四曲目「Run Devil Run」
「府雨の音楽記憶」四曲目「Run Devil Run」
少女時代
少女時代は世代でした。
中学の時に聴いていて、スヨンが背が高くて好きでした。YouTubeにアップされた字幕つきのバラエティーも見てました。
好きな歌はいくつかあります。「GALAXY SUPERNOVA」とか「The Great Escape」とか。
中でも「Run Devil Run」が思い出に残っているのは、母親に頼んでアルバムを買ってもらったところ、日本語版を買ったつもりが間違って韓国語版のアルバムを買ってしまったからです。
中学生だったのでハングルは読めませんでしたが、耳には韓国語の歌詞がカタカナで残っています。
アニメっ子だった僕が三次元に興味を示したのは初めてのことで、それは実に「いい」ことだったと思います。
なんとなくですが。
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アジアの雰囲気に惹かれたのは、それがきっかけかもしれません。
韓国語は結局やらなかった。
中学三年生の時、区立中学から何人か選ばれて行く中国への研修旅行の後から、中国をずっと気にかけていました。
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少女時代といえば、テヨンのソロ活動はちょっと気になっています。「晩餐歌」のカバーは秀逸でしたし、「INVU」もいい曲です。
テヨンは今の方が綺麗です。
ILLITとかLE SSERAFIMとかはYouTubeショートに問答無用で流れてきます。いいですよね。むめいちゃんとか澤村さんの踊ってみたとかで翻案されたものもたまに見ます。
そういえば「チンチャ?」とか「オンニィー」とかそういう言葉だけで会話を成立させていた時代は、もう終わったのでしょうか。今でもそうなのでしょうか。
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日本の若者の韓国への親近感は、なんとなく「言語」の類似性にあるような気がします。
大陸の音楽性とは違う、音への呪力の込め方が、僕は結構好きです。
中国は漢字に呪力を込めましたが、韓国は音です。
感情が乗るいい言語です。
昔、知り合った韓国の人が「文は長くするほど丁寧になる」と言っていて、同席していたドイツの人が驚いていました。
それは、なんとなく日本人の僕にもわかる感覚です。
つまり「ありがとう」より「ありがとうございます」、それより「本当にありがとうございます」、さらには「この度はこのようなご高配をいただき、誠にありがとうございます」という方が丁寧。
それは短い言葉でやり取りできる方が、仲がいいということでもあります。
言葉のあり方が人間関係に反映されるという韓国の文化は、日本の文化とも親和性が高い。
中国の文体とは勝手が違う。日本人の中国への疎遠な感じは、そこからきているような気がします。
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少女時代がいいなと思ったのは、あのアイドルたちの隔絶感です。
どう足掻いてもあの高みには行けない。
それが良さだったと思います。
同時期のAKBとはそこが違った。
可愛さではなく美しさという感覚。
それも天女のような。
映像が頭に残り、音楽が耳を支配する。
そして決して手が届くことのないという安心感。
それは、本当に常識的なことです。美しいものが決して手に入らない。自分にとって美しさというのは? 欲しいものはどうすれば手に入る? 自分が欲しいと思うべき存在とは?
そう考えると、クラスメイトのどんな女の子も、あの美しい天女とたち変わらず、一個の存在であることに気づく。
美しいものを求めている時に、当たり前のことですが、みんなが美しいと思うものを、自分も欲しいと思う必要はない。
自分にとって「好き」とは何か。惹かれるとはどういうことかを、その時考えさせられました。
それがたった一つに収斂するわけではないですけど、良さを各所に見出すことで、自分の世界が形成される。
それが僕の生存戦略と言えるでしょう。
全ての美しさを美しさと認める審美眼は必要ですが、客観的な美しさの評価と自分の価値基準を一致させる必要はない。
主観的な人間なんです。
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あの頃の熱狂には正直ついていけず、基礎教養科目として教室の端で履修していた少女時代ですが、それでも真面目なので、「SNSD」と打ったりなんかして、例えば「Girls' Generation」のような曲を探す。日本語で検索していると出てこない(韓国語の歌詞なので)いい曲です。
YouTubeで検索すると、なんでも出てくる時代でした。
検索する時にアルファベットで打ち込むという中学生にとってのちょっとしたコツは、いかに子どもたちを英語に向かわせたか。
それはどうでもいいですけれど。




