クレイと陳さん
メリルのりんご園の小道を抜けて街道に出ると、行き交う人の波が増えた。
しばらく行くと向こうから見知った顔が声をかけてくる。
「おーい、旦那ぁ。 もう昼飯は食ったかい?」
目の前にある食堂の店主、クレイだった。
クレイは筋骨隆々でおよそ料理人には見えないが、彼のごつい腕が作り出す味は繊細でどれもほぼ間違いなく旨い。
足繁く通っているうちに意気投合し、会えばこうして声をかけてくれる。
すぐ横を歩く銀髪の少女に気づくなり、クレイが慌てふためく。
「ちょ……だ、旦那! つ、ついに旦那にもこの日が、ちょっとー! 陳さん!ちょっと来てよ!陳さん‼」
……盛大に勘違いをしている。
止めようとした腕は振り払われ、話も聞かずクレイが陳さんを大声で呼び続ける。
陳さんはクレイの食堂の三軒隣で中華料理店を営む料理人だ。
お互い同業の商売敵ではあるが仲は良く、切磋琢磨しながら良きライバルとして腕を磨いているようだ。
「騒がしいよ、クレイ。 何事よ?」
店から出てきた陳さんの視線が、騒ぐクレイに気づくよりも先にリリーを捕らえ釘付けになる。
陳さんは固まり、手に持っていた調理途中の葱をポトリと落とす。
もはやクレイの騒ぎ声など届いていない 。
「て、天女様……」
……これはこれでいろいろと面倒臭そうだ……
「違うだろ、陳さん! 旦那が女を連れてきたってことはさ」
レイトはいい加減にクレイの口を手で塞ぎなだめる 。
「わ、わかったからもう騒ぐな! 静かにしてくれ!」
街道を行く人々も騒がしい一幕に足を止め始め、クスクスと笑い声が広がっていく。
ひとまず二人の腕を掴んで逃げるようにクレイの店へ飛び込み、リリーも少し後ろから店内へ入ってきた。
店内に入ると見慣れない空間に戸惑いつつも、周囲を好奇心いっぱいに観察するリリー。
陳さんとクレイの奇妙な反応に対して首を傾げ、レイトの袖をそっと引っ張る。
「あの、ここは? みんな、変な顔してさ、師匠のお友達?」
「あ、ああ。ここは食堂でこの人がクレイ。 この食堂の店主で。 こっちのコック帽の人は隣の中華屋さんの料理人の陳さん」
カウンターに並ぶ無数の酒瓶や調理器具、薄暗い照明、壁に掛かったメニュー看板を珍しそうに眺めながら、レイトと二人の男性の間を見比べる。
「ん? し、師匠⁉」
リリーの言葉にクレイが大きく反応する。
「だーかーらー! クレイが話も聞かずに勝手に勘違いして騒ぎ出すから」
「なーんだよ、もぉー! ミレーに来て三年近くなるのに女の気配もさらさら無かったからさ。ようやく彼女でも連れてきたのかと思ったわ!」
クレイが笑い転げる。
今日から弟子を取ったことと町案内のついでに挨拶に来たことを伝えた。
「この子はリリー。ちょっと引っ込み思案だからさ、慣れるまでよろしく頼むよ」
そう紹介するとクレイは気さくな笑顔をリリーに向ける。
「へぇ、旦那の弟子の女の子、リリーちゃんね。 おれはクレイ。 お腹が空いたらいつでも食べに来てよ」
「えっ⁉ いつでも来ていいの?」
リリーが瞳を輝かせて尋ねると、クレイは大きくうなずいた。
「へ? あ、ああ、いつでもいいさ! 何でも食わせてあげるよ!」
陳さんはリリーを見つめたまま、頬をさくら色に染めて動かない。
「す……ステキだ。 ……天女様」
……どうやら一目惚れらしい。
おそらく今の説明も届いていないだろう。
まあ、この状態なら詳しく話さなくても問題ないか。
「せっかくだから一杯飲んでけよ! 弟子取り祝いだ!」
半ば強引にクレイが引き留める。
頼みもしてないのにレイトの前にはホットコーヒーが出される。
馴染みになったおかげでクレイには自分の味の好みが伝わっていて、暗黙の了解でコーヒーが出される。
「じゃあリリーちゃんには特別にいま試作中の特製ジュースを出してあげよう!」
そういって黒い液体が注がれたグラスをリリーの前に差し出す。
「ん? ……ジュース?」
「ああ、特製のミックスジュースさ。 熟れたファングの実とロイズベリーをミキサーして作ったんだ。 色はすごいけど美容にもいいんだぜ?」
リリーは恐る恐るグラスを口に運ぶ 。
「……うげっ、にがい。 ……まずい」
眉間にしわを寄せ、舌を出して苦悶の表情のリリーを見て、レイトが堪えきれず笑い出す 。
「うっそだー! そんなわけねーよ!」
クレイがグラスを取り返し、味見をする。
「ほらー! おいしいじゃん、そこまで苦くないでしょーよ? リリーちゃんの舌がまだお子ちゃまなんじゃねーか?」
