第27話「ばあさんって呼ばれた」
辺境に着いたのは夏だった。
村の名前はラッセル。地図にかろうじて載っている程度の、小さな集落。山の手前に民家が二十軒ほど固まっていて、畑と羊と何もない。それが最初の印象だった。
夏の辺境は、王都とにおいが違った。土と草と獣のにおいが混ざって、熱い空気の中にべったりとある。馬車を降りたとき、真っ先にそれが来た。悪くはなかった。むしろ、何かが始まる感じがした。
私は二十代の前半で、痩せていて、荷物が少なかった。村の入り口で立っていたら、通りかかった老人に「どこから来た」と聞かれた。
「王都の方から」と答えた。
老人は特に感想もなく「そうか」と言って、通り過ぎた。誰も私の出自を気にしなかった。令嬢だとか、追放されたとか、そういうことを知らないし、知ろうともしない。
最初はそれが、奇妙なほど楽だった。
薬師の修行は王都でかじっていた。見習い程度の腕しかなかったけれど、辺境には薬師がいなかった。需要と供給が合った。ただそれだけで、私は村に居場所を得た。
あっさりしたものだ、とは思った。でも、あっさりしているのが辺境のいいところだった。
石壁の薄い小屋を借りた。夏でも夜は冷えた。でも自分だけの場所というのは、それだけで妙に落ち着く。窓から山が見えて、朝になると鳥が鳴く。種類はわからなかったけれど、よく通る声だった。
薬草を集めて、少しずつ薬を作った。最初の冬は失敗ばかりで、村の人に迷惑をかけた。でも誰も責めなかった。「またやり直せばいい」とだけ言われた。
それだけで、また続けられた。
辺境の冬は長くて、静かだった。雪が積もると音が消える。薬草を砕く音と、火が燃える音だけになる。孤独かと聞かれたら、孤独だったかもしれない。でも壊れるほどじゃなかった。松子のころからひとりの夜には慣れていた。ゲームのキャラクターに語りかけながら夜更かしした日々が、こんなところで役に立つとは思わなかったけれど。人生、何が役に立つかわからない。
呼ばれたのは、翌年の秋だった。
子どもの風邪に薬を届けに行ったとき、その子の母親が玄関を開けながら言ったのだ。
「ああ、レナばあさんが来た」と。
私はそのとき二十五か、六か。どう見ても「ばあさん」ではない。
でも母親は何も悪いことを言った顔じゃなかった。ただの呼び方として、自然に言う。玄関の先で子どもが顔を赤くして寝ていた。母親は疲れた顔をしていた。ただのそういう午後だった。
……ばあさん?
あとで聞いたら、村ではひとりで薬を作っている年上の女性を「ばあさん」と呼ぶ習慣があるらしかった。尊称というか、一人前の証というか、そういう意味合いらしい。
令嬢じゃない。悪役でもない。「ばあさん」。
おかしいな、と思った。でも嫌じゃなかった。
むしろ、すとんと落ちた。
レナ・フォン・アシュレイという名前は、もう随分と重かった。家名も過去も断罪された記憶も、全部くっついてくる名前だった。松子という名前は前世の話で、今の体とは別の話だ。
でも「レナばあさん」は、何もついてこなかった。
ただの呼び方。ただの私。薬草を煮て、失敗して、また作り直して、子どもの熱を下げられた。それだけの人間への呼び名。
次に村の子どもに「レナばあさん」と呼ばれたとき、私は普通に返事をした。
「はい、なに」と。
その子は転んで膝を擦りむいていた。傷に草汁を塗ってやって、泣き止んだのを確認して帰った。子どもの頬が秋の風で赤くなっていた。特別なことじゃない。でも何かが、音もなく脱げた気がした。重たいものを長いこと背負っていて、気づかないまま下ろせた、そういう感じ。
令嬢でも悪役でもない。松子でも断罪されたレナでもない。
ただの「レナばあさん」。
村の人には、それで十分だった。私にも、たぶん、それで十分だった。
ジジはまだ生まれていない頃の話だ。この村に来て何年も経ってから、ひょっこり迷い込んできたのがジジだった。痩せて汚れた子猫が小屋の前に座っていて、鳴きもしないで私を見ていた。呼んでもいないし、迎えてもいない。ただそこにいた。そのずうずうしさが、なんとなく気に入った。干し魚をひとかけらやったら、くんくんと嗅いで、それから食べた。それだけで決まった。あの目つきは今も変わらない。
今日も縁側でそのジジが日向ぼっこをしている。丸くなって、目を細めて、完全に無防備な顔をしている。無防備なくせに、なぜか偉そうだ。
でも、もし当時のジジに話したとしたら。
「ばあさんって呼ばれたのよ、二十代で」と言ったら、きっとあくびをしてそっぽを向いただろう。
今言っても、たぶん同じ反応をする。
試してみるか、と思ったけれど、起こすのも悪いのでやめた。まあ、それくらいの話なのだ。猫を起こすほどでもない。




