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最初の夜

 ともあれなんとか無事に帰宅することができた。

寝具をソファに、お土産をテーブルに置いて二人は向かい合わせで椅子に座る。

心配していたよりもみんな快く受け入れてくれたこと、むしろ協力的だったことへの安堵と肉体的な疲労から自然と大きな溜息が出る。

「疲れたろ? コーヒーでも飲むかい?」

「コーヒー? 何だろ? うん、飲む」

レイトは立ち上がり、湯を沸かし、ミルとカップを準備をする間、目の前にいるこの少女との共同生活について考えを巡らせていた。

テーブルの上でガリガリと豆を挽き、ドリッパーをセットし蒸らしながら抽出すると、部屋中に芳醇な香りが溢れ出す。

リリーは一連の作業をじっと見つめている。

「これも魔法?」

「いや、これは魔法ではないよ。料理に近いかな」

何の線引きか、こだわりの作業を魔法にはしたくなかった。

「いい匂いだね、またおいしい匂い」

挽きたてのコーヒーをリリーに差し出す。

「熱いから気を付けて」

リリーは口を尖らせふぅふぅをして一口すする。

「……うが、 また苦いやつだ。 ……クレイのと一緒」

レイトはちょっと意地悪をしていた。

クレイの店での一件でリリーは苦いものが苦手なことは覚えている。

おそらくブラックコーヒーもそうだろうと思って、わざとそのまま差し出したのだ。

予想通りの反応に笑顔が溢れる。

「ごめん、ごめん。ついもう1回見たくなっちゃって。 ちょっと待ってね」

そう言うと冷蔵庫から白い牛乳瓶と琥珀色の蜂蜜壺を取り出すと慎重にカップに注ぎ入れる。

「これでどうだい?」

混ぜ合わされた液体が艶のある黒から柔らかな茶褐色に変わるのを見て、訝しみながらおそるおそる口に含む。

「あ! 味も変わった。 甘いしおいしくなった!」

驚きと共に満足げな笑みを浮かべる。

自身も上出来な自作コーヒーを一口すすり、ようやく一息ついた。

しばらくしてレイトが切り出した。

「少しだけこれからの話をしようか」

飲みかけのカップをテーブルに置くと、リリーも同じようにカップを置いてじっとこちらを見据える。

「改めて、リリーの身元や帰る場所がわかるまではここで暮らしてもらって構わないよ。

 その間は自分の自宅と思って部屋や物も自由に使って。

 もし何か足りないものや必要なものがあれば遠慮なく言ってくれれば用意するから。

 あと、何か思い出したことがあれば必ず伝えること。小さなことでも何かのヒントになるかもしれないし」

「うん、わかった」 リリーが頷く。

「えーっと、じゃあ小さい家だし説明するほどでもないけど。

 まずここがリビングダイニングでこのテーブルで食事をしたり、好きに寛いでほしい。

 お客さんが来たときもここで依頼を聞いたり、説明したりと頻繁に使うから一応キレイにしておこうね。

 冷蔵庫も自由に使って。 あ、食べ過ぎは注意だぞ?

 で、そこの緑の扉の部屋が寝室。 いつもは自分が使ってたけど、ベッドがここにしかないから今日からはリリーが使って。

 そっちの青い扉を開けると脱衣所で奥にお風呂とお手洗いね。

 あと今日来たときに覗いてたけど、そっちの扉の無い部屋が工房ね、魔道具を作る部屋。

 自分は今日からこっちで寝るから何かあったら声かけて」

ざっと説明するとリリーが工房を指差している。

「リリー、ここで寝る。ここがいいよ」

「いや、こっちは散らかってるし、埃っぽいし、扉もないから。その……丸見えだし。ベッドもそんなに汚れてはないから平気だと思うけど?」

「ううん、ここがいい。なんかここが落ち着くんだ」

リリーは工房が相当気に入ったのか、頑なに譲らなかった。

ひとまずソファに置いた布団を工房に運び入れ、敷く場所を探すがもはや作業台の下しかスペースがなかった。

散らかった本や道具を脇に寄せ、スペースに布団を敷くとすぐさまリリーが転がり始める。

「へへへっ、気持ちいいね、ふかふか」

作業台の下の狭い空間に、可愛らしい小動物の巣が出来上がった。

挿絵(By みてみん)

