第30話「みんないなくなった」
縁側に座って、空を見ていた。
特に何も考えていなかった。ジジが隣にいた。お茶が冷めていた。それだけ。
風が来て、庭の草を揺らした。ジジの毛がひとすじふわっと浮いて、また落ち着いた。遠くで鳥が鳴いて、止んだ。静かな午後だった。
ふと気がついたら、頭の中で数えていた。
アルバートが逝ったのは三年前だ。
あの人は最後まで、謝り足りないという顔をしていた。「もういいのよ」と何度言っても、きれいに受け取ってもらえない。こちらが受け取るといくらでも謝ってくる。謝罪を受け取ってもらえないのが堪えるらしいが、謝罪を押しつけてくる方も中々だと思った。
逝く前に手を握った。骨張った手だった。昔の威厳が、その手の節に少しだけ残っていた。
リュカは、もっと前だった。奥さんを先に亡くして、そのあとしばらくして逝った。最後まで穏やかな人だった。妻同伴で謝りに来たのには少し笑ったけれど、まあリュカらしかった。不器用で、善意の人。幼なじみというのは、案外そういうものかもしれない。
セリアのことを、久しぶりに思った。
あの子は「黙っていてごめんなさい」と言って泣いた。私が「覚えてないわよ」と言ったら、ようやく泣き止んだ。覚えていなかったのは本当だった。五十年も経てば、あの大広間に誰がいたかなんて霞む。でも覚えていなかったと言われる方が、許されるより楽だったのかもしれない。セリアは賢い子だったから、それでよかったんだろう。
夫のガレスがひとりで来たのは、セリアが先に逝ってからだった。
「幸せでしたか」と聞いたら、「幸せでした」と言って泣いた。それでいい。友情がどうとか奪ったとかより、セリアが幸せだったという一言の方がずっと大事だった。
ヴィクターは一番最後に来て、一番きつそうな顔をして帰っていった。
「まあ、いい判断だったんじゃない?」と言ったら、泣いた。泣くとは思わなかった。あの人があんなに泣くとは。でも、泣けてよかったんじゃないかと思う。ずっと持っていたものを、どこかに置いていけたなら。
五人。
五人、全員先に行ってしまった。
……まあ、そういうもんね。
悲しいかと聞かれたら、悲しくないとは言えない。でも泣きたいかというと、そういう気分でもなかった。
みんな、ちゃんと生きた。
アルバートは国を治め、最後に謝りに来た。リュカは愛した人と暮らして穏やかに逝き、セリアは幸せだったと夫に言わせるくらいよく生きた。ヴィクターは自分の判断を抱えたまま逝って、ガレスだけが最後に私のところまで来た。
誰一人、悪い死に方をしなかった。
悪役令嬢として断罪された夜に、あんなにも怖かった未来が、こんな形で終わるとは。あの夜の私に教えてやれたら。全員ちゃんと生きて、ちゃんと死ぬから大丈夫よ、と。
まあ、知らなくてよかったかもしれない。知っていたら、途中の一日一日をそんなに必死に生きなかった気がする。
ジジが伸びをして、また丸くなった。腹がぽかぽかして、ぐるぐるいっている。
お茶を飲んだ。すっかり冷えていたけれど、まあいいや、と思った。
寂しいかと、自分に聞いてみた。
寂しい、かもしれない。でもそれは、みんながいなくなったからじゃなくて、みんながいた時間があったからだ。いた時間が長かったぶん、いなくなった後の静けさが少し大きい。それだけのことだ。
残されたのが私というのは、なんとなく納得がある。
もともと、ひとりで平気な人間だった。松子のころからそうだった。みんながいた時間は賑やかで良かったけれど、こういう静かな時間も、悪くない。
庭に目をやると、また風が吹いていた。
草が揺れた。ジジの毛がひとすじ、ふわっと浮いた。
「先に行ったわね、みんな」
ジジは返事をしなかった。
「まあ、そういうもんよ」
風が止んだ。音が遠のいた。
全員いなくなって、私だけが残って、縁側にジジと並んで座っている。それが今の景色だった。寂しくはない、と思う。正確に言えば、寂しいけれど壊れるほどじゃない。ちょうどいい重さの静けさが、今の私には合っていた。
ジジが欠伸をした。
「そうね」と言った。
何に同意したのかは、自分でもよくわからなかった。まあ、猫がいてくれれば十分だ。ひとりじゃないし、うるさくもない。ジジは相変わらず何も聞いていないふりをして、また目を細めた。
縁側の午後はゆっくり過ぎていく。それでいい。




