第4章 死人占い師②
「怪我はないか?」
炎を背に、エルザが私とアンナのもとへ戻ってきた。
肌が焼けるほどの熱を放つ呪術の跡を眺めながらも、私の胸には、まだ不安が燻っていた。
「やつらは……渡り烏たちは、死んだのでしょうか?」
エルザは労うようにアンナの頭を撫でながら、燃え尽きていく亡者たちの残骸へ目を向けた。
「……いや。残念ながら、あれは――」
言葉の途中で、目の前に紅い閃光が落ちた。
轟音とともに土煙が舞い上がる。
その中から、紅い雷をまとった馬が姿を現した。騎手は地面へ飛び降りるなり、エルザへ詰め寄った。
「おい! さっきのでかいのは、こっちまで巻き込まれるところだったぞ!」
エルザはロザリィへ向き直ると、小さく肩を竦めた。
「悪かった。あれでも加減したつもりなんだ。だが、お前の援護には助けられたよ。おかげで、亡者どもはすべて撃退できたようだ」
ロザリィは鼻を鳴らし、燃え盛る谷底へ目を向けた。
「そのようだな。だが、肝心の渡り烏本人は取り逃がしたようだ」
エルザも苦々しげに唇を噛んだ。
「ああ。どうやら、やつは追跡されることまで想定していたらしい。これだけの亡者を用意していたということは、追手が私たち魔女になると分かっていたのだろう」
「どういうことですか?」
私の問いに答えたのは、ロザリィだった。
「どうもこうもない。こいつらは渡り烏そのものじゃない。死者の身体を使った、性質の悪い使い魔みたいなものだ」
私が理解できずにいるのを見て、エルザが言葉を補った。
「この亡者たちは、もとはただの人間の死体だ。渡り烏は何らかの魔法によって、死体を人形のように操っていたということだ」
私は炎の中へ目を向けた。
先ほどまで槍を持って動いていた異形たちが、かつては生きた人間だった。
そう言われても、すぐには信じることができなかった。
「死体が……動くのですか?」
思わず漏れた呟きに、エルザは頷いた。
「数ある魔法の中でも、死者を操る術は珍しい。私がこれまでに出会った魔女の中で、死霊魔法を使った者は一人だけだった」
その言葉を聞いた途端、ロザリィがエルザを睨みつけた。
「おい、エルザ。まさか今回の事件を、ミラルダの仕業だと言い出すつもりじゃないだろうな?」
エルザはため息をつき、嫌な記憶を振り払うように頭を振った。
「まさか。『墓守りのミラルダ』は、とうの昔に死んでいる。私が言いたいのは、渡り烏が、やはり私たちの知らない未知の魔女なのだろうということだ」
ロザリィは大げさに鼻を鳴らし、自分の馬へ跨がった。
「結局、渡り烏の正体について分かったのは、『死人占い師』だということくらいか。難儀な話だな」
アンナの背でエルザを振り返り、私は耳慣れない言葉について尋ねた。
「死人占い師って、何ですか?」
エルザはアンナを渓谷の出口へ進めながら、静かに説明を始めた。
「『死人占い師』。またの名を、ネクロマンサー。かつて魔女集会の一員だった『墓守りのミラルダ』という魔女が、自らをそう呼んでいた」
心なしか、その声には力がなかった。
「彼女の魔法は、ほかの魔女たちとは大きく異なっていた。人間の肉体や魂を操ることに特化していたんだ。ミラルダ以外に、そのような性質の魔法を使える魔女はいなかった」
エルザは、暗い渓谷の先を見つめた。
「私も初めて彼女の魔法を見た時は、心底ぞっとしたよ。当時は、人間へ憎しみを抱く魔女が大勢いた。報復戦争と呼ばれる闘争を起こし、人類へ敵対した者たちもいた」
そこで一度、言葉を切る。
「だが、ミラルダは彼女たちとも違っていた。あの女は、ある妄念に取り憑かれていた。なぜそのような考えへ至ったのかは、今でも理解できない」
「それは、どんな考えだったのですか?」
エルザはすぐには答えなかった。
渓谷の闇には、馬の蹄の音だけがゆっくりと響いていた。
「人間の不死化」
やがて、エルザは低く答えた。
