第3章 遠雷⑤
翌朝。
カニンガム教授宅の朝食の席で、私は早々にエルザ師匠を困らせていた。
「僕も、師匠の授業を見てみたいです」
エルザは口元へ運びかけていたカップを止め、じろりと私を睨んだ。
「駄目だ。大学の講義は遊びではない。お前のような無関係の子供を、講義室へ入れるわけにはいかない」
即座に断られることは予想していた。
それでも私は、食い下がった。
「でも、星の話なら僕も聞いてみたいんです。授業中は静かにしていますから、お願いします」
エルザはカップを置き、パンをちぎりながら、なおも素っ気なく答えた。
「駄目だと言っている。お前が子供だからとか、静かにできるかとか、そういう問題ではない。王立大学は、部外者の入校に関する規則が厳しいんだ。関係のない者を勝手に入れれば、学長から何を言われるか分かったものではない」
規則を持ち出されてしまっては、すぐに反論することもできなかった。
なおも食い下がるための言葉を考えていると、茹で卵の殻を剥くのに苦戦していたカニンガム教授が口を開いた。
「エリザベス。ラルフ君も、まったくの無関係というわけではあるまい。今の君は、彼の保護者なのだろう。君の監督下であれば、講義室へ入れることにも、それほど問題はないと思うがね」
思いがけない助け舟を得て、私はエルザへ視線を戻した。
エルザはわずかに眉根を寄せながら、パンへバターを塗りつけていた。
「エリック。私は学内で、できる限り目立ちたくないのです。非常勤という立場にとどまっているのも、学生たちとの接触を必要以上に増やさないためです。私が子供を連れて歩けば、間違いなく人目を引きます」
「あら。それなら、私がラルフ君を連れていきましょうか」
カニンガム夫人が、明るい声で言った。
「私が一緒なら問題ないでしょう。学内へ入る理由は、夫へお弁当を届けに来たとでも言えばいいわ。ラルフ君についても、親類の子を預かっていて、大学を見せてやりたいと説明すれば済むでしょうし」
夫人は満面の笑みを浮かべ、エルザを見た。
それを受けて、カニンガム教授も大きく頷いた。
「それなら、ラルフ君を学内へ連れていっても構わんだろう。君が今日使う講義室には、教員用の控室が隣接している。そこには講義室を見渡せる小窓もあるから、ラルフ君は特等席で君の講義を聞けるぞ。ウィレーム学長には、私から話を通しておこう」
そう言って、教授は私へ片目をつぶってみせた。
強力な味方を得た私は、さらにエルザへ畳みかけることにした。
「師匠は、今日の講義で、僕が手伝った観測の結果も使うのでしょう。だったら、僕にも先生の授業を聞く……その……そうだ、権利があるはずです!」
覚えたばかりの言葉を、これ以上ないと思える場面で使うことができた。
私の発言を聞き、カニンガム夫妻は堪えきれないように笑い声を上げた。
さすがのエルザも、反論する言葉を失ったらしい。
渋い顔のまま茶を飲み干すと、深く息を吐いた。
「まったく。とんだ弟子を取ってしまったものだ」
そして、諦めたように私を見た。
「いいだろう。それほど私の講義を聞きたいのなら、許可する。ただし――」
エルザは右手の人差し指を、私の額へ押し当てた。
「絶対に、カニンガム夫人を困らせるな。もし何か問題を起こしたら、即刻、校舎の外へつまみ出すからな」
「はい。ありがとうございます、エルザ師匠!」
なおも渋面を崩さない師匠へ、私は満面の笑みで答えた。
朝一番から講義の準備があるということで、エルザとカニンガム教授は先に大学へ向かった。
エルザの講義が始まるのは昼過ぎだった。
私はカニンガム夫人と午前中の家事を済ませた後、乗合馬車で王立大学へ向かった。
朝の混雑が過ぎていたためか、車内には私たちのほかに、買い物帰りらしい女性と、高齢の男が数人乗っているだけだった。
「エリザベスの講義を聞くなんて、私も初めてだわ。楽しみね」
カニンガム夫人は、目尻に皺を寄せながら嬉しそうに言った。
私も大きく頷いた。
そして、昨夜から気になっていたことを尋ねた。
