第26話「追放された日は晴れだった」
晴れていた。
それがいちばんに浮かぶ。怒りでも悔しさでも、泣いた顔の記憶でもなく、馬車の窓から見えた、嫌になるほど青い空。
断罪されたのは春の終わりだった。大広間に呼び出されて、王太子殿下のお言葉を頂戴して、ぐるりと取り囲む顔の中に幼なじみも候補生仲間もいた。全員が私を見ていた。まるで舞台の幕引きを眺めるような、揃いすぎた顔で。
なかなかのものだった。みんなよく揃えてきた。練習でもしたのかしら。
大広間の壁には歴代国王の肖像が並んでいて、どの顔もこちらを睨んでいた。春だというのに底冷えがする。靴越しに床の冷気が伝わってくる。声が飛んでくるたびに背筋が走るのとは別の、地面からくる静かな冷たさだった。
屋敷を出て、王都の門をくぐって、街道に出てからようやく声が出た。馬車の中でひとりで泣いた。みっともなく、鼻水まで出して。御者に聞こえていたと思う。でも止まらなかった。
馬車の中のにおいを、今でも覚えている。古い革と埃と春の草が混ざった、妙な組み合わせ。窓を少し開けたら風が入ってきて、その風がまた爽やかで、悔しかった。
泣くための空気じゃなかった。
怖かった。腹も立ったし、何より怖かった。
どこへ行けばいい、これから何をして生きていくんだ、誰もいない、何もない。私はもう「アシュレイ公爵家の令嬢」ではないのに、それ以外の私というものがない。肩書きを剥がしたらぺらっぺら。名刺がなくなったサラリーマンと同じね。
前世の松子だって、大差なかった。会社と家の往復で、趣味の読書とたまの映画で終わった人生だ。どちらの私も、根っこはひとりで何もない。二回生きて、二回とも似たようなところに落ちるとは。なかなかブレない。
泣きながら、窓の外を見た。
青かった。
雲一つない、鮮やかな青。街道の両脇に麦畑が続いていて、風に揺れていた。穂がまだ出きっていない若い緑の波。風が吹くたびにさわさわと音が立って、馬の蹄の音と混ざって、妙ににぎやかだった。こちらは大泣きしているのに、耳には穏やかな音ばかり届く。
なんで晴れてるんだろ、と思った。
こんな日に晴れなくていい。もっと曇っていてほしかった。でも空は関係ないから、ただ晴れていた。太陽がちゃんと真上にあって、温かくて、気持ちのいい春の午後。追放される人間に向ける空の顔じゃない。
泣きながら、少しおかしくなった。
松子として生きて、気づいたらレナとして生まれていて、悪役令嬢のくせに記憶があるから懸命に立ち回って、それでもこうなった。何をやっているんだろ、私は。二回も生きて、二回とも。攻略wikiでも見ておけばよかった。いや、そもそも攻略wikiがあったかどうかも怪しい。
でも、その「おかしさ」が少しだけ、怖さを押しのけた。
どうせもう全部なくなったなら。どこかへ行って、何か別のことをして生きてみようか。令嬢でも悪役でも松子でもない、ただの人間として。
辺境に行こう、と決めたのはその瞬間だった。
理由はない。ただ、いちばん遠かったから。それだけで十分な理由だった。
ふり返って街道の先を見たら、まだ青い空が続いていた。嫌になるくらい、どこまでも晴れている。麦畑の向こうに山の稜線がうっすら見えて、その上に白い雲がひとつだけ浮いていた。遠かった。まだずっと遠かった。それでもよかった。
今になって思う。あの日が、始まりだった。
断罪されたのでも、追放されたのでもなく、ただ新しいどこかへ向かう馬車に乗った日。怖くて悔しくて情けなくて泣いていたけれど、空だけは何もなかったかのように青くて、風は麦を揺らして、馬は黙って走っていた。
あの空が、私の辺境の最初の一枚だ。
まあ、うまくできた話じゃないけれど。晴れていたのは本当だから、それでいい。
ジジが膝の上でのびる。腹がふわりと温かくて、毛の感触が柔らかい。縁側に午後の光が差し込んで、ジジの毛が少し金色に見える。
「そういう日もあるわよ」と言ったら、ジジは何も答えずに目を細めた。
七十年も経てば、あの春の空もずいぶん遠くなった。でも不思議と、鮮明だ。他のことはいろいろ霞んでいるのに、あの青だけは妙に残っている。人の記憶というのは変なもので、大事な場面より、どうでもいい空の色の方が残っていたりする。
まあ、悪くない記憶の残し方だと思う。
ジジが一度のびをして、また丸くなった。温かいお腹がひざの上でゆっくり上下する。縁側の午後は静かで、遠くで鳥が一声鳴いて、それだけだった。
「あんたが生まれる前の話ね」
ジジは当然何も言わない。そういうものだ。七十年分の話を全部誰かに聞かせる必要もない。
猫がそこにいて、空があの日と同じ色をしていれば、それで十分だった。




