魔法の使い方
一人ではない、久しぶりの団らんの時間が思いの外心地よく、気がつけば夜も更け始めていた。
「おや、もうこんな時間になってたのか。じゃあシャワーでも浴びてくるか。
リリー、工房に戻るならここの電気は消しちゃって」
「うん、わかった」
レイトは脱衣所に移動し、熱いシャワーで一日の疲れを流した。
寝室に戻るときも工房からはまだ明かりが漏れていた。
緑の扉を開け寝室に入るとベッドに倒れこむように横たわる。
「長い一日だったな……」
ぼそっと一人呟き、程よい疲労感に包まれながら自然と瞼が重くなっていく。
夢と現実の間を行ったり来たりしてるうちに、本格的に睡魔に引きずり込まれていった。
どれほど眠ったか、夢うつつの中ふっと目が開いた時、突然ズンッと大きく空気が歪んだ。
「えっ!? 地震か? いや、夢?」
その直後、レイトの背筋に凍てつくような悪寒が走り、魔力探知が強大な力に反応する。
嫌な予感がしてベッドから飛び起き、寝室の扉を開けると工房からおどろおどろしい不穏な魔力が溢れ出している。
「な……なんだ、これ」
今だ現実のものか正確な判断ができないまま、工房の中に声を掛ける。
「リ、リリー? 大丈夫?」
工房に顔を覗かせた次の瞬間、レイトの左頬を何かが切り裂いた。
血が頬を伝い、痛みと共に瞬時に冷静さを取り戻し、いまが間違いなく現実であり、傷もかすり傷であることを認識する。
再度工房内を確認すると魔導書を前に困惑と焦りの表情で動揺したリリーと、邪悪で禍々しい魔力を纏ったドクロの怪物が魔法陣から姿を現し始めている。
「暗紫黒の死神……? し、召喚魔法か⁉」
すぐさま部屋に飛び込み、リリーの腕を掴んで自分の後ろへと下がらせる。
「し、師匠…… なんか、ヤバいのが出てきちゃって……」
「説明は後で聞くから! 後ろに隠れて!」
リリーはレイトの上着を掴み、怯えながら状況を見守る。
恐らくレイトの頬も切り付けたであろう大鎌を振りかざし、今にも襲い掛かってきそうな死神。
それに一切怯むことなくレイトは封印を試みる。
「……闇より出でし悪しきもの。聖なる烈光の名のもとに金色の門を閉ざす……」
するとレイトの手からいくつかの金色の帯が現れ、死神を捕縛する。
暴れ騒ぐ死神の声にリリーは耳を塞ぎ、レイトの後ろで小さくうずくまる。
捕縛する金色の帯はさらに増え、より強い力で締め上げると徐々に弱体化し小さくなっていく。
帯を操るかのように腕を振り、さらに弱り小さくなった死神を魔導書の上にまで引き寄せる。
魔法陣の中央に両手で押し込むようにすると、金色の光が爆ぜて死神は魔法陣へと吸い込まれていった。
ふうっと一つ大きな息を吐いて、なんとかうまくいったことに安堵する。
直後、後ろにいたリリーが背中に抱きついてきた。
その手はまだかすかに震えている。
「……ごめんなさい……」
リリーが消え入りそうな小さな声で呟いた。
レイトは驚いて振り返り、リリーの両肩に手を乗せ、目線を合わせるように中腰になる。
「リリー、ごめんなさいを知っているの?」
本人も今気づいたようにハッとする。
「あれ? リリー、 その目……」
発した言葉に驚いたのも束の間、覗き込んだ顔を見て気付く。
リリーの瞳がいつもの瑠璃色から鮮やかな深紅に変わっていた。
よく見るときれいな銀色の髪にも何本かの毛束が同様に深紅に染まっている。
不可思議な現象が立て続けに起こり、レイトの頭の中は混乱し、言葉も出てこない。
「あ、師匠…… ほっぺにキズが……」
左の頬にリリーの冷たい指先が添えられて、我に返った。
「あ、あぁ。これは大丈夫、かすり傷だ。 リリーは大丈夫? ケガはないかい?」
「うん、リリーは平気。大丈夫。 それよりもリリーの目、何かあった?」
「え? だって、ほら……」
本人は全く気付いてもいないようだ。
色が変わっていることを伝えようとした瞬間、すぅ~っと瞳の色はいつもの瑠璃色に戻り、深紅の毛束も銀色に戻っていた。
「え…… どういうこと?」
レイトはさらに困惑を極める。
リリーも何が起きているのか、きょとんとした顔でレイトの顔を伺う。
「……よし、いったん落ち着こう」
レイトはリリーの手を取ってダイニングに移動し、椅子に座らせた。
冷蔵庫から牛乳瓶を取り出し、鍋に入れ温め始める。
「心が落ち着くから」
