五曲目「イエスマンイズデッド」
「府雨の音楽記憶」五曲目「イエスマンイズデッド」
ナナヲアカリ
かっこいい。綺麗なメロディラインに、知的な歌詞。
感性的でもあるのに、本当に知的で、そういうところがナナヲアカリの最高なところだと思う。
ナナヲアカリを聴いていたのは、時期的には20代の前半で、家族に金がなくなり、京都から呼び戻されて「大学を辞めてくれ」と言われたタイミングと一致する。
厄年の一月一日に言われた。
病気だったし単位も取れてなかったから、諦めた。
僕には粘るという感覚がない。諦めたことへの後悔はないし、金がないのだからしょうがない。バイトして下宿代と学費を稼ぐことなんてできないし、奨学金を得られる成績でもない。
だから辞めた。いろんな人に「もったいない」と言われた。親を恨んでいるか?
恨んだことは一度もない。ただ誰も、子どもの人生を生きていないという、至極大人な生活感で、家族の助け合いも何もない世界観だったから。
鬱だった。
幡ヶ谷の家はすでに売られて、高井戸の家のリビングに布団を敷いて。
普通そんな扱いを受けたら、キレるだろう。
子どもだし。
でもとりあえず諦めた。抗う気にもならなかった。鬱だったから。
父親も母親も、僕にそのことで謝ったことはなかったから、悪いと思っていないんだろう。
なんのために京都に下宿させたんだとか、子どもに費やしたわずかばかりの教育資金を回収しようとか、そういうことは頭にないみたいだった。
そんなことを怒ってもしょうがない。彼らは、自分の人生を生きている。それは、子どもに自分のスティグマを背負わせる親よりは幾分か(笑)ましだろう。
高井戸から吉祥寺まで歩く散歩コースを開拓し、障害基礎年金を勝ち取り、バイトを始め、僕は遅い社会復帰を始めた。
小説を書き書きして、あとは寝ていた。
金を家に入れない母親を家から切り離したあたりで、この曲を大切に聴いていた。
ナナヲアカリの「一生奇跡に縋ってろ」も同じ系統という認識。「ディスコミュ星人」とかを聴けるようになるのはもう少し後のこと。ぺこらの「ディスコミュ星人」もいいよね。
子どものためにという言葉が「愛」からくるものでは「ない」という認識は、そういう昔からの家族観からくる。
子どもは親を規定しない。子どものための金はない。
それが高校受験で忖度して、公立と特待生を取れる私立しか受験しない僕の屈折したメンタリティを形成していた。
親の人生は子どものためにあるわけじゃない。
僕の給料の六割は親に吸い上げられていたとしても。
でもわかっているのだ。わめいても共倒れになるだけだから、ある程度目をつむって、金で解決する。
もちろん皿洗いはする。ゴミ出しもする。弟の面倒も見る。褒められることもない。当たり前のことだ。
父親の借金に対して200万出してあげる。
ボーナスの半分を家に入れる。
そんなことは、僕にとっては当たり前なのだ。
自分のための人生なんてない。
***
昔、漫画をたくさん買ってもらったり、外食ばかりでいい思いをしていたのが、父親の病気ですぐに崩れた。
母親はずっと自分のことばかりで、協力するそぶりを見せない。それに引け目を感じることもなく、厚かましくも「仕事をしている」とのたまう。
厄年だから。ほら。大学辞めなきゃいけないのよ。
でもそれは「普通」を脱するサイコパスへの道を、僕に用意してくれた。
親は子どものためにいるわけじゃない。
当然「じゃあ親子ってなんだ?」と、自問自答する。
関係の困難さを考えさせるのが生き方を学ばせる最良の方法。当たり前を脱する最速の道。
***
親を離婚させたことと障害基礎年金を勝ち取り、仕事を始め、薬を毎日飲む。状況を前に進めることだけが、生きるということだと、よくわかっていた。
でもそれは父親に教えてもらった東大(現役の時落ちた)数学の勉強中に、とりあえず「N=1」「N=2」「N=3」とやってみる(試行する)という「仕事の極意」を身につけたからだった。
鬱でも働く。サイコパスなので。
それが24歳くらいだった。
自分という受益主体がないから、自分のためという感覚がない。同じ病気だった一人暮らしの男の子によく野菜を送っていた。
優しいと言われることは多い。
でも実際には何も考えていない。
自分というものがないから。
関係の中で生きているから、関係に規定される。
自己単一の個別性みたいなものがある人は、関係を取引だと思う傾向がある。
僕にとって関係は取引ではなく、生そのものだった。
***
僕はピアノは好きで、ギターはあまり好きではない。
でも、「イエスマンイズデッド」の入り出しのギターは、かっこいい。
ピアノのかき撫で方は、流麗で、クラシカル。
ナナヲアカリの声はどこまでも図として浮かび上がっていて、音楽というのは状況を変えないけれど、人に寄り添ってくれる。
喚かなくて済んだのは、ナナヲアカリの声によるところが大きい気がする。ナナヲアカリが先に叫んでくれていたから、僕にはわざわざそうする必要がなかった。
ただ、京都と「双極大学統失学部」のダブルスクールは、やっぱり無理があると、個人的にナナヲアカリに似ていると思っている双極性障害の友達と、再認識した。
双極大学統失学部は生まれた時から推薦されていて、人生をかけて卒業する、りべらるあーつ(決してリベラルアーツではない)を旨とする大学。
友達曰く、僕は首席候補なのだそうだ。
最近ジプレキサ先生の講座を六単位受講していたけれど、二単位下りて、四単位分だけ受講すれば良くなった。
ジプレキサ先生、厳しいから、京都の授業を受ける余裕がなかった。
メンターはいないかなと思っていたけど、僕が最も薫陶を受けたのは「ジプレキサ」という薬からかもしれない。
普通、逃げる。飲みたくないほど重い。でも飲み続けて、この三年で半分になった。それでもまだ10mg。これ以上は減らないだろう。




