三曲目「ロマンスがありあまる」
「府雨の音楽記憶」三曲目「ロマンスがありあまる」
ゲスの極み乙女
精神疾患を抱えながら浪人していた時に聴いていた。
とりあえず鬱だった。
自宅のリビングで、赤本をとりあえず机の上に置いて、その上に腕を置いて寝ていた。
パソコンでただただ「ロマンスがありあまる」を再生させながら。ほないこかを眺めながら。
寝ながらパソコンで違法アップロードのドラマ「すべてがFになる」を観て、観ていてというか、ゲスの極み乙女の「デジタルモグラ」を聴いていた。
シングルを買ったのは、浪人しながら和歌山の父のもとに身を寄せていた時。あの時は躁鬱がひどくて、眠れずに午前二時、起きるの午後二時の十二時間睡眠体制で、大学に行けば治ると思い、とりあえず私立に入るものの、四ヶ月で中退。
ひどいね。
でも、音楽というものはすごくて、何もする気にならなくても、美しく響くから、死にたくないと思った。
あの頃読み切れた本はない。
二冊『ロックフェラー回顧録』と『脊梁山脈』だけ。それも半分くらい。
漫画は父の部屋にあった「ハチワンダイバー」を繰り返し読んでいた。暇で暇で仕方がなかった。
躁鬱どちらでも勉強なんかできない。
歩かないから太るばかりで。
そういえば漫画「ピーチボーイリバーサイド」のヨハネ版一巻を見た時は震えたなぁ。
和歌山から天王寺の予備校に通っては、授業にも出ずにブックオフとかで時間を潰し、やよい軒で爆食してた。
どうやったら受かるのかというと、鬱になればよかったらしく、二浪目の時に落ちた京都に、三浪目の時は受かった。
二浪目の時も三浪目の時も二ヶ月入院していた。二浪目の時はセンターも九割で、絶対落ちないと思っていたら、躁だったらしく、国語一割で落ちた。15/150。
三浪目の時は国語二割だった。
「? 文学部だよな ?」
***
和歌山で浪人していた頃は、とてもいろんな経験をした。
小人閑居して不善をなす。
暇だったのでブックオフに大切にしていた本を売ってしまったし、時計は無くすし、予備校にはいかないし、本は読めないし、勉強はしないし、定期は勝手に解約するし、家出するし。
駅前のコンビニの店員さんと話したり、駅前のカラオケ屋で出禁を食らったり、やんちゃな高校生と戯れて蹴られたり、高い服を買ったり、大声で外で歌を歌ったり。統合失調してそう。
父と一緒に数学をやっていたのは、かすかに覚えているのだけど。その割に二次の数学は三割だった。その上国語二割で、どうやって受かったのだろう?
紀三井寺まで歩いたり、市立図書館に行ったり、なんやかんや抗い続けたなぁ。
和歌山という街は苦手です。嫌いではないけど。いや、嫌いなのかも。ご飯は美味しかったけど。
できるはずのことができなくなる経験。
ただ勉強することがどうしてできないのだろう。
大学は楽しみにしていたのに。
本を読む生活がしたかっただけなのに。
なんで躁鬱になったのか、僕にはよくわからない。
ただ、世相はのんびり本を読むという状況を呈しておらず、受験は「覚悟」が必要らしい。
競争させないと、高い成果は得られない。
自由でないと、多様ではない。
大学受験が躁鬱をもたらしたのなら、大学を諦めるのも手だったかもしれない。
でも僕は逆にどっぷり受験に浸かり、今でも受験や大学をテーマにした小説をなろうに上げている。
***
ピアノの音の綺麗な「ロマンスがありあまる」どこかコミカルでもある。涙を引き絞ろうとするのに、川谷絵音の声がそれを引き止める。
それはなんだか、よさとか正しさみたいなものが、そんなに重要じゃないことを語っていた。
たぶん、本当に重要なことは「楽しい」ことだと思う。
この曲を作るのはきっと楽しい。
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大人になるとか、成熟するとか、そういう観点で考えた時に、18歳から25歳までの七年間は、なんと言えばいいのだろう、殻を破る時期だった。
殻は劇的に破れるわけじゃない。
一枚ずつカケラを剥ぎ落とし、気がついたら違うところにいる。
何もかもが簡単にできたら、体力や精神力が無尽蔵なら、むしろここまで来れただろうか。
十代の最後と二十代の真ん中まで、僕はわけわからなさと戦っていた。
わけわからなさは、意外と、生きる上では必要だとも思った。
高学歴の私立中高出身のYouTubeとかを観ていると、受験が簡単だったから、受験の話をしているような感じを受ける。
できることをやる。みたいな割り切りはつまらなくないのだろうか。
できないことをやり続ける。わからないことを捌いていく。
頭がいいことと頭を使うことは違う。
たぶん、精神疾患は受験より難題だったと思う。
だったというか、今も戦っているのだけど。
若いうちに病に罹ったのは、もしかしたら幸運だったのかもしれない。
家出して捕まった京都の八幡に父が迎えに来て、タクシーで帰る車内、父が袋いっぱいに買ってきてくれた菓子パンの、はくはぐと食べたウィンナーロールの美味しかったことを、僕は忘れないと思う。
高速乗ったの久々だったなぁ。




