を懐にしまった。
「気をつけてくださいね」
受付嬢の声に、リオは振り返らずに頷く。
「行ってくる」
ギルドの扉が開く。
リオは、初めての討伐依頼へ向かった。
*
昼下がりの西の森。
静かな木々の間に、黄色い布が揺れていた。
リオは木の幹に黄色い布を巻き、目印として丁寧にリボン結びにしている。
森にはまったく似合わない、妙に綺麗な結び目だった。
『これなら帰れる』
リオが小さく頷いた、その時。
ガサッ。
草むらが大きく揺れた。
額に小さな角を持つホーンラビットが、勢いよく飛び出してくる。
小さな魔獣は、リオへ向かって一直線に突進してきた。
けれど、リオの表情に焦りはない。
ダンスのステップを踏むように、静かに半歩だけ横へずれる。
すれ違いざま、リオの手が腰の剣へ伸びた。
剣を抜く。
だが、刃は向けない。
手首を返し、柄頭を短く鋭く振り下ろした。
ゴッ!
鈍い音とともに、ホーンラビットが地面に落ちる。
毛皮にも体にも、傷はない。
頭部だけを正確に打たれていた。
『肉を傷つけない。なら、刃は使わない方がいい』
息をつく間もなく、二体目が真横から跳びかかってくる。
リオは体をなめらかにひねり、鋭い角を避けた。
そのままの流れで、剣の柄をこめかみに叩き込む。
ゴッ!
三体目、四体目も同じだった。
リオは最小限の足運びで突進をかわし、柄頭で正確に頭部を打つ。
最後の一体が逃げようとした時だけ、リオは素早く回り込んだ。
「逃がさない」
ゴッ!
最後の一体も、柄頭の正確な一撃で倒れた。
リオは静かに剣を鞘に戻す。
周囲には、五体のホーンラビットが転がっていた。
どれも肉に刃傷は一つもない。
リオは軽く息を整える。
疲れた様子は、ほとんどなかった。
『倒すだけなら、問題ない』
リオは足元に転がる五体のホーンラビットを見下ろした。
「……」
ホーンラビットは、思ったより大きい。
丸く、ずんぐりとしている。
五体も並ぶと、かなりの量だった。
試しに一体を持ち上げる。
「重い」
どうにか二体を紐でまとめ、さらに三体をまとめる。
それらを一気に担ごうと力を込めた。
「……っ」
華奢な体が大きくふらつく。
リオは耐えきれず、一度それを地面に下ろした。
『倒すことと、持ち帰ることは、別の技術なのね……』
引きずって運ぼうともした。
だが、地面の石や木の根を見て、すぐに手を止める。
「肉が傷む」
仕方なく、リオは不格好に抱え直した。
肩に三体。
両腕に二体。
足元がおぼつかない。
それでも、木々に結ばれた黄色い布だけを頼りに、リオはふらふらと森を出ていく。
『冒険者への道は、やはり険しい』
*
夕暮れ時の町。
リオはホーンラビット五体をどうにか抱え、疲れ切った様子で戻ってきた。
息を整えながら前を見ると、遠くにいつもの串焼き屋の煙が見えた。
『帰ったら、串焼きを……』
その小さな楽しみを胸に、リオは歩き出す。
けれど、不意に足が止まった。
串焼き屋の前に、見慣れない男が立っていた。
しっかりした旅装。
落ち着いた立ち姿。
ただの町人にも、商人にも見えない。
男は、串焼き屋の店主に向かって低い声で尋ねていた。
「この町で、金髪の若い女性を見なかったか」
その言葉に、リオの表情がわずかに強張る。
店主は串を焼く手を止めた。
「金髪の若い女?」
「ああ。この町には似合わない、美しい女性だ」
リオの手に、ぎゅっと力が入った。
店主は煙の中で、少し考えるような顔をした。
「あー……見たような、見てないような」
男の目が鋭くなる。
「どっちだ」
店主は、その視線を一瞬だけ受け止めた。
次に、通りの端で固まっているリオの方をちらっと見る。
そして、何事もなかったかのように串を返した。
「いや、見てないな」
男は店主の顔をじっと見つめる。
「本当に?」
店主は立ち上る煙を浴びながら、いつもの軽い調子で答えた。
「金髪なら何人か通るが、そんな目立つ女は覚えてねえよ」
男は諦めたように背を向ける。
「そうか」
靴音を響かせ、男は通りの向こうへ歩いていった。
リオは建物の影で、息を殺したまま立っていた。
男の姿が見えなくなっても、すぐには動けない。
店主は、何もなかったかのように串を焼き続けている。
しばらくして、リオは重いホーンラビット五体を抱えたまま、ゆっくり屋台へ近づいた。
