芽生え
一筋の涙がリリーの頬を伝う。
「暗く悲しい話になっちゃったね……」
「悲しい……これが。 でも悲しいは前にもあったような…… いつだろう? 記憶?」
「悲しい記憶? 何か思い出せそう?」
「んー、わかんない。でも頭がモヤモヤする。師匠達がみんなのために命を掛けて戦ってるのに、なんで狙われなきゃいけないんだろうって…… そうしたら胸がざわざわして、見えそうで見えないやつがバァーって頭の中に流れてきてさ。気がついたら涙がこぼれてた」
「もしかしたら記憶の断片ってやつかな。過去に似たような悲しい思いや経験があるのかもしれないね。どうする? 続きは今度にしようか?」
「ううん、聞きたい。何か思い出せるかもしれないし」
「そっか。でもフォンがいなくなった後は胸に大きな穴が空いたようで…… この先の記憶は途切れ途切れなんだけどね。
葬儀の後、心をいったん整理するため、フォンの死を受け入れるためにも初めて長い休暇をもらったんだ。
遺骨を故郷の両親に届けようと思ってさ。
フォンの故郷はミレーほどではないけど王都からは離れた所にあってね。
馬車に揺られて小さな町に立ち寄りながら、久しぶりにのんびりと人々の営みや風景を見て回ったんだ。
子供達が遊ぶ広場、活気のある商店街、畑仕事に精を出す老人、野原に咲き誇る草花。
どれも何気ない、どこにでもある日常のはずなのにとても眩しくてさ。
部隊の殺伐とした生活に麻痺していたんだろうね。
でもさ、現実はそんな穏やかで平和なものばかりじゃなかったんだ。
王都から離れていくにつれてモンスターや幻獣に襲われたであろう建物や争いによって廃れた町、貧困で路上に溢れる難民や孤児も目にしたりね。
この時思ったんだ。
日々、命を削って民の平和のために戦い続けていると思っていたけど、良くも悪くも世界の日常は何一つ変わっていないんだ、って。
自分達が守ってるなんて大それた驕りだ、って。
それからフォンの両親に会って、あいつの活躍や勇姿を伝えてさ。
別れ際にそれまで笑顔で気丈に振る舞ってたお母様が突然泣き崩れたんだよね。
誰かのためになれた人生だったなら彼も本望でしょう。
ただ、親としての欲を言えば、どういう形であれ生きて帰ってきてほしかったって。
胸が苦しくなったよ。
自分を責めたし、たらればを考えたらきりがなかった。
でも最後にね、笑顔でこう言ってくれたんだ。
失ったことの大きさにいつまでも下を向いていてはあの子に笑われてしまう。
あの子の死が、生きた時間が確かに意味のあるものだったと言えるようにするのも、残された私達次第ですものね、って。
その言葉のおかげで随分救われたし、前を向けるようになったんだよね。
今思うとこの休暇は大切なことを気付かせるためにフォンがくれた特別な時間だったのかな。
フォンを失って、ナルディさんの話を聞いて、街の人々の現実を垣間見てさ。
戦うってなんだ?
誰かのためって?
魔法って?
何も疑うことなく過ごしてきた部隊での日々に疑問を感じ始めたんだ。
戦いのために使う魔法が脅威と言われ恐れられるなら、目の前にいる一人に笑顔になってもらえる魔法の方がよっぽど世のためになるんじゃないかって。
『誰かの何かのために』
フォンが気付かせてくれたこの想いは今も変わらないし、これからも変えちゃいけない大事な心の支えなんだ」
「優しい人なんだね、フォンも師匠も」
「んー、俺はともかくフォンはそうだったね。むしろ優しすぎたのかな」
「師匠もかっこいいよ。そんなに強かったのにさ。それを全部捨てて自分の大切な想いを形にしたんだもん」
「まぁ、地位だとか名誉なんかには何の興味も無かったしね」
「師匠の魔法に対する想いはちゃんと伝わったよ。大切な人達との想いだもん。リリーも大事にするよ」
「そっか。話せるタイミングがあって良かったよ。そこだけはボンドに感謝かな」
「あいつめ…… また来たら今度はリリーが追い払ってやるんだ」
「ふふっ、そいつは心強いね。それより頭のモヤモヤは大丈夫かい?」
「うん、もう平気。惜しかったなぁ、もう少しで何か見えそうな感じだったんだけど……」
「死神の時以来だね、うっすらとだけど過去が見え隠れしたのは」
「そうだね。でも今日は魔法使ってないんだけどな」
「さっきも言ったけど何か似たような経験を見たり、聞いたりすると呼び起こされるのかもしれないね」
「じゃあさ、もっと聞かせてよ。師匠のお話」
「まぁ、構わないけど。何がきっかけになるかわからないしね」
英雄譚を心待ちにする子供のように、リリーの瞳がキラキラと輝く。
部隊を離れることを決意したレイトはナルディの部屋の扉を叩いた。
「お? レイトか。今ちょうど手が空いたところだ」
「相変わらずお忙しそうですね」