今度はグラスをレイトに向けると一口だけ口に運ぶ。
「……クレイ、 こいつは、不味いな。 リリーの舌のせいじゃない」
「え――――⁉ うっそー、何でぇ?」
クレイは肩を落としてグラスを片付けに厨房へ消えた。
「ふふ、おかしいね。 ……まずいのに、へへっ、うん、おもしろいや」
リリーがクスクスと笑い出す。
初めて見せた彼女の笑顔。
白い肌のキレイな顔に輝きが爆ぜる。
心が締め付けられた。
「うん、おもしろいよな」
レイトは小さな相槌を打ち、クスッと頬を緩ます。
もう一人甚大な被害を被った。
……陳さんだ。
立ち位置から察するに、おそらくリリーの笑顔を真っ正面で見たのだろう。
膝から崩れ落ち卒倒した……
陳さんを店の奥のソファへ運び終え、テーブルに戻る前に一言だけクレイに小声で耳打ちをする。
「ここだけの話だ、クレイ。彼女、記憶に障害があるみたいなんだ」
クレイは少しだけ驚きを見せたが冷静に真剣な顔で返す 。
「そうか、わかった。 他言はしねーし、うまくやれるさ」
頼りになる男である。
「それに旦那が弟子に取るほどの子だろ? な~んの心配もないさ」
心が少しだけ温かくなる。
しばらくして陳さんもふらつきながらも起き上がり、レイトが肩を貸しながら店を出る。
「リリーちゃん、今度はもっと旨いもの用意しとくからさ! すぐまた来てよ。そんじゃ、さよなら~!」
クレイが店先から手を振って見送った。
すぐ隣の店前まで来た陳さんが別れ際、リリーを引き留める。
「リ、リリーさんにお土産、用意するからね! ちょっと待ってて!」
慌ただしく店内へ消えると、すぐに戻ってきて蒸したての桃まんが入った小袋をリリーに渡した。
「さっき蒸しあがったばっかりね! うちの人気の桃まんね、 あたしが頑張って作った餡子がいっぱい詰まってるからね!」
小袋の隙間から蒸したての点心の湯気とともに、甘い餡子の香りがふわっと鼻腔をくすぐる。
「これも、おいしい匂いだ。 陳さんのやつも」
小袋の隙間に何度も鼻を近づけては満足な気分になる。
「……あ、そうだ、 呪文だ。呪文ね、 えーっと」
『……ありがと』
上目遣いで唱えられた魔法は長身の陳さんでさえ、倒すには十分過ぎるほどの威力が炸裂した。
クラクラと目眩がしたように陳さんが頭を抱えながら膝を着く。
「レ、レイトさん……あなた、よく平気でいられるね…… あたし、も、もうダメかもしれない」
後ろでは見送ったはずのクレイがまた騒いでいる。
「なんだよ! お土産なんか渡して! ずり~な、陳さん! 自分ばっか!」
……もう、どいつもこいつも……
「リリーさん、今度うちにも食べに来てくださいね? レイトさんと一緒にね。 ちょっと今日はもう、死んじゃいそうだから…… またね、さようなら……」
陳さんは手を振りながら涙目でバタバタと店の中に帰っていった 。
二人でクスクス笑いながら広場へ歩き出した。
「ああ、おもしろかったな、あの二人。まずいのと、いい匂いのと、倒れちゃうのと…… へへっ、おかしいや」
リリーは陳さんからのお土産を右手に、左手にメリルからのお土産を持って満足げに笑いながら歩く。
暖かい太陽が石畳に影を落とす路地を二人は並んで歩いた。
「あとさ、師匠。 二人ともリリーと離れるときにさ、さよならーって…… こう、手を振ったんだ。たしかメリルも振ってたな。もしかしてこれも魔法かな? リリーにはなんにも効かないけどさ」
胸を張るリリーを見てレイトは声をあげて笑った。
「ハハハッ そうだな~、 『さようなら』とか『またね』はダメージを与える呪文じゃないからね。 どちらかというと間接魔法に近いかな。すぐにまた会えるっていう約束の魔法だね」
「約束の魔法、そんな魔法もあるんだ」
リリーはお土産の袋をレイトに預ける。
たった今師匠が教えてくれたばかりの『さようなら』という魔法を反復しながら、大きく腕を振って練習しながら歩く。
通り過ぎる人々が奇妙な仕草をする少女を見て思わずクスクスと笑い声をあげる。
「リ、リリー…… ダメージがない呪文とはいえ町中で魔法を連発しちゃダメだ。『さようなら』も受ける人や時と場合によっては大きなダメージとなってしまうんだ。練習はうちに帰ってからにしようか?」
リリーは頷いて素直に従い右手を下ろし、レイトの後ろをちょこちょことついて歩いた。
周囲の視線を集めていることに少しの恥ずかしさを感じ、リリーが下ろした右手を引いて歩き始める。
頬がいつもより熱い。




