ゼン爺さんとパン
広場へ近づくにつれ人の波はさらに増え、石畳の街道は活気に満ちていた。
はぐれないようにリリーの小さな手をしっかりと握り続けた。
熱を帯びた頬もまたそのままに…
「やっと広場へ着いたね。 ここがこの町の中心だよ」
日用品の雑貨店や本屋、服の仕立て屋、花屋や診療所、教会など多くの建物が広場を取り囲むように並ぶ。
色とりどりの新鮮な野菜や見たことのない魚、見るからにうまそうな加工肉など食品を扱う小さな露天も軒を連ねる。
休日には露天のテントはもっと増え、マルシェが開催さる。
「お店の数も多いからある程度の生活品ならここで揃うかな。 少しお店も見て回るかい?」
リリーは手を強く握り大きく首を振った。
意外だった。
好奇心の塊と思っていたから、飛び跳ねてあちこち見て回るものと勝手に想像していた。
よく見ればリリーの手は少し震え、怯えているように感じられた。
「あ! もしかして人混みがダメだった? 他へ行こうか?」
リリーは小さく頷く。
足早にリリーの手を引いて雑踏を抜け、広場の裏手から登れる小高い草原へ向かった。
草原では春風が頬を優しく撫で、草花が風に揺れる音が心地よく響いていた。
程よい木陰を見つけ、二人は草の上に腰を下ろした。
「すまなかったね、気付くのが遅くなってしまって」
「ううん、大丈夫。ちょっと息が、苦しくなっただけ……ここは気持ちいい」
銀色の髪が春風に踊り、リズムを合わせるように少しずつリリーの顔に明るさが戻ってくる。
「陳さんの桃まん、まだ温かい。食べていい?」
「お! いいねぇ。 歩いたからちょうど小腹も減ってきたし」
嬉しそうに桃まんを取り出し、温かな蒸気がほわっと広がる。
小さな手で桃まんを半分に割ると、中から湯気立つ餡子が溢れ出す。
「ほら、見て師匠! おいしいやつだ‼ 師匠も食べる?」
半分に割った片割れをレイトに手渡す。
「ん! うまい! やっぱり陳さんの点心は絶品だな!」
餡子の優しい甘さと陽気が相まって、心がほっこりとする。
広場の向こうには黄金色の波がさざめく小麦畑が続いている。
レイトは右腕を上げ、その中にあるひときわ大きな水車を指差した。
「リリー、見えるかな、あそこの水車」
「んー? どれ?」
リリーは桃まんを頬張ったまま、首をかしげる。
「あの小麦畑の真ん中にある、 あれ、そうそう。 黄色い屋根の向こう側の、そう、それ!」
「あの水車はこの町のシンボルなんだって。ゼン爺さんっていう町長さんが管理しててさ。食べ終わったら最後にゼン爺さんのところに挨拶して帰ろうか? 歩き疲れたかい?」
口一杯に頬張ったほっぺたがパンパンにはち切れそうな顔で首をブンブンと横に振る。
お腹も満たされ、もう復活したようだ。
口に詰め込みすぎて喉がつかえたのか、ケホケホと咳き込み始めた。
慌てて彼女の背中を優しくトントンと叩き、擦るように撫でると、咳は次第におさまってきた。
「無理にいっぺんに食べるからだよ、気を付けなきゃ」
少し照れたようにへへっ、とはにかむ。そんな顔がまた愛らしい 。
「さて、じゃあ下に降りたところで水でも買って水車まで行きますか」
咳き込んだリリーが少しだけ心配で水を買い与え、住宅街の路地を通り抜けて広場を迂回するよう歩き出す。
小麦畑へ続く緩やかな坂道を眺めながら、リリーの隣をゆっくりと歩く。
舗装されていない土埃舞う細道には、干し草の束が無造作に置かれ、遠くからは牛の鳴き声がかすかに聞こえる。
午後の陽射しが斜めに傾き始め、金色の麦穂が風に揺れるたびキラキラと輝いていた。
しばらく行くとゼン爺さんの畑仕事仲間に出会った。
聞くとついさっきまで一緒にいて、畑仕事を終えて別れたばかりだという。
別れ際に老人から『さようなら』と告げられるとリリーがはっと気づき、ここぞとばかりに『さようなら返し』をする。
「ふふっ、『さよなら』早速使えた、ね? 師匠。 見てた?」
レイトは右手をリリーの頭に手を乗せると髪をワシャワシャっとかき混ぜ、続けてポンポンっと優しく弾ませた 。
「ん~? なんだ? 今のは何?」
リリーが不思議そうにレイトを見上げる。
「今のは魔法が早く上達する魔法さ」
リリーは目をキラキラさせてレイトのシャツの裾をグイグイ引っ張る。
「師匠はそんなすごい魔法も使えるんだ!」
鼻息も荒く興奮している。
……しまった、と思った。
魔法に対して素直に、真っ直ぐに、純粋に接する姿が嬉しくて、眩しくて、無意識に頭を撫でていた。
照れ隠しにそれを魔法だと教えた。
挨拶の呪文もそうだが、意味合いをねじ曲げて伝えているわけでもないから全くの嘘……ってわけでもないし、からかっているつもりもないけど。
こんなに喜ばれると少しだけ罪悪感みたいな後ろめたさを感じなくはない。
けれど本人がこんなに魔法に興味を示し、前向きに捉えていてくれるのであればそれも良しか、と自分を納得させた 。
「師匠!今の魔法、もう一回やって! リリーにもっともっとやってよ!」
裾を引っ張る力がどんどん強くなる。
