第20話「先に行くんですね、あなたも」
知らせが来たのは、春のはじめだった。
ヴィクターの家から使者が来た。元宰相閣下が先月末に逝去した、と。馬車に揺られて五日かけてわざわざ届けに来た使者は、几帳面な主人らしく手紙も持ってきた。丁寧な文字で、ヴィクターの名前と日付が書いてある。筆跡まで、端正だった。
几帳面な人の、几帳面な遺言執行だ。
私はその手紙を縁側で読んだ。
春先の日差しは柔らかく、縁側が温かかった。こういう穏やかな朝に、こういう知らせが来る。悪意があるとも思わないが、なんとも間が悪い気がした。
ジジが膝に乗って、手紙をじっと見ていた。読めるわけがないのに、いつもこういうとき見てくる。
几帳面な人だった、とまず思った。
毎朝同じ時間に来て、同じ言葉で謝って、私が流すたびに行き場をなくして固まっていた。お茶の飲み方も、縁側への座り方も、どこか整然としている。老いても背筋が伸びていて、それがかえって可愛かった。
謝罪を受け取ってもらえないまま逝ってしまった。
受け取れるものが私にはなかったから、どうしようもなかったのだが、それはヴィクターの側には関係のない話だ。あの人はあの人なりの整理をしたかったのだろう。最後まで、できなかった。消化不良のまま逝ったかしら、と私は思った。
「四人目よ」と私はジジに言った。
ジジが私を見た。黄色い目が、じっとしている。
「アルバート、リュカ、セリア、ヴィクター。みんな先に行ってしまった」
ジジが鼻をひくっとさせた。返事のつもりかどうかは、いつもわからない。
「あなたは長生きしてるわね。私よりよっぽど先に逝くかと思ってたけど」
ジジが欠伸をした。大口を開けて、牙が見えている。長い欠伸だ。何か言われるたびに欠伸をする。十二年経っても判断がつかない。まあ、いい。欠伸でも、返事があるだけましだ。
ヴィクターが最後に来たのは、確か秋のことだった。
またお茶を飲んで、また謝って、私がまた流すと、ヴィクターがまた固まる。それからしばらく、二人で庭を眺めた。秋の草が少し色づいて、ジジが落ち葉を踏んでいる。
帰り際に「また来ていいですか」と聞くから、「来てもいいわよ」と言ったら、深々と頭を下げて帰っていった。
でも来なかった。体を悪くしていたのかもしれない。それとも、仕切りをつけたのかもしれない。
来なかった理由より、来ていた間のことの方が記憶に残っている。毎朝几帳面に謝る老人と、毎朝それを流す老婆。傍から見たらおかしな光景だったかもしれないが、悪くなかった。
「あなた、謝り足りなかったかしら」
私は手紙に向かって言った。
返事は来なかった。当たり前だ。手紙は手紙だ。
「謝らせてもらえなくてごめんね、と言ってあげるべきだったかしら。でも受け取れないものは受け取れないから、どうしようもなかったのよ」
庭の草が揺れた。風の音がした。
「几帳面な人だったわ、最後まで。あなたが宰相をやってくれたから、国がきちんとしていたのかもしれない。あなたが出世してよかったと、私は本当にそう思ってたのよ」
言ってから、生前に伝えられただろうかと思った。
伝えていた。ちゃんと言った。受け取ってもらえたかどうかは知らないが、言ったのは確かだ。
それならいい。
使者がまだ門のところで待っていた。
私は立ち上がって、声をかけた。
「遠いところをよく来てくれた。少し休んでいきなさい」
「いえ、そのような——」
「几帳面な主人に雇われた人は、みんな遠慮深いのね」
使者が少し困った顔をした。若い男で、旅の疲れが顔に出ている。
「まあ、そう言うなら茶くらい出すから、入りなさいよ」
使者が「失礼します」と頭を下げて入ってきた。
縁側に三人分の場所はないから、私が縁側に座って、使者は庭の端の石に腰かけた。お茶を出したら、両手で受け取っていた。几帳面な主人に雇われていただけのことはある。
使者が帰った後、私は一人で縁側に戻った。
ジジが膝に乗ってきた。
春の空は薄い青で、雲が少しずつ流れていた。どこかで花の匂いがする。風に乗って来て、また消えた。
「あなたはちゃんと謝ったわよ」と私は空に向かって言った。「受け取れなかったのは私の事情だから、気にしないでいいわ」
風が通った。
「几帳面なんだから、向こうで会ったアルバートやセリアにもきちんと挨拶してるでしょうね」
ジジがごろごろと喉を鳴らした。
向こうで四人がどんな顔で会っているか、知る方法はない。でも断罪の場で顔を合わせた連中が、老いた顔でまた揃うのは、なかなか妙な光景だろう。ヴィクターが四人分まとめてお辞儀しているかもしれない。あの人ならやりかねない。
私はお茶を飲んだ。
ぬるくなっていたが、悪くない味だった。縁側の春が、静かだった。




