第四章「聖女より聖女っぽい」
セシル・モンテベルデが社交界に本格的に姿を現したのは、王都の孤児院への慈善訪問という形だった。
話を聞いたとき、私は思わず感心した。
なかなかいい切り口だ。
貴族令嬢が孤児院を訪問する——それだけで「慈悲深い」という印象が生まれる。
しかも場所が孤児院なら、子どもたちの笑顔という最強の小道具が使い放題だ。
(よくわかっているわね)
プロとして、素直にそう思った。
ただ同時に、別のことも考えていた。
その慈善訪問に、私も参加できないかどうか、だ。
理由を作るのは難しくない。
「エーデルハイト家としての慈善活動の一環として」という名目があれば十分だ。
主催はセシル側だが、参加者を拒む理由もないはずだ。
公爵家令嬢が来ると言えば、向こうも断りにくい。
マリーに手配を頼むと、案の定、受け入れの返事が来た。
(さて、準備しましょうか)
今回の役どころは「慈愛の聖女」。
これは清楚令嬢とは少し違う。
清楚は「控えめで品がある」が基本軸だが、聖女は「温かみと包容力」が核になる。
目の使い方が特に重要で、相手を見るとき、わずかに柔らかく細める。
それだけで「見守っている」という印象が生まれる。
服装は淡い青と白の組み合わせ。
装飾はさらに減らす。
慈善の場で煌びやかなものをつけるのは悪手だ。
当日、孤児院に到着すると、セシルはすでに来ていた。
淡い金の髪と、大きな翠の瞳。
確かに愛らしい容姿をしている。
子どもたちに囲まれて、ふわりと微笑んでいる姿は絵になっていた。
(ああ、なるほど。天然系の演出ね)
一目見て、私はセシルの戦略を読んだ。
作り込んでいるのに作り込んでいないように見せる——いわゆる「天然系」の技だ。
かなり完成度が高い。
社交界でここまで評判を得ているのも頷ける。
セシルがこちらに気づいた。
一瞬、表情が止まった。
ほんの一瞬だったが——私には見えた。
(あら。この子、気づいているわね)
なかなか鋭い。
セシルがふわりと微笑みながら近づいてきた。
「フローラ様、よくいらしてくださいました」
声は柔らかく、温かみがある。
よく作り込まれた声だ。
「ご招待いただいてありがとう、セシルさん。子どもたちのために何かできればと思って」
私も柔らかく返す。
声のトーンを少し落とし、穏やかさを前に出す。
セシルの目がわずかに細くなった。
笑っているのとは少し違う、値踏みするような細め方だ。
でもすぐに元の笑顔に戻る。
(できる子だわ)
お互いに当たり障りのない挨拶を交わしてから、活動が始まった。
子どもたちへの食事の配布、読み聞かせ、一緒に遊ぶ時間など、いくつかの段取りが組まれている。
セシルは子どもたちの輪の中へ自然に入っていった。
笑顔が絶えない。
声も明るく、子どもたちがよく懐いている。
同行してきた貴族たちが感嘆の声を上げていた。
「まるで本当の聖女のよう……」
「セシル嬢は特別なお方ですわ」
私はその様子をしばらく眺めてから、静かに動いた。
まず、端の方で一人でいた小さな女の子に近づいた。
三歳か四歳くらいだろうか。
人見知りなのか、皆の輪から少し離れて、膝を抱えて座っている。
私はその子の前にそっとしゃがんだ。
目線を合わせる。
子どもと話すときは目線を合わせるのが鉄則だ。
これは演技技術ではなく、前世で子役と共演した俳優仲間から教わったことだ。
「一人でいるの?」
小さな声でそっと聞く。
女の子がこちらをちらりと見た。
警戒している。
私は急がない。
無理に笑いかけない。
ただそこにいる。
しばらくそうしていると、女の子がぽつりと言った。
「……こわい」
「そう。知らない人が多いものね」
私は頷いた。
批判しない。
励ましすぎない。
ただ「そうよね」と受け取る。
女の子が少しだけ、体の力を抜いた。
「……おなまえ、なんていうの」
「フローラよ。あなたは?」
「……リリ」
「リリ、いい名前ね」
それだけ言って、私はリリの隣に腰を下ろした。
一緒にぼんやりと、皆の様子を眺める。
しばらくすると、リリが私の袖をそっと掴んだ。