「そして、不死者の王によって治められる世界の創造だ。ミラルダは死ぬ間際まで、そんな言葉を繰り返していた」
「おい。話をぼかすな」
前を進んでいたロザリィが、肩越しに視線を寄越した。
「ミラルダは、ただ死んだわけじゃない。私たちが殺したんだ」
私はエルザを振り返った。
エルザは視線を逸らし、さらに暗い声で続けた。
「そうだ。私もロザリィも、死人占い師を討伐するために組織された部隊の一員だった」
淡々とした声だった。
だが、その言葉を口にすること自体が苦痛なのだと、幼い私にも分かった。
「当時のミラルダは妄念に突き動かされ、人を攫っては、不死人を造り出すための人体実験に明け暮れていた。しかし、彼女が造ろうとした不死人は、失敗作ばかりだった」
暗い道を、蹄が叩く。
「実験の過程で魂を抜き取られた人間は亡者となり、失った魂を補うかのように、他人の魂を奪うため人里を徘徊した。しかもミラルダは、亡者たちを処分するどころか、武器を与え、軍隊として組織したんだ」
「軍隊……」
「彼女の理想である、不死人の国を築くための尖兵としてな」
エルザの話は、まるで恐ろしいおとぎ話のようだった。
だが、私はつい先ほど、動く死体の群れをこの目で見ている。
どれほど信じ難くとも、それが実際に起きた出来事なのだと認めるほかなかった。
「当時の魔女集会は、もはやミラルダの凶行を見過ごすことができなくなった。アストラエアは最後通牒を告げるため、彼女を集会へ召喚しようとした。だがミラルダは、それを拒んだばかりか、私たちへ襲いかかってきた。そして、私は――」
エルザの言葉を引き継ぐように、ロザリィが口を開いた。
「まったく、馬鹿らしいにもほどがあるよな。私たちは、同胞である魔女を何人もこの手にかけてきた。かつては共に、人類を救うために戦った仲間たちをな」
「ロザリィ!」
突然、エルザが鋭い声を上げた。
その剣幕に、ロザリィもわずかに身を強張らせた。
「何だよ? 私の言葉が気に障ったか?」
「そうじゃない! 前を見ろ。何かいるぞ」
言われて耳を澄ます。
前方の闇から、荒い息遣いのような音が聞こえていた。
ロザリィは馬を止め、ゆっくりと地面へ降りた。
細身の剣を抜き、音のする方へ近づいていく。
その姿が闇の中へ消えてから、しばらくして声が返ってきた。
「何のことはない。ただの馬車馬だ。乗り手は、どこかへ消えちまったようだがな」
渓谷の出口近くに、荷馬車が一台乗り捨てられていた。
馬が一頭だけ、御者台の前へ繋がれている。
エルザとロザリィが御者席を調べている間、私は何気なく荷台へ目を向けた。
幌が、わずかに開いている。
隙間から中を覗き込んだ。
その瞬間。
荷台の奥から、強烈な視線を感じた。
身体が凍りついた。
逃げることも、目を逸らすこともできない。
それでも、何とか声を絞り出した。
「誰か……います」
エルザとロザリィが、すぐさま荷台の両脇へ回った。
二人は視線を交わす。
次の瞬間、幌を一気に引き剥がし、荷台の中へ杖と剣を突きつけた。
「これは……棺か?」
ロザリィが怪訝そうに呟いた。
狭い荷台の中には、大きな棺が一つだけ積まれていた。
先ほど亡者の群れを目にしたばかりだった。
そのような場所で棺を見つけたことに、私は背筋が冷たくなるのを感じた。
エルザは杖の明かりを、棺の表面へ近づけた。
ずいぶん古いものだった。
だが、表面を黒い漆で塗り固めた頑丈な造りと、色褪せた金箔の装飾からは、名のある者のために作られた品であることが見て取れた。
エルザは、棺の表面を慎重に調べていった。
やがて、蓋へ刻まれた文字を見つける。
その瞬間、表情が一変した。
「これは、ただの棺ではない」
珍しく、声が震えていた。
「魔女のために作られた棺だ。しかも――」
エルザは、刻まれた文字を読み上げた。