「あれ出せだのこれはどうなっただの、上がうるせーのよ。紅茶でも飲むか?」
「あ、はい。お願いします」
慣れた手付きでカップに紅茶を注ぎ入れ、レイトの前に差し出す。
「その顔色を見ると込み入った話だろ?」
「まぁ、そんなところです」
「長く一緒にいればそのくらいはわかるさ。 ……いよいよ決めたか?」
「はい」
「そうか。 何か当ては?」
「いえ、特に何も。 壁外の各地を見て回ろうかと思ってます」
「流浪の旅か。それもいいだろう。俺達は城内が長過ぎて世間知らずだからな。普通を知るいい機会だろう」
「意外ですね。少しは引き留められるものかと」
「たしかに部隊としても国としても、お前ほどの精鋭が抜けるのはかなりの痛手だがな。俺個人としてはむしろほっとしてるよ」
「なぜです?」
「俺やクオンのように腕っぷしだけで勝負する奴はこの場所で最期を飾るのもいいだろう。だけどパネラやお前には魔法がある。もっと直接的に民のためになる術があるだろ。フォンがいなくなってからのお前を見ていたら、その道も悪くないんじゃねーかってな。まぁ、ちょっとした親心みたいなもんだ」
「ナルディさんは考えたことないんですか?」
「数えきれないほどあるさ! 何度辞めてやろうと思ったことか…… 思い続けてあっという間に時間が過ぎて、事を起こすにはもう歳を取りすぎちまったがな。けどな、剣を使わない方の戦いに少し動きがあってよ。上役の推薦で近々部隊長に就任することになりそうだ」
「えっ! 本当ですか!」
「部隊のトップともなれば今まで見えなかった部分も、もう少し見えてくるだろうよ。命を掛けた俺達の戦いがちゃんと報われるような組織に変えてやるさ。レイト、お前も俺も次のステージだな」
ナルディのごつい拳がレイトの胸を強く叩く。
「……生きろよ、フォンの分まで」
「ナルディさんこそ……」
お互いに肩を抱き合わせ、最後の別れを交わした。
王都を出たレイトが最初に向かったのはフォンの墓だった。
隊を辞した想い、これまでの感謝とこれからの決意。
何よりもまずフォンに報告しようと決めていた。
墓前に花を供え、目の前に腰を下ろすと爽やかな風が通り抜け、二人だけの穏やかな時間が過ぎていく。
ひとしきり話し込んだ後、立ち上がったレイトの表情は一際晴れやかだった。
その後は日々当てもなく各地の小さな町や村を転々としながら人々の生活に溶け込んでいく。
まれに現れる魔物の討伐依頼を受けたり、食堂の調理や畑の収穫、家の修理など魔法を使わない手伝いまで、お願いされることはほぼ全て引き受けた。
目の前で見る感謝の笑顔、掛けられる言葉が何よりも新鮮で嬉しかった。
そんな生活を続けていたある日、立ち寄った町の食堂で一人の老人の話を耳にした。
普段は町の北側に広がる森の中で暮らし、数ヵ月に一度、町に顔を出しては高齢者や病人に薬を配り歩いているとのこと。
しかしその老人は医者ではなく魔法使いなのだという。
一気に興味を引かれたレイトは定期的に薬をもらっているという老婆を紹介してもらった。
「突然押し掛けて申し訳ないです、お婆さん。食堂で魔法薬の話を耳にしまして」
「ジャルダンの薬のことだね? お兄さん、まだ若いのにあの人の薬を?」
「あ~、いえいえ。私は薬そのものに興味がありまして」
「あらそう? あたしゃ膝が悪くてさ。お医者様にも見てもらったけどダメでね。だけどあの人がくれるこの薬を塗ると嘘みたいにとっても楽になるのよ」
老婆から渡された小瓶に入った緑色の液体からはほんのりと魔力を感じ取れた。
「それはまさに魔法の薬ですね。そのジャルダンさんは次いつ頃お見えになりますかね?」
「はて? ついこの前来たばかりだから。当分は来ないんじゃないかね」
「そうですか。じゃあお会いするにはこちらからお邪魔するしかなさそうですね」
「そうだねぇ…… だけどこんな広い森でどこに住んでるか誰も知らないんだ。獣や魔物まで出るって話だからね。止しときなよ」
「ありがとう、お婆さん。少し考えます」
お礼を伝え、足早にその場を後にする。
老婆に心配をかけまいと森に入ることを躊躇った体を見せたが、すでにレイトの心は決まっていた。
魔法薬…… 常にヒーラーが側にいたため当時から縁遠く、話に聞いたことはあるものの現物を目にしたのは初めてだった。
高度な知識と技術を求められる調合師は担い手も減っていると聞く。
技術や生成方法はもちろん、作り手にも興味が湧き、居ても立ってもいられない。
すぐさま日用品店で数日分の簡易的な食料と手土産を用意し、森へ入る準備を整える。
数日かかってでも何しろ直接会って話を聞きたい。
溢れ出す好奇心を押さえきれないまま、鬱蒼とした森へと足を踏み入れた。