「教授も、夫人も、どうしてエルザ師匠のことを『エリザベス』と呼ぶのですか」
私の質問に、カニンガム夫人はわずかに目を細めた。
それから私の頭を軽く撫で、独り言のように呟いた。
「私たちがあの子をエリザベスと呼ぶのは、それが、私たちにとってのあの子の本当の名前だからよ」
夫人は、流れていく窓の外へ目を向けた。
「でも、あの子はまだ、そう呼ばれることに慣れていないのかもしれないわね」
やがて彼女は、皺の刻まれた両手で私の手を包み込んだ。
透き通った灰色の瞳が、まっすぐに私を見つめた。
「ラルフ君。あの子は時々、厳しい言い方をするかもしれないけれど、どうか理解してあげてね」
夫人の口調は、どこまでも柔らかかった。
「エリザベスは、自分の足で生きていける強い人よ。でも、それでもなお、弱いところを抱えているの。長い時を独りで生きてきたあの子の心には、大きく欠けてしまったところがある」
私の手を包む指に、わずかに力が込められた。
「あなたが、その欠けたところを埋めてあげてちょうだい」
当時の私には、夫人の言葉の意味を理解することはできなかった。
それでも、ひとまず頷いた。
カニンガム夫人も安心したように微笑み、私の手を離した。
ほどなくして御者が、王立大学前の停留所へ到着することを告げた。
馬車を降りた私たちは、大学の制服に身を包んだ学生たちの流れに混じり、大きな正門をくぐった。
門は、数台の馬車が並んで通り抜けられるほど広かった。
王立大学は、市街地や住宅区から離れた一角に建てられていた。
同じ王都の中とは思えないほど、周囲は静かだった。
正式な名を、デネソール王立記念大学という。
賢王と名高い第二代国王デネソールによって設立され、一般には王立大学と呼ばれていた。
広大な敷地の中には、学生たちが学ぶ講義棟をはじめ、研究分野ごとに分けられた実験棟、教員のための職員棟、食堂、王立記念図書館、地方出身者のための学生寮が建ち並んでいた。
さらに、さまざまな運動競技に用いる施設まで備えており、敷地全体が一つの町のようだった。
設立された当初は、王族や貴族の子弟を、将来の国を担う人材として育成することを目的としていたという。
しかし、王国全体の教育水準が上がるにつれ、能力のある者であれば、庶民の家に生まれた者も入学を許されるようになった。
正門脇の守衛所で入校の手続きを済ませた私たちは、緑の多い中庭を横切り、講義棟へ向かった。
午後の授業が始まる時刻が近づいていたためか、学生たちは皆、急ぎ足で校舎へ入っていった。
カニンガム夫人は慣れた様子で講義棟の中を進んでいく。
やがて、「天文学講義室・教員控室」と記された札の前で立ち止まり、扉を叩いた。
内側から扉が開き、教員服をまとったエルザが姿を見せた。
「ごめんなさい。遅かったかしら」
カニンガム夫人は、勧められた椅子へ腰を下ろした。
「いえ。講義が始まるまで、まだ時間があります」
エルザは私へ目を向けた。
「ラルフ。お前はこちらだ」
彼女は、部屋の壁に設けられた小窓を開いた。
窓の向こうを覗くと、すでに学生たちで埋め尽くされた講義室を、後方から見渡すことができた。
「お前はここで講義を聞いていていい。ただし、何があっても、この部屋から出ないと約束しろ」
私は何度も頷きながら、エルザを見上げた。
彼女は講義用の資料を手に取り、控室の扉へ向かった。
「カニンガム夫人。それでは、ラルフをお願いします」
「任されたわ、エリザベス。あなたは講義に集中なさい」
エルザは頷いた。
扉をくぐる直前、念を押すように、もう一度だけ私を振り返った。
間もなく、講義室の教壇へエルザが現れた。
巨大な黒板を背に、まっすぐ背筋を伸ばして立つ。
その姿は、家で見る時よりも、ひどく遠く感じられた。
「皆さん。本日は、私の講義へ参加していただき、ありがとうございます」
エルザは、普段よりもさらに落ち着いた声で話し始めた。
澄んだ声が、広い講義室の隅々にまで響いていく。
