↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/11

三曲目「ロマンスがありあまる」

「府雨の音楽記憶」三曲目「ロマンスがありあまる」


 ゲスの極み乙女


 精神疾患を抱えながら浪人していた時に聴いていた。


 とりあえず鬱だった。


 自宅のリビングで、赤本をとりあえず机の上に置いて、その上に腕を置いて寝ていた。


 パソコンでただただ「ロマンスがありあまる」を再生させながら。ほないこかを眺めながら。


 寝ながらパソコンで違法アップロードのドラマ「すべてがFになる」を観て、観ていてというか、ゲスの極み乙女の「デジタルモグラ」を聴いていた。


 シングルを買ったのは、浪人しながら和歌山の父のもとに身を寄せていた時。あの時は躁鬱がひどくて、眠れずに午前二時、起きるの午後二時の十二時間睡眠体制で、大学に行けば治ると思い、とりあえず私立に入るものの、四ヶ月で中退。


 ひどいね。


 でも、音楽というものはすごくて、何もする気にならなくても、美しく響くから、死にたくないと思った。


 あの頃読み切れた本はない。


 二冊『ロックフェラー回顧録』と『脊梁山脈』だけ。それも半分くらい。


 漫画は父の部屋にあった「ハチワンダイバー」を繰り返し読んでいた。暇で暇で仕方がなかった。


 躁鬱どちらでも勉強なんかできない。


 歩かないから太るばかりで。


 そういえば漫画「ピーチボーイリバーサイド」のヨハネ版一巻を見た時は震えたなぁ。


 和歌山から天王寺の予備校に通っては、授業にも出ずにブックオフとかで時間を潰し、やよい軒で爆食してた。


 どうやったら受かるのかというと、鬱になればよかったらしく、二浪目の時に落ちた京都に、三浪目の時は受かった。


 二浪目の時も三浪目の時も二ヶ月入院していた。二浪目の時はセンターも九割で、絶対落ちないと思っていたら、躁だったらしく、国語一割で落ちた。15/150。


 三浪目の時は国語二割だった。


「? 文学部だよな ?」


***


 和歌山で浪人していた頃は、とてもいろんな経験をした。


 小人閑居して不善をなす。


 暇だったのでブックオフに大切にしていた本を売ってしまったし、時計は無くすし、予備校にはいかないし、本は読めないし、勉強はしないし、定期は勝手に解約するし、家出するし。


 駅前のコンビニの店員さんと話したり、駅前のカラオケ屋で出禁を食らったり、やんちゃな高校生と戯れて蹴られたり、高い服を買ったり、大声で外で歌を歌ったり。統合失調してそう。


 父と一緒に数学をやっていたのは、かすかに覚えているのだけど。その割に二次の数学は三割だった。その上国語二割で、どうやって受かったのだろう?


 紀三井寺まで歩いたり、市立図書館に行ったり、なんやかんや抗い続けたなぁ。


 和歌山という街は苦手です。嫌いではないけど。いや、嫌いなのかも。ご飯は美味しかったけど。


 できるはずのことができなくなる経験。


 ただ勉強することがどうしてできないのだろう。


 大学は楽しみにしていたのに。


 本を読む生活がしたかっただけなのに。


 なんで躁鬱になったのか、僕にはよくわからない。


 ただ、世相はのんびり本を読むという状況を呈しておらず、受験は「覚悟」が必要らしい。


 競争させないと、高い成果は得られない。


 自由でないと、多様ではない。


 大学受験が躁鬱をもたらしたのなら、大学を諦めるのも手だったかもしれない。


 でも僕は逆にどっぷり受験に浸かり、今でも受験や大学をテーマにした小説をなろうに上げている。


***


 ピアノの音の綺麗な「ロマンスがありあまる」どこかコミカルでもある。涙を引き絞ろうとするのに、川谷絵音の声がそれを引き止める。


 それはなんだか、よさとか正しさみたいなものが、そんなに重要じゃないことを語っていた。


 たぶん、本当に重要なことは「楽しい」ことだと思う。


 この曲を作るのはきっと楽しい。


***


 大人になるとか、成熟するとか、そういう観点で考えた時に、18歳から25歳までの七年間は、なんと言えばいいのだろう、殻を破る時期だった。


 殻は劇的に破れるわけじゃない。


 一枚ずつカケラを剥ぎ落とし、気がついたら違うところにいる。


 何もかもが簡単にできたら、体力や精神力が無尽蔵なら、むしろここまで来れただろうか。


 十代の最後と二十代の真ん中まで、僕はわけわからなさと戦っていた。


 わけわからなさは、意外と、生きる上では必要だとも思った。


 高学歴の私立中高出身のYouTubeとかを観ていると、受験が簡単だったから、受験の話をしているような感じを受ける。


 できることをやる。みたいな割り切りはつまらなくないのだろうか。


 できないことをやり続ける。わからないことを捌いていく。


 頭がいいことと頭を使うことは違う。


 たぶん、精神疾患は受験より難題だったと思う。


 だったというか、今も戦っているのだけど。


 若いうちに病に罹ったのは、もしかしたら幸運だったのかもしれない。


 家出して捕まった京都の八幡に父が迎えに来て、タクシーで帰る車内、父が袋いっぱいに買ってきてくれた菓子パンの、はくはぐと食べたウィンナーロールの美味しかったことを、僕は忘れないと思う。


 高速乗ったの久々だったなぁ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。