拾参
「……あれ、だれ?」
怜はドキッとした。ギチリとそんな音がしそうな、ぎこちない動作で首を那野の方へ向ける。
「…お母さん?」
「…………」
「来てくれたの? 助けに来てくれたのね」
そう言うと那野はニッコリと微笑んだ。幸せそうな、幸福そうな笑顔だった。
それは、怜には眩しすぎて。まばゆすぎて。
怜は遮るように、那野の頭に手を置いた。そして、顔をそむけた。
「…あ、あー。お父さんもいるのね!」
那野は心底嬉しそうに無邪気に笑ってみせた。
今の那野は、小学生のようだった。無邪気な、お嬢様じゃない頃の。
那野は尚も嬉しそうに微笑み続けた。
怜の手は、いつの間にか那野の髪を優しく撫でていた。
「あははーくすぐったいよー。でもきもちー」
「………………」
「私はねー幸せなんだよー」
「………………」
「幸せの神様ひとりじめー」
那野は、いしし、と笑った。
「私はね、私は、臆病で、いつも、人を傷つけちゃうんだ。セミ少年元気かなー」
意味不明だ。セミ少年?
「あのね。私は、怜って人を、好きにならなくちゃ、いけないんだよ。幸せな夫婦にならなくちゃ。喧嘩をしても、またお互い手を取り合うことができるような仲にならなくちゃ、幸せな家庭を築かなくちゃ、ならないんだよー」
じゃあ何で、お前は―――――
「…泣いているんだ」
「…え?」
幸せの神様を独り占め? 嬉し泣きか? お前は幸せなのか。
「助けてやる」
「………………」
「…ほんとう?」
「…あぁ」
「ありがとう! ほんとうに? あなたは優しいのね! あなたのことは好きになれそうよ!」
怜は、『俺は、父親だ』とは言わなかった。
怜は、夜のテンションだった。怜でいう夜のテンションとは―――――柔和である。
俺は何をしにきた。
怜はそう考えながら気配もなく那野の部屋を去った。




