誰かの何かのために
青白い満月は街道の石畳を明るく照らし、涼しげな風が酒気で火照ったレイトの頬を優しく撫でる。
「師匠、大丈夫? 足、フラフラだよ?」
「全然平気だよ。ちょっとだけビールの魔法をくらってるだけさ。 それにしてもリリーに一刀両断された時の陳さんの顔、今思い出しても笑えるな~」
「だって胸が苦しいのは病気かもしれないでしょ? 具合が悪い人と怪我しちゃった人にはお大事にって言うんだってメリルさんが言ってたんだ」
二人で笑いながら歩みを進め、りんご園の小道に差し掛かるとレイトのふらつく足が何かにつまずき、盛大に転倒した。
「うわっ!? やっぱり大丈夫じゃないね、師匠」
「いって~…… なんだ? 何か踏んづけたぞ?」
月明かりを頼りに地面を見返すと、半分潰れたりんごが転がっている。
「あぁ、そいつを踏んづけちゃったのか…… 足下ちゃんと見てなかったな」
「師匠もお大事にの人になっちゃう……」
「いやいや、ならないよ。大丈夫、大丈夫」
膝に付いた土を払い落としながら立ち上がろうとした次の瞬間、道端の草むらから黒い影が飛び出した。
影は今しがたレイトが踏んづけたりんごを口に咥え、こちらを振り返る。
「あっ! タヌキだ! メリルさんが言ってたやつ!」
リリーは頬を膨らまし、拳を上げて威嚇するように一歩二歩前に出る。
しかしタヌキには通じず、驚く素振りすら見せない。
それどころか、りんごを咥えたまま知らん顔で前を通り過ぎ、りんご園の木々の方へと消えていった。
「なんだ、あの子! リリーは怒ってるのに。無視して行っちゃった」
「人を見ても全然恐れないんだな…… こいつは厄介だね」
「もうリリーはプンプンだ! 早く帰ってやっつける方法を考えなきゃ、師匠!」
リリーはレイトの手を引っ張り、急ぎ足で畦道を進む。
家に帰るや否やリビングに座らされ、早速害獣対策についての話を始めようとする。
「ち、ちょっと待って、リリー…… まだ息も上がったままだし、先にシャワーも浴びたいし……」
「だって早くしないとあの子達、リリーのりんご全部食べちゃうよ」
「大丈夫、そんなに早く食べられないさ。それにね、リリー」
レイトは呼吸を整え、真剣な眼差しで諭すように話を始める。
「怒りや焦りみたいな負の感情はさ、冷静な判断を鈍らせるし、イメージを歪ませてしまう。
魔力だってまともに放出できなくて、生成なんてとてもできたもんじゃない。
だから相手の話を聞く時も、実際に作業に取りかかる時も冷静で平穏な心でいなければダメなんだ。
今のリリーは本来の意図がブレてない? タヌキに怒りをぶつけることが目的ではないよね?」
核心を突かれ、自分の心にズレが生まれていたことを気付かされる。
「そうだ…… メリルさんに喜んでもらうためだ」
「そう、その通り。『誰かの何かのため』 根底にあるこの大事な想いは忘れちゃいけないし、ブレちゃいけないよ」
「そうだね、危うく忘れかけてた…… 頭の中がタヌキをやっつけることだけになってたよ」
「今日はシャワーを浴びて一旦冷静になって、明日また話の続きをしよう」
レイトはゆっくりと立ち上がり、リリーの肩をポンッと優しく叩いて脱衣所へと入っていった。
翌朝、目覚めたレイトが寝室を出ると珍しくリリーが先に椅子に座り、テーブルに何冊かの本を広げて食い入るように読みあさっていた。
自分の起きる時間が遅かったかと思い時計を見直すが、リリーの早起きで間違いなかった。
「おはよう、リリー。珍しく早起きだね?」
「おはよう、師匠。昨日お布団に入ってからいっぱい考えたんだ。どういう方法ならメリルさんも喜んでくれるかって。でもこれをやるにはあれを調べて、あれを調べるにはこっちをどうにかして…… 考えてたらもう明るくなっちゃったよ」
「え? 寝てないの?」
「わかんない…… 寝たような、寝てないような」
「まぁ、気持ちはわかるかな。イメージが溢れ出すと時間がわからなくなるからね」
朝のルーティンであるコーヒーを淹れる作業を進めながらリリーの話に耳を傾ける。
「かなりいいところまできてると思うんだけどな。再現できるかどうか、師匠とも相談したいんだ」
「あぁ、いいよ。コーヒーでも飲みながら聞くとしようか」
昨日メリルがくれたアップルパイをトースターで焼き直して、いつもの手順で各々のカップにブラックとミルクたっぷりのカフェオレを用意し、テーブルに運ぶ。
「さて、どんな感じかな?」
「うん、陳さんの店で話したことも前提に考えたんだ。薬品は使わないことと、あくまでも追い払い、近付かせないことが目的で殺生はしない。
メリルさんの手を煩わせない」
「そうだね、それがベースになるかな」
「そうするとやっぱり師匠が話してたあの子達の天敵を使うのがベストかな、って。 猫とか蛇とか鷹とか。それを呼び寄せるのにどんな魔法を使おうかって……」