満足げにゴロゴロと寝返りを繰り返すリリーを見ると、説得する気すら失せ、自然と笑みがこぼれた。

「本も読んでいいの?」

「ああ、好きに読んでいいよ。難しい文字の書も多いけど」

目を輝かせ、フンフンッと声にもならない歓喜の息を吐く。

レイトはテーブルへ戻ると飲みかけのコーヒーをすすり、話を続ける。

「あと、最後にもう一つ。一応弟子っていう扱いで一緒に暮らすわけだから、明日からお客さんの対応や簡単な店の仕事を手伝ってもらおうかな、と」

「え! リリーも魔法の道具、作っていいの⁉」

工房からドタバタと飛び出し、目をキラキラと輝かせながらテーブルに駆け戻る。

「ん~、魔道具の生成はすぐにできるかわからないからね。少し様子を見ながら練習してみようか」

「うん、そうする!」

「とりあえず仕事についてはまた明日ゆっくり説明するとしよう。さて、そうしたら夕飯はどうしようか? 桃まんも食べたけどお腹は空いてる?」

「うん、食べる。ゼン爺さんのパン食べたい」

「おぉ、いいねぇ。じゃあ食パンは明日の朝にして、バゲットに合う簡単なものでも作るか~。じゃあ、その間にリリーは先にシャワーでも浴びてくるといい」

メリルが用意してくれた衣類の山の中から寝間着や肌着を用意させ、脱衣所を案内する。

タオルの場所やお湯の出し方など、一つ一つ丁寧に説明し終えると、青い扉を閉めふぅっと小さく息を吐く。

「よし、じゃあ取り掛かるか」

レイトは大きな鍋に湯を沸かし始める。

すぐに隣でニンニクと鷹の爪を刻み、沸騰した湯にパスタを放り込む。

フライパンにオリーブオイルを注ぎ入れ熱すると、刻んだニンニクと鷹の爪をさっと炒める。

ゼン爺さんのバゲットも切り分け、トースターで焼く。

プロ顔負けの鮮やかな手際の良さで、瞬く間に仕上がっていく。

リリーが風呂から上がり脱衣所の扉を開ける頃には、食欲を掻き立てるガーリックの匂いと、バゲットが焼ける香ばしい香りが部屋中に満ちていた。

「すごいね、師匠。お風呂出たらもうおいしい匂いになってる!」

興奮気味に椅子に座ったリリーはもう待ちきれないといった顔でレイトの作業を見つめる。

「あ、ちょっと待って、リリー」

レイトは脱衣所からバスタオルを持ってきて椅子に座るリリーの背後に立つと、おもむろに濡れた長い髪を包み込んだ。

挿絵(By みてみん)

「長いから乾きづらいよね。寝間着が濡れちゃってるよ」

毛先からポタポタと雫が垂れ、寝間着の背面と床を濡らしていた。

包み込んだタオル越しに髪を絞り、ワシャワシャと拭きあげる。

「ゔぅ~、頭が……揺れるぅ~」

リリーはされるがまま、おとなしく頭を揺さぶられている。

ひとしきり拭きあげると、タオルで髪を包み込み、ターバンのように巻き上げた。

「よし、こうしとけば食べるにも邪魔にならないでしょ」

「ほんとだ、びちょびちょじゃなくなった」

不快感から解放され、満足げな表情を浮かべる。

挿絵(By みてみん)

「じゃあ、パスタをよそうからリリーはこの布巾でテーブルを拭いて、冷蔵庫からりんごジュースを用意して」

「うん、りんごジュース」

レイトの指示通り食器を出し、食材を運ぶとテーブルの上にはパスタと焼いたバゲット、りんごジュースが並べられる。

「もう食べてもいい?」

「どうぞ~。そんなにお腹減ってたんだ」

拙いフォーク使いでパスタをすするリリー。

口一杯に頬張りながら、目の前で器用にクルクルとパスタを巻き取るレイトの手先を凝視する。

すぐさま見様見真似でフォークを回すが、レイトほどうまくは巻き取れない。

続けてレイトが焼き立てのバゲットをちぎり、パスタのソースにつけて口に入れる。

その食べ方も真似てみると驚くほどに旨かった。

「これ、すごいおいしいね、師匠! ゼン爺さんのパンも師匠のソースも!」

「そいつはよかった。ゼン爺さんのバゲットはやっぱり最高だ」

「師匠もおいしい人だしさ、師匠の周りはおいしい人がいっぱいだ。 あ、クレイは別か」

リリーの言う『おいしい人』という表現が妙にツボにはまり、別枠にされたクレイの嘆く姿を想像するとなお笑いが止まらなくなった。

「リリー、クレイも本当はおいしい人なんだよ。また今度一緒に食べ行こう」

クレイの名誉のために一応フォローしておいた。

今日起こった出来事を思い出し、笑いながら賑やかに夕餉が進む。

半日を共にして当初よりはさすがに馴れてくれたのか、交わす言葉も笑顔も増えたことに安堵する。

一足先に食事を終えたレイトは温め直したコーヒーをカップに注ぎ、一口すすりながらソファへと移動し、柔らかな座面に深く身を委ねた。

「ふぁ~、今日もいい一日だった」

背もたれに頭を乗せ、満足げな表情で天井を見上げる。

「いい一日?」

「あぁ。食事もおいしかったし、コーヒーもうまくできた。お土産もいっぱいもらったし、みんなの笑顔もたくさん見られた。

 こんなにたくさん素敵なことがあった日はめちゃくちゃいい一日でしょ」

「そっか。おいしいのが食べられた日はいい日なんだ」

「そうさ。いっぱい笑えたり、ありがとうがたくさん言えた日もいい日だね」

リリーも食事を終え、りんごジュースを手にレイトの横にちょこんと座る。

挿絵(By みてみん)

「じゃあ、リリーもいい一日だったよ」

「一日の終わりにそう思える日が毎日続くように、ほんのちっちゃな幸せをいっぱい見つけるんだ。リリーにもそんなステキな毎日を送ってもらいたいなって」

「ふぅ~ん、わかった。明日もおいしいの食べて、ありがとうもいっぱい言うよ」

大事そうにりんごジュースのコップを両手で抱えながら、床に着かない足をパタパタと揺らす。

「師匠にも逢えたからね。いい日だったよ、絶対」

あまりにも突然の言葉に意表を突かれたレイトは返す言葉もなく、ただ胸の奥がこそばゆく温まっていった。

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