第七章「公開茶番劇」
招待状が届いたのは、雨が上がった翌朝のことだった。
王宮での公式晩餐会。
王族主催の、年に数回しかない格式高い催しだ。
参加者は王都の主要貴族とその家族——つまり、社交界の全員が集まるといっても過言ではない。
マリーが封を開けながら、微妙な顔をしていた。
「お嬢様……これ、罠では?」
「かもしれないわね」
「かもしれない、で済む話ですか」
「断ったら断ったで『何かやましいことがある』と見られるわ。行くしかないでしょう」
マリーが深呼吸した。
最近、マリーの深呼吸の回数が増えている。
申し訳なく思わないではないが、どうしようもない。
晩餐会当日まで、私は情報収集に努めた。
今回の催しの裏で、ルーカスが何かを仕掛けようとしているという話は、すでに複数の筋から聞こえてきていた。
内容の詳細まではわからないが——おそらく、またあの手だろう。
公の場で私を断罪しようとする。
(懲りない人ね)
一度目は舞踏会だった。
あの場で世論を完全に失った。
それでも諦めないということは、よほど強い確信か、あるいはよほど強い感情が動いているのだろう。
どちらにせよ、対策は同じだ。
演じる。
今度は何を演じるべきか——私は数日かけて、慎重に考えた。
一度目は「悲劇の令嬢」だった。
それは成功した。
同じ手は使えない。
二度目に同じ涙を見せれば「またか」と思われる。
ならば今回は、泣かない方向で行く。
泣かずに、それでも心を打つ——それができれば、前回よりも大きな効果が出る。
(毅然とした被害者、ね)
これは難しい役どころだ。
感情を出しすぎれば「取り乱した」と見られる。
出さなすぎれば「冷たい」と思われる。
その絶妙な中間を、場の空気を読みながら維持し続けなければならない。
でも——だからこそ、やりがいがある。
晩餐会当日。
私は深紅のドレスを選んだ。
マリーが「今回は少し攻めた色ですね」と言ったが、意図的なものだ。
これまでの白や淡い色調とは変えた。
「もう傷ついて震えているだけではない」という意思表示を、服の色で伝える。
言葉を使わない表現というのも、演技の重要な要素だ。
会場に入ったとき、周囲の視線が集まるのを感じた。
深紅のフローラ・エーデルハイトは、以前とは印象が違って見えるらしい。
私は動じない。
ただ静かに、しかし確かな足取りで歩く。
晩餐が始まり、料理が並び、会話が弾む。
私は隣席の伯爵夫人と穏やかに話しながら、場全体の空気を絶えず測っていた。
そして食後の歓談の時間、それは来た。
「フローラ・エーデルハイト」
ルーカスの声が、広間に響く。
会話がひとつ、またひとつと止まっていく。
私はゆっくりと振り返った。
表情は動かさない。
ただ、まっすぐに彼を見る。
ルーカスの隣には、セシルが立っていた。
少し青ざめた顔をしている。
——この子は、今夜のことを事前に知っていたのだろうか。
「お声がけいただきましたか、殿下」
穏やかに、しかし芯のある声で言う。
震えはない。
媚びもない。
ただ、等身大に応じる。
ルーカスが胸を張った。
「この場を借りて、改めて言わせてもらう。お前はこれまで、王家の名誉を傷つける行為を繰り返してきた。その証拠も揃っている。公の場で釈明してもらおうか」
会場が静まり返った。
今度はどんな証拠が出てくるのか——皆が固唾を呑んで見守っている。
私は動じなかった。
内心では、素早く状況を整理していた。
(証拠、か。何を用意しているのかしら)
どんな内容であれ、私がここで取り乱せばそれだけで印象が悪くなる。
冷静を保つことが最優先だ。
ルーカスが懐から書状を取り出した。
「これはお前が侍女を通じて、セシルの評判を貶める噂を流させた証拠だ。複数の証言がある」
会場がざわめいた。
私は書状をちらりと見てから、ルーカスの顔に視線を戻した。
「……見せていただいてもよろしいですか」
「なに?」
「その書状を。証拠とおっしゃるなら、当事者である私にも確認する権利があるかと思いまして」
ルーカスが一瞬、詰まった。
予想していなかったのだろう。
「取り乱す」か「泣き崩れる」かを想定していた相手が、落ち着いて「見せてください」と言ってきた。
彼は渋々、書状をこちらへ差し出した。
私はそれを受け取り、丁寧に広げて目を通した。
内容を読みながら、私は脳内で静かに分析していた。
