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第2話「元侯爵令嬢、冒険者になる」

 朝。

 宿屋「踊る子猫亭」の小部屋。

 床には、昨日まで大切に手入れされていた長い金髪が散らばっている。

 机の上には、男物の服。声色石。護身用の短剣。安い実用剣。


 リリアは男物の服に袖を通した。

 自分の体には少し大きい袖を引っ張り、布を巻いた胸元を隠すように、腰帯をしっかり締める。

 それから、首元に声色石のついた紐をかけた。小さな黒い石が、喉元で揺れる。


 短くなった髪を手櫛で整え、鏡を覗き込んだ。

 そこに映っていたのは、ドレス姿の侯爵令嬢ではない。

 華奢で、顔立ちの整った「少年」だった。


 試しに声を出してみる。


「……私は」


 声色石の効果で、声はいつもより少し低くなっていた。

 たしかに、少年の声に聞こえなくもない。

 けれど、リリアはすぐに口を閉じた。


 コホン、と咳払いをする。


「俺は……」


 聞き慣れない一人称に、少しだけ頬が熱くなる。

 それでも、リリアは鏡の前でぎこちなく頷いた。


「俺は、リオ」


 もう一度、今度は少しだけ堂々と名乗ってみる。


「リオ。旅の剣士だ」


 数秒の沈黙。

 リリア――いや、リオは、鏡に映る自分を真剣な顔で見つめ直した。


『……旅の剣士にしては、荷物が少なすぎる気がする』


 机の上にあるのは、剣と短剣。

 少しの金貨が入った財布。

 そして外套だけ。

 どう見ても、旅の準備というより、近所に出かける準備だった。


『まあいいわ……じゃなくて、まあいい』


 リオは剣を腰に下げ、外套をばさりと羽織った。


『まずは、仕事を探す。自分の足で、生きるために』



 町の冒険者ギルド。

 そこは、剣や槍を持った冒険者たちが出入りする、大きな木造の建物だった。

 入口には、剣と盾の紋章が描かれた看板がかかっている。


 リオはギルドの前で立ち止まり、深く息を吸った。


『大丈夫。今の私は、どこにでもいる少年剣士。怪しまれるところなんて、何一つない』


 そう自分に言い聞かせ、気合いを入れて扉を開ける。

 中は、朝からひどく騒がしかった。

 壁一面に貼られた依頼書。

 忙しそうに働く受付。

 酒場を兼ねた広間には、朝だというのに酒を飲んでいる者までいる。


 ギイッ、と扉の音が鳴る。

 その瞬間、冒険者たちが一斉にこちらを見た。


 美しい顔立ち。

 華奢な体。

 そして、なぜか妙に品のある立ち姿。

 悪く言えば、この場に全くなじんでいない少年だった。


 近くのテーブルに座っていたベテラン冒険者の男が、にやりと笑った。


「おいおい、どこの坊ちゃんだ?」


「剣より顔の方が高く売れそうだな」


 別の冒険者もからかうように笑う。

 リオは一瞬、びくっとした。

 けれど、すぐに男らしく振る舞おうと胸を張る。


「ぼ、坊ちゃんではない」


 声色石のおかげで、声は少し低い。

 だが、言葉の端々に染みついた育ちの良さは隠せない。


「私は……いや、俺は、普通の旅の者だ」


 冒険者たちが顔を見合わせる。


「普通の旅の者、ねえ」


「ずいぶん姿勢のいい普通だな」


 にやにやと向けられる視線。

 リオは、昨日の串焼き屋台で学んだ「何食わぬ顔」を使うことにした。


 すっと背筋を伸ばし、堂々と言う。


「冒険者とは、己の剣と誇りで道を切り開く者だろう」


 ギルド内が、一瞬だけ静まり返った。


「「「…………」」」


 次の瞬間。


「ははっ!」


 ベテラン冒険者が腹を抱えて笑い出した。


「はははっ! 朝から芝居小屋みたいなこと言うじゃねえか!」


 それをきっかけに、周りの冒険者たちもどっと笑う。


「剣と誇りだってよ!」


「まずは泥と草と借金からだろ!」


「吟遊詩人でも目指してんのか!」


 リオはカッと顔を赤くした。


「そ、そうだな。もちろん知っていた。冗談を言ったまでだ」


「冗談にしちゃ、目が本気だったぞ」


「うるさい」


 思わず言い返してから、リオははっとした。

 少しだけ、男の子らしく言えた気がする。


 すると、ベテラン冒険者がリオの腰にある実用剣を見た。


「まあ、剣は飾りじゃなさそうだな」


 その言葉に反応して、リオの手が自然に剣の柄へ添えられる。

 流れるような動きだった。

 さっきまでのぎこちなさが嘘のように、そこだけは無駄がない。

 ベテラン冒険者の目が少し細くなった。


「……ふうん」


「登録希望の方ですかー?」


 絶妙なタイミングで、受付カウンターの若い受付嬢が声をかけてきた。

 リオはそちらへ向かおうとする。


 すると、背後からまた声が飛んだ。


「転ぶなよ、坊ちゃん」


 リオは振り返り、むっとして言い返した。


「坊ちゃんではない。リオだ」