小さな手だ。
私は何も言わずに、その手を優しく包んだ。
——どのくらいそうしていたかわからない。
気づくと、周囲が静かになっていた。
顔を上げると、いつの間にかかなりの人数がこちらを見ていた。
孤児院のシスターたち、同行してきた貴族たち、そして子どもたち。
誰も声を出さない。
リリが私の膝に頭を乗せて、眠っていた。
(あらまあ)
完全に計算外だった。
子どもが眠くなっただけだ。
ただそれだけのことなのに——なぜか周囲の目が潤んでいる。
「……なんと」
「フローラ様……」
「あの子は人見知りで、いつも誰にも近づかないのに」
シスターの一人が口元を押さえた。
私は内心で首を傾げながら、表情だけは穏やかに保った。
(別に大したことはしていないんだけれど)
でもまあ、結果的に印象は良くなっているのだから、深く考えるのはやめることにした。
セシルがこちらを見ていた。
輪の中心にいた彼女が、いつの間にか少し離れた場所に立っている。
その顔が——笑っていなかった。
正確には、笑おうとしているのに表情が固まっている、という状態だ。
目が合った。
私はにっこりと笑った。
セシルも笑い返した。
でもそれは、どちらも少しだけ複雑な笑みだった。
帰り際、セシルが私に近づいてきた。
「フローラ様は……お子さんがお好きなのですか?」
探るような声だった。
「そうね、嫌いではないわ。でも特別得意というわけでもないの」
正直に答えた。
これは本当のことだ。
セシルが少し黙った。
「……先ほどのリリは、普段は誰にも懐かない子なんですよ。シスター方も長年頭を悩ませていて」
「まあ、そうなの」
「フローラ様は、何か特別なことをされましたか?」
「何もしていないわよ。ただ隣に座っていただけ」
これも本当のことだ。
本当のことなのだが——セシルの顔が、何とも言えない表情になった。
「……そうですか」
それだけ言って、セシルは視線を落とした。
何か考えているようだった。
馬車に乗り込むとき、私はふと振り返った。
孤児院の入り口で、セシルがまだ立っている。
その目が、じっとこちらを見ていた。
敵意ではない。
でも好意でもない。
——何かを測っているような目だ。
(なかなか面白い子ね)
そんなことを思いながら、馬車の扉を閉めた。
翌日、孤児院での出来事はあっという間に広まった。
「人見知りの子どもが懐いた」という話が、なぜか非常に大きく語られている。
しかも話が伝わるたびに少しずつ盛られて、「孤児院の子どもたちが皆、フローラ様に懐いた」という話になっていた。
(話が大きくなっているわね)
マリーが呆れた顔でその話を伝えてきた。
「民衆の間でも広まっているようで……フローラ様が孤児院で聖女のように子どもたちを慈しんでいた、と」
「ただ隣に座っていただけよ」
「存じております」
マリーの声に、深い疲労が滲んでいた。
「お嬢様は、何をするにも絵になりすぎるのだと思います」
「それは褒めているの?」
「半分は褒めています。残りの半分が何かは、聞かないでください」
忠実な侍女だ。
本当に。
セシルからは、数日後に手紙が届いた。
短い文面だったが、最後の一行だけが印象に残った。
——「フローラ様のことを、もう少し知りたいと思っています」
(ほう)
これは敵対の手紙ではない。
かといって、ただの社交辞令でもない。
何か別の意図がある。
私はしばらくその手紙を眺めてから、返事を書いた。
「ぜひまたご一緒しましょう」という、無難な内容だ。
でも書きながら、少しだけ興味が湧いていた。
セシル・モンテベルデという少女は、想像していたより面白いかもしれない。
計算して「天然」を演じている子だ。
ということは——何かを目指している。
何のために、誰のために演じているのか。
それが少しだけ、気になった。
(まあ、追々わかるでしょう)
窓の外で、王都の夕暮れが広がっていく。
今日も舞台は無事に終わった。
明日も、きっとまた何かが始まる。
女優というのは、休演日がないものだ。
——それは前世でも、この世界でも変わらない。