「大学が新学期に入ったばかりということもあり、私の講義へ参加するのが初めての方もいるでしょう。そこで今回は、まず私が行っている研究の概要を説明し、その後、最近得られた観測結果について紹介したいと思います」
エルザは教壇の上をゆっくりと歩きながら、講義室を見渡した。
「まず、ここにいる皆さんの多くにとって、天文学、あるいは宇宙物理学の講義へ参加する理由は、教養課程の単位を得るためにすぎないでしょう」
学生たちの間から、小さな笑い声が起こった。
エルザも苦笑し、わずかに頷いた。
「その点については、私も異論はありません。宇宙の法則を解き明かしたところで、それが明日の食事や、目の前の仕事に役立つことは、ほとんどないでしょう」
教壇の端で足を止める。
「しかし、古来、多くの学者たちは、共通する一つの問いを追い続けてきました」
そこで、言葉を区切った。
「我々はどこから来たのか。我々は何者なのか。そして、我々はどこへ向かうのか」
講義室から、笑い声が消えた。
「その問いを解き明かそうとする試みの中で、私たちは、自分たちが宇宙と呼ばれる途方もない空間の中に生き、この星の上で奇跡的に誕生した存在であることを知りました」
エルザは、静かな声で続けた。
「そこへ至るまでの探究は、ある意味では、神と呼ばれるものの存在を問い、私たち人類が生きる意味そのものを問う営みでもあったはずです」
もう一度、講義室全体を見渡した。
「ここに集まった皆さんは、いずれ国を支え、社会を発展させる人材となっていくのでしょう。そのためにも、自分たちが立っているこの世界が、どのように成り立っているのかを知っていただきたい」
その声音には、教師としての静かな熱が宿っていた。
「本日の講義では、時間の許す限り、世界の構造と、それを支配する法則について解説することにしましょう」
こうして、エルザ・ランディア教授による宇宙物理学の講義が始まった。
残念ながら、幼い私には、その先の話のほとんどを理解することができなかった。
黒板には見たことのない記号や数式が並び、エルザの口からは、意味の分からない言葉が次々と飛び出した。
それでも、講義の途中で交わされた、ある学生とのやり取りだけは鮮明に覚えている。
「宇宙という空間は――」
エルザは黒板へ数式を書きながら、説明を続けていた。
「誕生して以来、今なお膨張を続けています。その膨張を引き起こしていると考えられているのが、暗黒エネルギー、あるいは真空のエネルギーと呼ばれる存在です」
その時、最前列に座る一人の学生が、挑みかかるような勢いで手を挙げた。
「先生の提唱された宇宙拡大論は、論文で拝見しました。空に見える星々が、空間ごと私たちから遠ざかり続けているという観測結果については理解しています」
学生は、真っ直ぐエルザを見た。
「ですが、その原因を、目に見えない物質やエネルギーの存在によって説明しようとするのは、あまりに短絡的ではありませんか」
その問いを受け、エルザは穏やかに頷いた。
「もっともな意見です。しかし、今述べた仮説上の存在を示唆する観測結果が得られていることも、また事実です」
エルザは白墨を置き、教壇へ両手をついた。
「時として、あり得ないと思われていた仮説が、事実であったと証明されることがあります」
講義室を見渡したその時、一瞬だけ彼女と目が合ったような気がした。
「例えば、地動説も、提唱された当初は、でたらめな理論として学会から相手にされませんでした。しかし、観測技術の発展とともに、今では当然の事実として受け入れられています」
エルザは、学生たちを一人ずつ見渡すように視線を動かした。
「まるで魔法としか思えない現象であっても、いつか科学によって記述される日が来るかもしれません。重要なのは、理解できないものを最初から否定することではなく、観測された事実をもとに、最も合理的な答えを探し続けることです」
そして再び白墨を取り上げた。
「宇宙拡大説を裏づける現象には、ほかにも――」
それを境に、エルザと学生たちの間で交わされる問いと答えは、次第に増えていった。
講義室は静かな熱気に包まれた。