「でも本物を呼び寄せると人間にも被害が出ちゃう恐れもあるよね?」
「そうなの。それで昨日いろんな魔導書を読んでたら発見したんだ! 召喚魔法のやり方次第で実体の無い形を出すことも出来るって!」
「なるほど。召喚魔法の完全体再現の手前というか。視覚だけの立体映像とか、音声だけとかに留めることはできるかもしれないね」
「やっぱりできるんだ! そしたらさ、この『朱滅のギャッズ』っていう猫みたいのと、『飛紺のグールー』っていう鷹みたいな幻獣の映像だけを召喚出来たら驚いて逃げていくかな?」
テーブルに置かれた幻獣図鑑を開いてレイトに見せつける。
「おぉ~! 面白い発想だね。たしかに人を恐れない図太さを持ってるから、幻獣くらい強力な魔物のほうが効果はありそうだね。D級の幻獣だしこの前の死神に比べたら召喚自体は簡単かな。あとはどんな形で出現させるか」
リリーが真剣な表情でメモを書き、本のページをめくり、思い悩む姿をコーヒーをすすりながら目を細めて見つめる。
「リリー、楽しいかい?」
「え? うん、そうだね。楽しい。 ワクワクするよ」
「そっか。そいつは良かった」
この仕事の醍醐味でもある『イメージ』
最初の入り口としてこの作業を楽しいと感じてくれることが素直に嬉しかった。
まずは実際に追い払う効果があるのか試してみることにする。
朝食を終えた二人は召喚魔法の魔導書を持ってメリルの家へと向かう。
挨拶もそこそこに事の経緯を説明し、裏の倉庫と夜間のりんご園で召喚魔法を試す許可をもらった。
倉庫まで来るとレイトが扉の前で生命探知の魔法を使う。
「うわ…… 思ったよりいっぱいいるな。ひとまず中に入ったら入り口から離れた倉庫の真ん中あたりで召喚を始めようか。リリーは入ったらすぐに扉を閉めて、その場でネズミ達の様子を観察してみて」
「うん、わかった」
そっと扉を開けると朝の陽ざしが薄暗い倉庫内を照らし、何匹かは目視でも捉えられた。
素早く中に入り扉を閉めるとレイトは倉庫の中ほどにある空いた木箱の脇に魔導書を広げ、魔法陣に手をかざす。
リリーは扉を背にして微動だにせず、師匠の一挙手一投足を目に焼き付けている。
次の瞬間、魔導書から赤く光る魔法陣が展開し、中央からパチパチとした稲光のような光と吹き上げる風と共に頭の方から徐々に幻獣が姿を現す。
長い牙と爪を持ち猫と呼ぶにはあまりにも大きく凶暴な風貌で、赤黒い体毛を逆立て威嚇している。
唸り声を上げると倉庫が軋み、ビリビリとした空気が頬を刺す。
「すごい…… 図鑑に載ってた朱滅のギャッズだ」
D級とはいえ目の前に現れた幻獣に少なからず恐怖を覚え、前回の死神の時の記憶が蘇る。
「大丈夫! リリー、怖がらないで」
レイトから掛けられた穏やかな安心感のある声に冷静さを取り戻すと同時に確かな違和感に気付いた。
「あれ? なんか変だな」
追い出しの効果としては抜群で、唸り声におののいたネズミ達は倉庫内を追い立てられ、あらゆる隙間から我先に逃げ惑い、右往左往している。
いくつかの群れが倉庫の入口へと追われ、リリーのすぐ足元まできて扉の下の隙間から逃げ出そうともがいている。
ギャッズはそれを見逃さず、勢いよく駆け出し、鋭い爪でリリーごと薙ぎ払った。
……かに見えた。
リリーはギュッと瞑った目を開き、ふ~っと長い息を吐く。
「おかしいと思った! 魔力探知の反応がさ、動いてないんだもん。魔導書からずっと」
レイトが笑いながらリリーに向けて拍手をする。
「正解! リリーなら気付いてくれると思って。 そう、リリーが言ってた虚像さ」
伸ばしたリリーの手はギャッズの体に触れられずスッと通り抜け、ギャッズの攻撃もスカスカとリリーを通り過ぎている。
「すごいや、師匠! こんなにリアルな映像なんてできるんだ! 吠えた時の空気の響きまで感じるのに、実体は素通り。本物にしか見えないよ」
感心しきりで魔導書と虚像を何度も見返す。
「それにしても気持ちいいくらいの効果だね。ネズミはもうこの中には一匹もいないよ。リリーのお手柄かな」
「こんなリアルだったら誰だって怖くて逃げちゃうよ。あとはどんな形で、どうやって発動させるか考えないとだ」
「そうだね。じゃあひとまず家に戻ろうか」
レイトが改めて魔導書に手をかざし、手をグッと握るとすぐに虚像は魔法陣の中心に吸い込まれ、魔法陣自体も小さく収縮して魔導書に消えていった。
「やっぱり召喚魔法の完全体再現の寸前だね。遅すぎると実物になっちゃうし、早すぎるとリアルが薄れちゃう。何度か練習してタイミングのコツさえ掴めばリリーもできると思うよ」
「うん、後でやってみようかな。 でもこれ、メリルさんが見たらびっくりしちゃうよね?」
「あ~、そうか~。どこかのタイミングで実際に見てもらった方がいいかもね。 どのみち腰抜かしちゃいそうだけど」
離れたりんご園からメリルの大きなくしゃみが聞こえた。