そう言って温まった牛乳をカップに入れ、一つをリリーに差し出す。
二人とも一口すすり、ホッと一息ついた。
それからレイトは穏やかな優しい口調で話を始める。
「もう夜も遅いから手短に整理して話をしよう。 まず、リリー。一体何が起こったんだい?」
「ん~、手に取った本をずっと読んでたんだ。楽しくて。それでその中の一つをやってみようかな、って……」
レイトはいったん席を立ち、工房へ入るとさっきの魔導書を手にして机に戻る。
「読んでた魔導書はこれだよね?」
「そう、召喚魔法の本」
「ちなみにこの本、どこまで読めたの?」
「ん~っと、半分くらいかな。途中であんなのが出てきちゃったから」
「リリー。もう一回確認するけど、この本、読めたんだよね?」
「うん、読めるよ。意味までは分からないのもあるけどさ」
極力顔には出さないように平静を装うが、とんでもない驚きだった。
よりにもよってこんな難しい古代文字で書かれたものが読めてしまうとは……
しかもさっき見た『暗紫黒の死神』はS級レベルのモンスターで、並大抵の魔力では召喚することは難しい。
仮に召喚できたとしてもその強さ故、召喚者自身にも危険が及ぶ。
今回封印できたのもまだ召喚途中の未完成状態だったことも幸いし、完全体であったならばどうなっていたことか、考えることすら恐ろしい。
そんなリスクある召喚モンスターだからこそ、召喚しようとする者もほぼおらず、前例の無い術式の解読だけでも相当な時間が掛かる。
それをこんな短時間でいとも簡単に……
初めて会った時の魔力探知の件からずっと気にかかっていたものが確信に変わる。
この少女の内にはとんでもない魔力と知識を秘めている。おそらくエルフやフェアリーにも勝るとも劣らないほどの……
だがそれの正しい使い方、制御の術を知らず、善悪の判別が利かない、極めて危険な状態にあるといえる。
その素性や謎に気がそそられるものの、何よりもまずは自分の側にいる間だけでもその能力を有することの大切さを教え、大人達の醜い政戦に巻き込まれないよう守らなければ、と使命感にかられた。
「そ、そうか…… あとは、『ごめんなさい』を知っていたね?」
「うん、なんでだろ? わかんないけど喋ってた。でも、今もちゃんと意味を覚えてるんだよ。いけないこととか悪いことしちゃったら使う言葉だよね?」
「そうだね。ちゃんと意味まで理解して使ってたんだ…… でも何で知ってたかまではわからない、と」
瞳や髪の色が変わるあれと何か関わりがあるのか。
でもそれすら本人が認識できていないということは、今のところこれ以上は進めないか……
レイトはまだ温かい牛乳を飲み干し、真剣な顔でリリーに話を続ける。
「いいかい? リリー。今からとても大切な話をするね。
リリーには恐らく、とても大きな魔力が眠っているんだ。
それは魔法使いにだってなれるくらい強力で、魔道具の生成にも役に立つ、とても大切な力なんだ。
もちろん誰でも持っているわけではなくて、女神様に選ばれた人だけが持つ特別な力だ。
でもそれは時に偏った知識や間違った使い方で、人を傷付けたり、誰かを苦しめたり、世界を滅ぼすことだってできてしまうかもしれない。
リリーにその気がなくても、リリーを利用しようとする悪い奴らも現れたりする。
おれはリリーの特別な力をそんなことに使われて欲しくないんだ。
この力は大切な人やそばにいる守るべき人達のために使われなければいけないと、おれは思ってる。
弟子である以上、リリーにもそうであって欲しい」
気が付けばテーブルの上にあったリリーの手を両手で強く握っていた。
「……魔法は、特別で、大切…… うん。わかった」
リリーは握られた手を見つめながら頷く。
「だからこうしよう。工房の魔道書は今まで通りいくら読んでも構わない。
でも、召喚も生成も一人で試すのはダメ。さっきみたいに危ないことも起きてしまうからね。
だから試すのはおれと一緒の時にだけ。魔道具の生成や開発も少しずつだけど一緒に教えていくからさ。約束できるね?」
「うん。もう一人じゃやらない。師匠と一緒の時だけ」
さすがに怖さが堪えたのか、リリーは素直に従う。
本人はそれよりも、魔法を教えてもらえる嬉しさで瞳を輝かせる。
「リリーの魔法はさ、ごめんなさいはもう嫌だな。ありがとうの魔法のほうがいいや」