店主がリオを見て、いつものように笑う。
「……今日は大荷物だな」
「依頼だ」
「おー、すげぇな」
「倒した」
「持って帰る方が大変そうだ」
「……その通りだ」
リオは、見知らぬ男が去った方角を静かに見つめた。
『この町も、もう危ないかもしれない』
リオは革袋から銅貨を出し、屋台の台に置いた。
「串焼き、二本ください」
店主が少し驚いたように目を丸くする。
「お、今日は二本か」
リオは視線を少し落とし、小さな嘘をついた。
「……腹が減った」
「そりゃ、そんなもん担いでりゃな」
店主は焼きたての串を二本渡してくれた。
「ありがとう」
リオは串焼きを受け取り、その場で一口食べた。
『これが、最後になるかもしれない』
肉の脂と煙の香りが、口いっぱいに広がる。
もう一口食べる。
『やっぱり、おいしい』
店主は、さっきの男のことを何も聞かなかった。
ただ黙々と、次の串を焼いている。
リオはホーンラビットの重い束を抱え直し、冒険者ギルドへ歩き出した。
*
冒険者ギルドの重い扉が開く。
リオがホーンラビット五体を抱えて入ってくると、受付嬢が驚いて顔を上げた。
「リオさん、本当に五体……」
リオはカウンター横の確認台に、重い荷物を下ろした。
ドサッ。
少しだけ肩で息をしながら、まっすぐ受付嬢を見る。
「依頼の品だ」
受付嬢は確認台のホーンラビットを確かめる。
どれも毛並みが綺麗で、胴体に傷がない。
けれど、細かく見た瞬間、受付嬢の手が止まった。
「……え?」
受付嬢は一体ずつ丁寧に確認していく。
肉はまったく傷ついていない。
そして五体すべて、頭部だけが正確に打たれていた。
「全部、頭だけ……?」
その声を聞きつけ、酒場側にいたベテラン冒険者が近づいてくる。
「おいおい。刃を入れずに五体仕留めたのか」
リオは少し疲れた顔で頷いた。
「肉を傷つけるなと言われた」
受付嬢の顔に、少し引きつった笑顔が浮かぶ。
「確かに、言いましたけど……」
ベテラン冒険者は、ホーンラビットの頭部をまじまじと見た。
「普通はここまで綺麗にやれねえよ」
どう答えるべきか、リオは少し考えた。
「旅の者だからな」
ギルド内が一瞬、静まり返る。
受付嬢が戸惑いながら尋ねた。
「旅の方だと、できるんですか?」
リオは極めて真顔で答える。
「……できる者もいる」
その強引な理屈に、ベテラン冒険者が吹き出した。
「便利な言葉だな、旅の者」
リオは少しむっとする。
「便利ではない。私は旅の者だ」
受付嬢は呆気にとられながらも、依頼書に達成印を押した。
「ホーンラビット五体、状態良好。依頼達成です」
リオの表情が少しだけ緩む。
「達成」
受付嬢がカウンターに報酬を置いた。
「報酬の銀貨一枚と銅貨十枚です」
リオは報酬を受け取った。
輝く銀貨。
それを嬉しそうに見つめる。
ベテラン冒険者が、積み上げられたホーンラビットを見ながら言った。
「薬草だけじゃなかったか」
リオは報酬を革袋にしまいながら答えた。
「剣も、少しだけ習っていた」
ベテラン冒険者が呆れたように笑う。
「少しだけでこれかよ」
さらに、ベテラン冒険者は確認台に積まれたホーンラビットを見た。
「しかし、よく五体も抱えて帰ってきたな」
リオは少し疲れた顔で答える。
「倒すより、持ち帰る方が難しかった」
ベテラン冒険者がカラカラと笑った。
「そういう時は、アイテムボックスの魔道具でもあれば楽なんだけどな」
リオはハッとして顔を上げた。
「そんなものがあるのか」
侯爵令嬢だった頃には縁のなかった道具だ。
だが、受付嬢は困ったように苦笑する。
「ありますけど、とても高価ですよ。普通のE級冒険者が持てるものではありません」
リオは少し考え込んだ。
「……では、いつか買う」
ベテラン冒険者が腹を抱えて笑った。
「目標がでかいな、リオ坊」
リオは極めて真顔で返す。
「ホーンラビット五体を腕で運ぶよりは、現実的だ」
受付嬢がふふっと笑う。
「そこは現実的なんですね」
和やかな笑いが広がる。
リオはそれ以上答えず、受付嬢の前に広げられていた周辺地図へ視線を移した。
そして、静かに顔を上げる。
「聞きたいことがある」
受付嬢が首を傾げた。
「はい?」
リオは地図の一点を指差した。
「エルドランと反対側にある町は、どこだ」
受付嬢が少し不思議そうな顔をする。