「お、落ち着け、リリー! この魔法は一日に何度もくらうと、その晩の夢に魔王が現れて呪いをかけられるんだ。一週間、悪夢で眠れなくなり、ご飯も食べられなくなるんだぞ?」
「え…… そ、それはやだな、怖い」
「だろ? だから一日三回までが限界なんだ」
「んっと、じゃあ、あと二回か…… ちょっと怖くなったから、また今度でいいや」
裾から手が離れた。
「さぁ、もう少しだから急ごうか」
足早に歩き始めると少し怖がらせ過ぎてしまったか、リリーはまた裾の端っこをちょこんと摘まみながら後ろを着いてくる。
ゼン爺さんの自宅へ着くと彼は自宅前に腰かけ、すぐ近くにある水車が回る様子を眺めていた 。
「ゼン爺さん、こんにちは」
レイトが挨拶をすると長い髭を蓄えた老人の顔はクシャクシャの笑顔になる。
「おや、レイトじゃないか。 久しぶりだね。元気にしてたかい?」
優しい空気が辺りを埋める。
みんなと同様にリリーを紹介し、弟子であることを伝えた 。
「そうか、そうか。レイトも弟子を取ったか。お前さんは腕がいいからの、そのほうがよいじゃろ。町のみんなも助かるわぃ」
何の迷いや疑いもなく受け入れてくれたことに少し照れ臭さを感じた。
例の如くリリーはレイトの後ろで辺りを興味深く観察しながら、ゼン爺さんの自宅の煙突から立ち上る煙を眺めていた。
鼻をクンクン鳴らして周囲の匂いを嗅いでいると、ゼン爺さんの自宅から香ばしいパンが焼きあがる匂いがすることに気づいた。
「お嬢ちゃん、だいぶ鼻が利くのぉ?」
「うん、いい匂い。 またおいしい匂いだ。ここ、このお家から」
ゼン爺さんの自宅の玄関を指差す。
「フォッフォッフォッ。お嬢ちゃんはなかなかやり手じゃのぉ。正解じゃ。ちょうどパンを焼き上げておったんじゃ」
リリーは鼻を鳴らす。
「ゼン爺さんはさ、自分で小麦を育てて、あの水車の動力で挽いて小麦粉にして、その小麦粉でパンを焼いてくれるんだ」
リリーは小首を傾げる。理解が追い付いていないようだ。
「フォッフォッフォッ。 いいんじゃよ、途中なんて知らんでも。食べてくれたらわかるからの、うちの小麦は旨いからのぉ」
「食べたらわかる? パン食べられるの?」
餌を待つ子犬のようだ。
「あー、わかるさ。 一つ持って帰りんさいよ。 レイト、帰って食べさせておあげよ」
ゼン爺さんは家のなかに入っていった。
「タイミング良かったな。ゼン爺さんの焼くパンは絶品だぞ? でももう歳だからそんなにいっぱいは作れないらしくて。幻のパンだな」
「幻のパン……もうおいしいね」
しばらくしてゼン爺さんがバゲットを一本、食パンを一斤用意してくれた。
「どっちもうまいからのぉ 両方試してみんさいゃ」
リリーに手渡される。
「……うん、 ありがとう」
ゼン爺さんは髭を撫でながらまたクシャクシャに笑った。
最後にしっかり『さようなら』も放ち、水車小屋を後にした。
「ゼン爺さんは倒れなかったね?」
リリーがポツリと呟く。
「リリーの呪文で倒れるのは今のところ陳さんだけだよ」
夕陽が眩しく影を伸ばし始めた頃、二人は笑い話に花を咲かせながら帰路に就く。
リリーは幻のパンという言葉にそそられながら、指先でバゲットの表面をそっと撫でると、焼き立ての硬い皮の感触に胸を躍らせる。
それにしてもこの子は頂き物の天才なのだろうか。
リリーの両手に抱えられたパン。リリーの手に余り、今は自分の手にあるメリルのアップルパイと陳さんの桃まんの包みを見て今更ながら驚いた。
そもそもこの町の人は優しくて気前の良い人が多い。
人の温かさが気に入ってこの町に住むことを決めたんだった。
どちらにせよ近いうちに何かお返しできないものか……
そんな思案をしながらりんご園を通り過ぎようとしたとき、メリルが駆け寄ってきた。
「あんたー、ちょっと、あんたー!」
相変わらずでかい声だ。
「良かった、帰り道でまた通るかなと思っていたから。 ちょっと手伝ってよ」
促されるままに再度メリルの自宅前へと移動する。
するとメリルはレイトの腕を引っ張り、リリーに聞こえないように耳打ちをする。
「あんた、どうせ寝床のベッドは一個でしょうに。 まさかあんな年頃のお嬢ちゃんと寝床まで一緒なんてこと……」
一人で顔を赤らめる。
「つ、使ってない寝具が一式あるから持って行ってちょうだいよ。 お、お節介で申し訳ないんだけどさ」
……いや、すっかり忘れていた。
忘れていたというよりは何も意識すらしていなかった。
いつまでいるかはわからないとはいえ、今日からあの狭い家で一緒に暮らすという現実。
安堵とも不安とも取れない深いため息を吐く。
「メリルさん……めちゃくちゃ助かります。遠慮なくお借りします」
メリルもなぜかホッとしたように胸を撫で下ろす。
「そ、そうよね。 お節介ついでに娘が年頃の時に着ていた服やらも見つかったからさ、一緒に詰めとくから。まぁ他にも何か必要なものがあったらいつでも来てちょうだいよ。男臭いあんたの家じゃ、足りないものだってあるでしょうから」
そういって笑い飛ばした。
レイトは両手に寝具を持ち、背中に衣類を詰めた布を背負い、リリーはこぼれ落ちそうなほどのお土産たちを抱えて家に到着した。




