拾伍
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「だ、誰も近づかないでくださいっ! 危険です! とりあえず落ち着くまでお一人に……」
女中は悲鳴のような声で叫んだ。
「ここは私が! あんたはあれ持ってきて」
「…はい!」
ここは、本館の一番奧の部屋。長い長い、複雑な廊下を超えた先にある、一室。太陽の光は全く届かない。辛うじてあるのは質素な裸電球だけである。その唯一の明かりも今は消してある。
そこに、――――芹何怜という人間は囚われていた。鉄格子。そこにかけられた南京錠。百年後でも廃れず残るといわれる特殊金属でつくられた檻。そんなところに幽閉されている人間。それが怜だった。
「@:;。ぐああぁっ#$!‘☆+ヴヴヴッ&\、!」
「怜様! 怜様! 落ち着き下さい! どうか、どうか!」
意味を解さぬ言葉を投げつけ、同時に鉄格子を蹴りあげる。
―――――グァン! ズガン!
轟音が大気を割る。鼓膜を激しく揺らす。
「どうか、お止め下さい! 足を…御自分を大事になさって下さい!」
「…沈静剤、準備出来ました!」
「あ、ああああああああああああああああああああああああああああ―――――」
もう一人の女中の声に反応した怜はさらに拳で鉄格子を殴り始めた。拳からは血が滲み、皮は破れた。骨が軋むようなゴキュリという嫌な音をたてた。それでも怜は殴り続ける。蹴り続ける。痛みなど気にする様子もなく。痛みなど感じる様子もなく。痛覚などとっくの昔に失ってしまったとでも言うように。怜は、続け続けた。
「このままでは、とても危険で打てません!」
鎮静剤の注射器を握りしめ、怜に負けじと声を張り上げる。
「だけど、やらなきゃダメよ!」
「ですが…!」
「…どうにか、なんとか…」
「…ですが!」
「あ…あああああああっ! あたしだってどうしたらいいかそんなこと分かんないわよ―――――――っ!」
女中の長のような女はパニックになり、滅茶苦茶、支離滅裂に言葉を紡いだ。怜の前であってはならない失態。だが、今この状況下でそんなこと―――。
―――刹那、空気を切り裂くような声がした。
「…動くな」
その声で、激しかった怜の動きがピタリと止まる。
空気が固まった。女中も固まった。かろうじて言葉を紡ぐ。
「…だ、んな様…」
「御苦労、二人とも下がれ」
「…は、はい!」
それから誰もいなくなると芹何匡一その人は、ギロリと怜を射抜くように見据えた。
―――ところで、
「お前の初恋の君はどうだ?」
その言葉に、
怜は――――――壊れた人形のように、再び叫び出した。