「神秘を司る者、ここに眠る。その者の名は、死人占い師――または、ミラルダ」
冷水を浴びせられたように、背中が冷たくなった。
エルザも、しばらく言葉を失っていた。
やがて意を決したように棺の蓋へ手を掛け、一気に押し開いた。
棺の中は、空だった。
「どういうことだ、これは……?」
ロザリィの声に、動揺が滲んだ。
「なぜ、魔女の棺がこんな場所に放置されている? しかも、ミラルダの棺だぞ。これでは、まるで……」
エルザは唇を噛み、眉間へ深い皺を刻んだ。
「ああ」
空の棺を見下ろしたまま、低く呟く。
「これではまるで、死人占い師が墓の中から蘇ったようだな」
ミラルダのものと思われる棺を焼いた後、私たち三人は渓谷を抜けた。
大きく迂回する道を通って街道へ戻り、太陽が昇りきった頃、小さな宿場町へ入った。
朝早い時間だったが、すでに営業している古びた食堂を見つけた。
私たちは窓際の卓へ身を落ち着け、ようやく朝食にありついた。
エルザもロザリィも食事を終えた後、しばらく無言で茶をすすっていた。
やがて、重苦しい沈黙に耐えかねたのか、ロザリィがエールを注文した。
「朝から、よく酒など飲めるな」
呆れたように言うエルザを横目で睨み、ロザリィは届いたばかりのエールを勢いよくあおった。
「むしろ、酒でも飲まなければ気が紛れねえよ。まったく、妙な事件に首を突っ込んじまったもんだ」
酒が入ると、ロザリィはさらに口が悪くなった。
エルザは小さく咳払いし、周囲を見渡した。
それから懐より、小さな香炉を取り出す。
中の香へ火を灯すと、かすかに甘い香りが漂った。
私が見つめていることに気づいたのか、エルザは香炉を卓上へ置きながら説明した。
「人払いの香だ。こちらから話しかけない限り、周囲の人間は、私たちの会話を気に留めなくなる」
それから、ロザリィへ目を向けた。
「ところでロザリィ。今回のセントオリーンズ襲撃について、一度情報を整理させてくれ」
腕を組み、椅子の背へ身体を預ける。
「昨夜、お前はセントオリーンズの異変を察知し、現場へ急行した。そこで渡り烏と遭遇し、戦闘を開始した。そこまでは間違いないな?」
ロザリィはジョッキを傾けながら、肯定するように片眉を上げた。
「聞きそびれていた。お前が戦ったという複数の相手は、あの亡者たちのことか?」
ロザリィは、口元についた泡を手の甲で拭った。
「まさか。私が、あんな木偶人形を相手に後れを取るとでも思うか?」
空になりかけたジョッキを卓へ置く。
「私が戦ったのは、間違いなく渡り烏だった。坊やが言っていたとおり、妙な黒い仮面も被っていたからな」
私は記憶の中の渡り烏を思い返した。
烏の羽のような黒い外套。
嘴を思わせる突起を備えた仮面。
あの姿は、異様という言葉以外では言い表すことができなかった。
「ロザリィ」
エルザは、低い声で呼びかけた。
「私もラルフも、これまで渡り烏は単独犯だと考えていた。私の予想どおり、やつが魔女なのだとすれば、私たちは複数の魔女を相手にすることになるぞ」
ロザリィは空のジョッキを置き、わずかに紅潮した頬へ手を添えた。
「渡り烏が一人か複数かを考える前に、あの棺について話そうぜ」
卓へ身を乗り出す。
「果ての霊廟へ納められていたはずの魔女の棺が、あんな場所に放置されていた。それだけでも異常事態だ。しかも、中にあったはずのミラルダの遺体は消えている。そのうえ、亡者の群れまで現れた」
ロザリィは店員を呼び、エールのお代わりを注文した。
「どう考えても、無関係とは思えないだろう?」
「何が言いたい?」
ロザリィは大げさにため息をつき、頬杖をついた。
「単純な話だ。渡り烏の正体は、墓守りのミラルダだ」
運ばれてきた二杯目のエールを、一息で半分ほど飲み干す。
「どうやって蘇ったのかは知らない。だが、そう考えれば、亡者が現れたことにも説明がつくだろう」
酔っているようにも見えた。
