表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢はとっくに老婆です。今さら謝りに来ないでください  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/32

第17話「踏み台にしました、正直ね」

翌朝、ヴィクターはまた来た。


日が高くなる前の、まだ空気が冷たい時間だ。門のところに立って、声をかけてきた。供回りは今日も外に置いてきたらしく、中には入ってこない。几帳面な主人の、几帳面な指示なのだろう。


「昨日よく眠れた?」私は縁側から声を返した。


「あまり」


「そう。まあ、入りなさい」


ヴィクターが庭を歩いてきた。昨日と同じ立派な服だ。旅の荷物の中にああいうのが何着も入っているのだろう。面倒な人たちね、と私は思った。この村に来るのに正装が必要かしら。


縁側に腰を下ろして、また庭を眺めている。


私はお茶の支度をしに行った。


湯呑みを二つ持って戻ったら、ヴィクターが「お手伝いを——」と立ちかけた。


「いらない」


「しかし」


「私はこれで五十年飯を作ってきたの。若い人に手伝ってもらう必要はないわ」


ヴィクターが「若くはありませんが」と言った。


「私よりは若いでしょ」


それきり二人で黙ってお茶を飲んだ。


朝の光が庭に斜めに落ちている。草の葉先に昨夜の露が残っていて、光を受けてきらっと光った。綺麗なものね。まあ、声には出さない。言わなくていいことというものがある。


ジジが縁側の柱のところで毛を繕っている。今日はヴィクターに近い方に陣取っていた。少し慣れてきたらしい。猫は正直だ。嫌いな相手には絶対に近づかない。


「レナ様」


ヴィクターが切り出した。


「うん」


「昨日は続きを明日に、と言われたので——今日、話させていただきたいのですが」


「どうぞ」


ヴィクターが湯呑みを膝の上に置いた。居住まいを正し、少し息を吸う。それだけで、準備してきた話だとわかった。


「あなたの失墜を、私は利用しました」


言葉が平坦で、言い訳の気配がない。私の反応を試すような間も、謝罪を先に出すような柔らかさもない。ただ事実を言った、という声だった。


私はお茶を飲みながら聞いた。


「あなたが断罪されて、宮廷の力のバランスが変わった。アシュレイ家が失脚し、その周辺にあった仕事と人脈が空く。私はそこに入りました。あなたがいなければ手が届かなかった場所です。あなたの上に積み上げた地位です」


言葉が止まった。


庭の草が揺れる。風の匂いが少しだけ湿っている。


「……正直ね」私は言った。


「偽ってもどうにもならないので」


「そうね」


私はしばらく、湯呑みの底を見た。


利用された、と聞いて、怒りが来るかと思った。来なかった。そうだろうな、とどこかで思っていた気もする。誰かが動いたはずで、それがヴィクターだったのか、という話だ。まあ、そういうものでしょ。


「まあ」私は言った。「いい判断だったんじゃない?」


ヴィクターが固まった。


「私が出世してもろくなことにならなかったし」


「……は?」


「あの頃の私が宰相になってたとして、何ができたかしら。断罪された悪役令嬢よ。前世の記憶があって、ゲームのことは知ってたけど、政治のことなんて何も知らなかった。あなたの方が向いてたんじゃないの」


ヴィクターが「向いているかどうかの話ではなく」と言いかけた。


「向いてる話でしょ」


「……」


「利用した、とあなたは言うけれど。私はそこにいなかった。空いた席に座ったというだけで、それはあなたが悪いわけじゃない」


ジジが欠伸をした。大口を開けて、牙が見えている。長い欠伸だ。


「あなたは」ヴィクターが言った。「怒らないのですか」


「どうして怒るの」


「私はあなたの不幸を足場に出世した男です」


「でも私を不幸にしたのはあなたじゃないでしょ。断罪したのはアルバートで、黙ってたのはセリアで、あなたはその後の話だ」


「だとしても——」


「だとしても、何? あなたが謝ったとして、私の五十年が変わるの? 変わらないでしょ」


ヴィクターがまた黙った。湯呑みを両手で持ったまま、どこを見ればいいかわからないような顔をしている。


困った顔だ。元宰相が縁側で困った顔をしている。


お茶が冷めかけていた。私はそれを飲み終えた。


「私ね」私は言った。「最初はここが嫌だったの。追放されて、知らない土地に放り出されて、何していいかわからなかった。薬草のことは少し知ってたから、それで食いつないで。そのうち村に馴染んで、気づいたら五十年。早いものね」


「……」


「悪くなかったわよ、この人生。ゲームの通りに生きなくてよかったかもしれない。宰相になってたら、別の面倒ごとが山ほどあったと思うし」


「それは」ヴィクターが言った。「慰めですか」


「慰めじゃない。本音よ」


ヴィクターが私の顔を見た。


長い時間、見ている。何か言いたそうだったが、言葉が出てこないようだった。


「お茶、もう一杯要る?」


「……いただきます」


私はまた台所に行った。


「いい判断だった」と言われるとは思っていなかったのだろう。まあ、しょうがない。本音がそれなのだから。


台所の入り口にジジがいた。何かほしそうな顔で、こちらを見ている。おやつはさっきあげたでしょ、と思ったが、黙って無視した。どうせまた欠伸をするだけの猫だ。


お湯を注ぎながら、そんなことを考えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