学生たちはエルザの言葉へ耳を傾け、時には反論し、時には驚きの声を上げた。
当時の私には、話の内容をほとんど理解できなかった。
ただ、学生たちと真剣に言葉を交わすエルザ師匠が、教壇までの距離よりも、さらに遠いところにいる存在のように見えたことだけは覚えている。
講義の途中ではあったが、夕食の準備をするため、私とカニンガム夫人は先に家へ戻った。
夕食の支度を手伝いながら、私は、自分がエルザのもとで暮らすことになった経緯を夫人へ話した。
両親を失った理由については、ただ家が火事になったのだと説明した。
それでも、カニンガム夫人は私の話に衝撃を受けたらしく、目に涙を浮かべていた。
夕食の準備を一通り終えると、私と夫人は食卓を挟み、茶を飲みながら二人の帰宅を待った。
「つらい思いをしたのね」
夫人は、私をいたわるような眼差しで見つめた。
「でも、エリザベスに助けてもらえたことは、何よりの幸運だったわ」
私は小さく頷いた。
そして改めて、自分が魔女とともに暮らしているという、不思議な境遇を思った。
カニンガム夫人は、しばらく沈黙した後、小さく息を吐いた。
「実は昨夜、エリザベスから相談されたの」
私は顔を上げた。
「もし私たち夫婦が望み、そして、あなた自身も望むのであれば、この家へ引き取ってくれないかと」
夫人は柔らかな笑みを浮かべ、私の手を取った。
「どうかしら。あなたさえよければ、王都で、私たちと一緒に暮らしてみない?」
正直に言えば、その時の私は迷った。
カニンガム夫妻のもとであれば、平和で穏やかな暮らしが送れるだろう。
朝になれば食事が用意され、夜には温かな寝台で眠る。
渡り烏への復讐を諦め、魔女の弟子としての厳しい鍛錬もやめる。
エルザのもとを離れれば、そのような生活を得られる。
けれど――
「ごめんなさい」
私は、まっすぐカニンガム夫人の目を見た。
「僕には、エルザ師匠のもとにいなければならない理由があるんです」
夫人は、わずかに目を見開いた。
だが、すぐに穏やかな表情へ戻ると、小さく頷いた。
「そう」
そして、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「ラルフ君。あなたは、エリザベスのことを愛しているのね。きっと、あの子もあなたのことを――」
言葉の途中で、玄関の扉を叩く音が響いた。
カニンガム夫人は、二人を迎えるために立ち上がった。
「さあ。きっと二人とも、お腹を空かせているわ。私たちで腕によりをかけた食事を出して、労ってあげましょう」
そう言って、私の髪を穏やかに撫でた。
その夜も、カニンガム教授とエルザは、食卓を挟んで熱心な議論を交わしていた。
私はエルザの横顔を眺めながら、先ほどカニンガム夫人に言われた言葉を思い返していた。
私がエルザのもとに残ると決めたのは、渡り烏へ復讐するための力を得るためだった。
それ以外にも理由があるとすれば、それは何なのか。
答えの出ない問いを胸の中で繰り返していた時、窓の外で何かが動いた。
「あら。猫かしら」
私の視線に気づいたカニンガム夫人が言うより早く、エルザは窓へ駆け寄っていた。
窓を開ける。
室内へ飛び込んできたのは、以前、魔女集会の招待状を運んできた、目の大きな梟だった。
エルザは、梟の足に括りつけられていた書簡を外した。
そして中身へ目を通した瞬間、その表情を一変させた。
「エリック。申し訳ありません。急用ができました。今すぐ発たなければなりません」
カニンガム教授は葡萄酒の杯を置くと、静かな声で答えた。
「気にすることはない、エリザベス。必要なことならば、君の責務を果たすべきだ」
エルザは頷き、大急ぎで荷物をまとめ始めた。
私も自分の着替えを鞄へ詰め、玄関へ向かう師匠の後に続いた。
「駄目だ。お前は残れ」
エルザの固い声に、私は足を止めた。
だが、その言葉だけで、書簡が何を知らせたものなのか理解した。
「渡り烏ですね」
私はエルザを見上げた。
「僕も行きます」
扉の取っ手へ手をかけたまま、エルザは真っ直ぐ私を見下ろした。