「エルドランと反対側、ですか?」
リオは真剣に頷いた。
「そうだ。できれば、街道沿いで、冒険者ギルドがある町がいい」
受付嬢が地図を指でなぞる。
「それなら、東街道沿いですね。この町から二つ先に、リーベルという町があります」
地図には、西にエルドラン。
東にリーベル。
そして今いる町は、エルドランのすぐ隣にある小さな町だった。
リオは地図の文字をじっと見つめる。
「今いるこの町は、エルドランの隣なのか」
「はい。街道で一つ隣ですね」
リオの表情が、少し硬くなった。
『近すぎる』
あの見知らぬ男がやってくるのも、当然の距離だった。
リオは、東側にあるリーベルを指差す。
「この町にも、冒険者ギルドはあるのか」
「あります。この町よりも少し大きい町で、登録札も使えますよ」
リオは静かに頷いた。
「……分かった。そこへ行く」
受付嬢が少し寂しそうな顔をする。
「旅に出るんですか?」
リオは少しだけ間を置いた。
それから、静かに答える。
「私は旅の者だからな」
受付嬢が小さく笑った。
「そうでしたね」
けれど、すぐにその表情は名残惜しそうなものに変わる。
「でも、寂しくなりますね。リオさんがいると、ギルドが少し明るかったので」
リオは少し戸惑った。
「私は、明るくするために依頼を受けていたわけではない」
ベテラン冒険者が横から口を挟む。
「そういうとこだぞ、リオ坊」
リオが振り返る。
「坊ではない」
冒険者たちが軽く笑う。
だが、いつものからかいの中には、確かな名残惜しさがあった。
「リオがいなくなると、薬草が雑に扱われるな」
「森の舞踏会も終わりか」
リオはむっとする。
「黄色い布の目印は実用的だ」
ベテラン冒険者が笑って頷いた。
「分かってるよ」
少しの沈黙のあと、リオは地図を見て真剣に尋ねた。
「歩いてどれくらいだ?」
受付嬢が目を丸くする。
「え、歩いていくおつもりですか?」
リオは当然のように頷く。
「旅の者だからな」
受付嬢は困ったように笑いながら教えた。
「最初の町まででも、徒歩で五日はかかりますよ。リーベルなら、もっとです」
リオの全身が固まった。
「……」
ベテラン冒険者が腹を抱えて吹き出す。
「旅の者、徒歩五日で固まったぞ」
リオは少しだけ焦る。
「固まっていない。距離を確認していただけだ」
「距離って顔じゃなかったぞ」
受付嬢が優しく続ける。
「普通は乗合馬車で行きます。リーベル方面なら、明日の朝に出る便がありますよ」
リオは、さも初めから知っていたかのような顔で頷いた。
「……ああ、乗合馬車か」
ベテラン冒険者が意地悪く目を細める。
「今、思い出した顔だな」
リオは極めて真顔で返す。
「この町にも、乗合馬車で来た」
受付嬢が微笑む。
「そうなんですか?」
リオは一瞬だけ視線をそらした。
「……たぶん」
ベテラン冒険者が笑い飛ばす。
「たぶんで旅をするな」
リオは受付嬢から、簡単な道順を記した地図を受け取った。
「乗合馬車で行く。問題ない」
「では、東門の乗合馬車乗り場ですね。朝の鐘が二つ鳴る頃です」
リオは真剣に頷く。
「分かった。朝の鐘が二つ」
受付嬢が少し寂しそうに笑った。
「リオさん。気をつけてくださいね」
ベテラン冒険者も、軽く手を上げる。
「道に負けるなよ、リオ坊」
リオが振り返った。
「馬車なら負けない」
「馬車でも迷う奴はいるぞ」
リオは一瞬だけ真面目に考えた。
「……御者がいるのにか」
その言葉に、冒険者たちがどっと笑う。
受付嬢も、カウンターの奥で声を立てて笑っていた。
温かい空気の中で、リオは少しだけ口元を緩める。
「世話になった」
そして、リオはギルドの扉を開けて出ていった。
*
夜。
狭い安宿の小部屋。
リオは明日の出発に向けて、寝間着のまま荷物をまとめていた。
荷物はまだ少なく、すぐに片付いた。
手を止めると、この町で出会った人々の顔が浮かぶ。
いつも串を焼いていた店主。
優しい受付嬢。
からかってばかりだったベテラン冒険者。
食堂のおばさん。
荷車を押していた少年。
『この町で、少しだけ生きられるようになった』
『でも、リリアを探す者が来た』
革袋の口を、しっかり閉じる。
『ここにいれば、いつか誰かを巻き込むかもしれない』
けれど、その表情には、隠しきれない寂しさがにじんでいる。
『明日、この町を出よう』