「はいはい。リオ坊ちゃん」


 ベテラン冒険者は、ひらひらと手を振っている。

 リオは悔しそうに受付へ向かった。


『坊ちゃんではない。……でも、お嬢様と呼ばれるよりは、ずっとマシだ』


 受付嬢がにこりと笑う。


「お名前をお願いします」


「……リオ」


「姓は?」


 リオの表情が、ぴくりと強張った。


「ない」


「ない?」


「旅の者だからな」


 リオは、それが当然だと言わんばかりの顔で頷いた。

 受付嬢は少し困ったように笑う。


「旅の方でも、故郷の名を登録する方は多いですよ?」


「……故郷は遠い」


 リオは少しだけ遠い目をした。

 受付嬢は、それ以上深く聞かなかった。


「では、リオさんで登録しますね。まずはFランクからです」


 リオは木札のような仮登録証を受け取った。

 小さく息を吐く。


「助かる。では、討伐依頼を頼む」


 受付嬢の手が、ぴたりと止まった。


「討伐依頼?」


「魔獣でも盗賊でも構わない。危険な任務からでいい」


 リオは真剣だった。

 受付嬢は目をぱちくりさせる。


 そして、背後のテーブルから、また爆笑が起きた。


「聞いたか!? Fランク初日で盗賊退治だってよ!」


「元気があっていいじゃねえか!」


 リオは振り返り、むっとした顔を作った。


「笑うことではない。仕事は選ばず受けるべきだろう」


 ベテラン冒険者が椅子に深くもたれかかり、にやりと笑う。


「選ばせてもらえねえんだよ、Fランクは」


「……選ばせてもらえない?」


 リオが固まる。

 受付嬢が、説明用の紙を差し出した。


「はい。登録したばかりのFランクの方には、討伐依頼は紹介できません」


「なぜだ」


 リオは真剣な顔で問い返した。

 受付嬢は、とても優しい笑顔で答える。


「死ぬからです」


「…………」


 リオは黙った。

 反論できなかった。


「それに、依頼主にも迷惑がかかります。実力が分からない新人さんに、危険な仕事は出せません」


「……筋は通っている」


 侯爵令嬢として学んできた理屈にも合っている。

 リオは少しだけ納得して引き下がった。


 受付嬢が、依頼掲示板の一番下を指差す。


「Fランクの方に紹介できるのは、採取、荷運び、清掃、町中のお手伝いなどですね」


「採取、荷運び、清掃……」


「今日は薬草採取の依頼があります。初心者の方にはこれが一番です」


 受付嬢は一枚の依頼書を見せた。


『薬草採取。指定薬草十束。報酬、銅貨十枚』


 それを見たリオの表情が、すっと曇る。


「……薬草」


「はい。薬草です」


 リオは自分の腰の剣に目を落とした。


「剣は使うのか?」


 受付嬢は、真顔で首を横に振った。


「使わない方がいいです。薬草が切れます」


「根から抜いてきてください」


「…………」


 リオは石のように固まった。

 後ろのベテラン冒険者が、たまらず酒を吹き出す。


「ぶはっ! 薬草を剣で斬る気だったのか、リオ坊ちゃん!」


「き、斬らない! 確認しただけだ! 万が一ということもあるだろう!」


「薬草相手の万が一って何だよ!」


 周りがまた笑う。

 受付嬢は苦笑しながら、依頼書と簡単な薬草図を渡した。


「こちらが薬草の特徴です。葉が三枚に分かれていて、根元が薄い青色をしています」


「葉が三枚。根元が青」


「似た草も多いので、分からなければ抜かずにそのままにしてくださいね」


「分かった」


「これに十束入れて戻ってきてください」


 受付嬢は布袋を渡した。


「場所は町の東にある浅い森です。奥には入らないでくださいね」


 リオは真剣に頷いた。


「奥には入らない」


「本当に入らないでくださいね。新人の方は、なぜか奥へ行きたがるので……」


「私は、言われたことは守る」


 リオは少しだけ胸を張った。

 すると、背後から声が飛ぶ。


「そう言う奴ほど、だいたい迷うんだよなぁ」


 リオはキッと振り返った。


「迷わない!」


「はいはい。薬草に負けるなよ、リオ坊ちゃん」


「坊ちゃんではない!」


 最後までからかってくる冒険者たちから逃げるように、リオはむっとしたままギルドの扉を開けた。



 朝のまぶしい光が差し込んでくる。


『最初の仕事が薬草採取とは思わなかった……』


 手には布袋と薬草図。

 腰には立派な剣。

 かなりちぐはぐな姿のまま、リオは町の東へ向かって歩き出した。


『でも、これも仕事だ。お金を稼がなければ、リオとして生きていけない』


 リオは薬草図をぎゅっと握る。


『リオとしての最初の仕事……薬草採取。必ず、成功させる!』


 妙な悲壮感と、妙に大きな気合いを背負って。

 元侯爵令嬢の初クエストが、幕を開けた。

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