「そうだ。だが、今回は子供が出る幕ではない。おとなしく、この家で待っていろ。片づいたら迎えに来る」
そう言って、玄関を出ようとする。
その背中を見た瞬間、私は、渡り烏が村を襲った夜のことを思い出した。
外の様子を見てくると言い残し、家を出ていった父の背中。
あれが、父を見た最後だった。
「嫌です!」
私は玄関を飛び出した。
「僕も行きます!」
通りを早足で進むエルザへ追いつき、上着の裾を掴んだ。
エルザは足を止めた。
そして膝を折り、私と同じ高さまで視線を下げた。
「渡り烏は危険だ」
恐ろしいほど落ち着いた声だった。
「もしやつに遭遇すれば、私はお前を守り切れないかもしれない。今のお前に、自分の身を守ることができるのか。やつと戦うことができるのか」
私は、エルザの青い瞳を真っ直ぐ見返した。
声は震えていた。
「できません」
それでも、目を逸らさなかった。
「自分を守ることも、渡り烏と戦うこともできません。でも、あいつは僕の両親を殺した。殺したんです!」
私を見つめるエルザの瞳が、困惑するように揺れた。
「また、揺らめいているのか。暗い魂の炎が。お前は、やはり――」
「ラルフ君! エリザベス!」
私たちを心配したのか、カニンガム夫人が家から出てきた。
エルザは立ち上がると、私の肩へ手を置き、カニンガム夫妻の方へ向き直らせた。
「申し訳ありません。やはり、ラルフをしばらく預かってくださ――」
「連れていきなさい」
カニンガム夫人の声が、エルザの言葉を遮った。
「……はい?」
思いがけない強い語調に、エルザは驚いていた。
「ラルフ君を連れていきなさい。それが、この子の望みなのでしょう」
「ですが、私がこれから向かう場所は危険です」
夫人は片手を上げ、エルザの言葉を制した。
「正直に言えば、私は、あなたがどこへ向かうのかも、そこで何が待っているのかも知りません」
その声には、朝の柔らかさとは異なる、揺るぎない強さがあった。
「でも、それがラルフ君にとって、とても大切なことだというのは分かるわ」
夫人は、エルザを真っ直ぐに見た。
「だから、エリザベス。あなたがこの子を守りなさい。それが、今のあなたの務めよ」
そして今度は、私へ視線を向けた。
「ラルフ・ラングレン」
しゃがみ込み、私の手を取った。
「あなたも、自分の身は自分で守れるように努力しなさい。いつか、自分の望みを遂げられるように」
夫人は、私の手を強く握った。
「そして、いつかエリザベスのことも守れるほど、強くなりなさい」
優しく微笑む。
「お互いが、お互いを守れるようにね」
私は、その言葉を胸へ刻むように、強く頷いた。
エルザは、困惑したまま二人を見ていた。
そこへ、一頭の馬を引いたカニンガム教授が現れた。
「さしものエリザベスも、我が偉大なる妻、クリス・カニンガムの剣幕には形無しだったかな」
教授は冗談めかして笑った。
「私も妻と同じ意見だ。大人であるか子供であるか、力があるかないかだけで、決めるべきことではない。本人の人生に関わる問題かどうかが、何より大切なのだろう」
そう言って、馬の手綱をエルザへ渡した。
「子を持たない私たちには、親となる苦労は分からん。だが、この少年は、自分の生き方を選ぶということに関しては、すでに一人前なのだと思うがね」
「エリック。クリス……」
二人の名を呼びながら、エルザは手綱を強く握った。
やがて意を決したように鞍へまたがり、私へ手を差し伸べた。
「ついてこい。聞き分けのない、我が弟子よ」
その青い瞳には、まだ迷いが残っていた。
それでも、彼女の声はすでに師のものへ戻っていた。
「渡り烏を追うぞ」
「はい、エルザ師匠!」
私は緊張で身体を強張らせながら、その手を掴んだ。
エルザはカニンガム夫妻へ短く滞在の礼を告げると、馬の腹を蹴った。
私たちを乗せた馬は、夜の闇に沈む王都の通りを、放たれた矢のように駆けていった。
後ろを振り返る。
坂の向こうへ姿が隠れるまで、カニンガム夫妻は、いつまでも私たちを見送り続けていた。