証言者の名前がいくつか並んでいる。
でも具体性に欠ける。
「そのような話を聞いた」という又聞きの証言ばかりで、直接の証拠がない。
読み終えて、私は書状をそっと折り返した。
それから顔を上げ、会場全体を静かに見渡した。
「……拝読いたしました」
声を低く、落ち着かせる。
怒りではなく、深い静けさを前に出す。
「この書状に記されている証言は、いずれも伝聞によるものです。私が実際にそのような行為をした、という直接の証拠は含まれておりません」
ルーカスの顔色が曇る。
「屁理屈を言うな! 複数の証言があるんだぞ!」
「殿下」
私は静かに彼の言葉を遮った。
遮った、というより——温度のない声で、すっと上から被せた、という感じだ。
「私はこの二ヶ月、できる限り慎んで過ごしてまいりました。婚約を破棄されたことも、追放を求められたことも、公の場で何度も断罪されたことも——それでも私は、殿下を悪しざまに言ったことは一度もございません」
会場が、完全に静まり返った。
私は続けた。
声は静かなまま。
でも一言一言が、広い会場の隅まで届く音量で。
「ですからこの証言が本当だとすれば、私には心当たりがございません。もし本当に私の侍女がそのようなことをしていたなら、私の監督不行き届きです。それについては謝罪いたします」
一拍置く。
この間が命だ。
「ですが——それは今夜、この場でなければならなかったことでしょうか」
ルーカスが黙った。
「公の晩餐会に招いておいて、皆様の前で証拠を突きつける。……殿下は、一体私に何をお求めなのでしょう」
言葉は責めていない。
声も責めていない。
ただ、静かに問いかけているだけだ。
でもその静けさが、却って重く場に広がった。
「……」
「……」
誰も口を開かない。
視線がルーカスに向いていく。
温かい視線ではない。
「なぜこんなことをしたのか」という、冷えた目だ。
セシルが隣でそっと俯いた。
ルーカスの顔が、みるみる赤くなっていった。
「そ、それは……お前が……」
言葉が続かない。
どう続けても悪手になると、さすがに気づいたのだろう。
私は静かに一礼した。
「失礼いたします」
それだけ言って、席に戻った。
背中には視線が刺さっている。
でも歩みは乱れない。
乱れてはいけない場面だから。
席に戻るまでの十数秒、会場は静寂が続いた。
それから堰を切ったように、囁きが広がる。
「フローラ様は何も悪いことをしていないのでは……」
「あの証拠では、さすがに……」
「殿下は一体、何がしたいのか」
「気高い方だ……あんな状況でも、取り乱さずに」
隣席の伯爵夫人が、そっと私の手に触れた。
「よくおっしゃいました、フローラ様」
「……ありがとうございます」
私はそれだけ答えて、ワインのグラスを静かに持ち上げた。
手は震えていない。
演技だから当然だ。
(今夜は上出来ね)
脳内でそっと呟く。
どんな難役でも、やり切った後の静かな充実感というのは前世から変わらない。
会場の奥で、ルーカスがまだ何か言っている声が聞こえる。
でも誰も相槌を打っていないようだ。
セシルがちらりとこちらを見た。
目が合う。
彼女の表情が、複雑だった。
感心しているような、困惑しているような——それが混ざり合った顔だ。
私はほんの少しだけ、微笑んで見せた。
セシルが小さく目を瞬いた。
晩餐会はその後、何事もなかったように進んだ。
少なくとも表面上は。
帰りの馬車の中で、マリーが珍しく何も言わなかった。
ただ膝の上で手を組み、じっと前を見ていた。
「マリー、どうしたの」
「……今夜のお嬢様は」
「うん」
「演技だとわかっていても、少し、胸が痛くなりました」
私は少しだけ驚いた。
「なぜ?」
「だって……あのお言葉は、半分以上本当のことでしょう。殿下に何度も傷つけられて、それでも静かにしていた——それは演技だとしても、本当のことでもある気がして」
しばらく黙った。
馬車の車輪が石畳を踏む音だけが続く。
「……マリーは、鋭いわね」
「お嬢様のそばにいると、鋭くなるしかないのです」
窓の外に夜の王都が流れていく。
灯りがいくつも瞬いていた。
本当のことと演技のこと。
その境界線は——自分でも、たまにわからなくなることがある。
でも今夜は、そのことをあまり深く考えないことにした。
幕は下りた。
それで十分だ。