けれど、私たちへ向けられたロザリィの目には、強い光が宿っていた。
エルザは険しい表情で、しばらく顎へ手を添えていた。
私は、棺から感じた不気味な視線を思い出しながら、疑問を口にした。
「でも、ミラルダが渡り烏なら、なぜ自分の棺をあんな場所へ置いていったのでしょうか?」
ロザリィは、じろりと私を睨んだ。
「さあな。私たちへ見せつけたかったんじゃないのか? 死人占い師が蘇ったことをな」
その言葉を聞いたエルザが、何かに気づいたように顔を上げた。
「そうだ。ロザリィの言うとおりだ」
だが、すぐに否定するように首を振った。
「ただし、それを意図したのはミラルダではない。私たちにそう思わせようとしているのは、渡り烏だ」
私とロザリィは、同時に首を傾げた。
エルザが卓へ身を乗り出す。
「考えてもみろ。これまでの渡り烏は、襲った村の住人を一人残らず殺し、仮面で素顔を隠していた。自分の正体を知られまいとしているのは明らかだ」
卓上へ指を置き、言葉を続ける。
「だが、今回のセントオリーンズでは、集落を焼くだけでなく、わざわざ亡者を用意し、魔女の棺まで放置している。まるで、自分の正体を追手へ知らせようとしているようではないか」
私とロザリィを交互に見た。
「それに、渡り烏がミラルダ本人なら、集落へ火を放つような真似はしないだろう。亡者は、炎を恐れていたからな」
ロザリィは爪の先で、こつこつと卓を叩いた。
「つまり、こう言いたいのか? 今回の件は、蘇ったミラルダと渡り烏が共謀して行ったものだと?」
エルザは首を横へ振った。
「いや。それでは、棺があの場所に放置されていた理由が説明できない。自ら蘇ったのなら、かつて自分が入っていた棺を、わざわざ運ぶ必要などないだろう」
ロザリィは苛立ったように、エルザへ顔を近づけた。
「何なんだよ! 結局、お前はさっきから何が言いたいんだ?」
エルザは深く息を吐いた。
「私の推測では、あの棺と、中に納められていたミラルダの遺体は、渡り烏によって果ての霊廟から盗み出された」
声を落とす。
「そしてミラルダの遺体は、あの場所で蘇った。いや――」
エルザは、慎重に言葉を選んだ。
「蘇らされたんだ」
ロザリィは、エルザの言わんとしていることを悟ったようだった。
「つまり……渡り烏の能力は――」
「ああ」
エルザは、低い声で結論を告げた。
「やつには、死んだ魔女の遺体を蘇生させる力があるのかもしれない」
重い沈黙が続いた。
私は冷めた茶へ口をつけながら、渡り烏が、改めて恐ろしい相手なのだと思い知らされていた。
「だとしても――」
沈黙を破ったのは、ロザリィだった。
「蘇ったミラルダには、本人の意思が残っているんじゃないのか? もしあの場にいたのなら、自分を殺した私に、恨み言の一つくらい言いそうなものだろう」
エルザはため息をつき、再び椅子の背へ身体を預けた。
「分からない。そもそも、魔女を蘇生するなどという話自体、私も聞いたことがない」
険しい表情のまま、窓の外へ視線を向ける。
「人間を不死にしようとした過程で生まれたものが亡者なのだとすれば、蘇生された魔女は、一体どのような存在になるのだろうな」
その時。
ロザリィが、何かに気づいたように顔を上げた。
酒を飲んでいたとは思えないほど、その表情は張り詰めていた。
「どうした、ロザリィ?」
「十人だ」
「……何?」
ロザリィの肩が震えていた。
「果ての霊廟に眠る魔女の遺体の数だ。あそこには、冠位の魔女を含め、十人の遺体が安置されているはずだろう?」
「そうだが、それが一体――」
エルザもまた、何かに気づいたように目を見開いた。
「まさか……」
「ああ。おそらくな」
ロザリィは、鋭い視線を窓の外へ向けた。
「私が刃を交えた、十人の渡り烏」
握り締めた拳が、わずかに震えていた。
「やつらは全員、蘇らされた魔女の遺体に違いない」




