十曲目「游京」
「府雨の音楽記憶」十曲目「游京」
音阙诗听
等什么君
京に遊ぶ。
北京に同僚と行ったゴールデンウィークは、転職したばかりで、かなり大変なタイミングだった。
今年2026年も、そろそろ師走に向けて駆けていく。
慣れない仕事に、忙しさも相まって、緊張し続けていたのに、ゴールデンウィークは休養を取らずに北京へ。
初めて中国でタクシーに乗って、中国語が通じた時は、少し嬉しかった。案外通じる。日本から来たというとびっくりされた。
好きなだけの中国語だけど、もう少し上達したい。
題にした「游京」は、いろんな歌手に翻唱されている。僕がスマホに入れてるのは、「音阙诗听」版と「等什么君」版。
国風と呼ばれる、日本でいうところの演歌的なジャンル、なのか? あまり詳しくないのでわからないけれど、僕は「バランス」が「大陸風」に寄りすぎていると聴かない傾向にある。
国風は美しいのに、たまに国粋主義的というか、かなり政治的なメッセージと音調で流れてくることもあって、曲がいいことも多いのだけれども、なかなか日本人としては聴けない時もある。「谭晶」の長征版は歌詞全然違うし。まあ、長征ですしなぁ。
黄霄雲の「山河」は(纪念抗战胜利80周年青春传承曲)と副題があって、歌詞も綺麗で音楽も最高なのですが、副題つけられるとなんか聴く気がなくなる。
国風のイメージは、なんとなく唐代。活況を呈する市場を想像する。
旅で歩いた北京の街は、どこかゲームのようで、産業化の影響もそこまでの、人の息が感じられる世界。
音阙诗听の游京は、ピアノの出だしがとても綺麗で、国風なのに?ドラムがリズムを作り、軽快に走る。
ホテルで自分が北京にいることに、音楽を聴きながら胸が締めつけられそうで、行けてよかったと、心から思った。
仕事は、帰国後すぐで、買った本はまだ読めていない。
もうあれから五ヶ月も経った。
仕事は少しずつ新しい局面に進む。
成長していると信じたい。游京は、一番きつかった時に聴いていたから、それを思い出してしまう。最近まで聴けなかった。
いい曲だから。音阙诗听は他に「大喜」と「丹青」を聴きている。
等什么君は、あの冷静な顔が好き。「赤伶」もいい翻唱だけど、最近楽しく聴いているのは「与君咫尺天涯」。
中国の映画「少年の君」のサントラも聴いている。
なんであんなに受験って悲しいんだろ。
なんで家族関係が、受験なんかと引き換えになるんだろう。大学なんて、どこでもいいのに、それにこだわったから、病気にまでなって。誰に認めて欲しかったのか。自分をどうして許せなかったのか。
何も見えていない子どもを抱えるのは、きついことではなかったか。
高考のシーン。日本とは全然違う。命がかかっている。が故に簡単だとも思う。
カリカリと答案を書くことだけに専念できるのは、幸福なことだ。でも、映画であったように、何かを抱えている子が学びを一番大きなものにできる。
生活の苦しみはいつも、学びの裏側にある。
学ぶ子は、その人生に大切なものを背負っている。
解決すべき課題を、すぐに解決することはできない。時間をかけることだけが努力だ。
聴いている「游京」は、東京の街のことも想起させる。洗練された、例えばスクランブル・スクエアなんかを見ると、中国の屋台と何が違うのか。北京で朝ごはんを買った時、少し話して、嬉しくなった。スクランブル・スクエアで祖母のお土産を買う時、少し話して、やっぱり嬉しくなった。
京とは、友達や家族と歩いて話すための箱庭なんだと思う。たとえそうと知らなくても裏側には命が埋まっている。




