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悪役令嬢はとっくに老婆です。今さら謝りに来ないでください  作者: 夜凪 蒼


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第16話「宰相様がへこへこしてる」

村の入り口でなにやら騒ぎになっているのは、朝のうちから聞こえていた。


ジジが縁側の端に座って、そちらの方をじっと見ている。耳がぴんと立っていた。何かを察しているのだろうが、何も教えてくれない。役に立たない猫だ、まったく。


「うるさいわね」


湯呑みを持ったまま、私もそちらを眺めた。


村人の声がした。「馬が、馬が十頭以上来てます」とか「制服着た人がいっぱい」とか。子どもが走り回って、犬が吠えている。


朝からうるさい。


しばらくして、村長が赤い顔をして走ってきた。


「レナばあさん! 大変です! ヴィクター・ルスタン元宰相閣下がいらっしゃって……」


「そう」


私は湯呑みを置いた。ヴィクター。聞き覚えのある名前だ。宰相の息子だったか、あの頃は。今は元宰相。ずいぶん出世したのね、あの子。


「お通しして」


「え、でも供回りが二十人近くいて——」


「供回りは外で待たせれば済む話でしょ」


村長が「はあ」とうなずいて、また走って戻っていった。走り方が完全にパニックだった。まあ、そうなるわよね。


私はのそのそと立ち上がり、お茶の支度をしに台所へ向かった。


縁側から見える門のところに、白髪の老人が立っていた。


杖は持っていない。背筋はまっすぐだ。でも顔には年齢が刻まれていて、七十は過ぎているだろう。立派な老人だ。


服も立派だった。刺繍が入っていて、釦が金色で、帯のような飾りがいくつも垂れている。宰相というのはああいう格好をするのか。村でそんな服を着ている人間は一人もいない。


供回りの連中が後ろにずらりと並んでいたが、全員、門の外で止まっている。


そしてヴィクターだけが、門の内側に入ってきた。


私の顔を見た途端、その老人が深々とお辞儀をした。


供回りの誰かが「閣下」と焦った声を出した。そりゃそうだろう。元宰相が、辺境の老婆の家の前でお辞儀しているのだから。見物だ。


「……お久しぶりです、レナ様」


顔を上げたヴィクターが言った。


声が低くなっていた。あの頃は少し甲高かった。若かったから。今は落ち着いた、よく通る声だ。


「久しぶりね」私は言った。「立ってないで、入りなさいよ。お茶出すから」


「はい」


ヴィクターが素直にうなずいた。


後ろから「閣下、お荷物を——」と供回りの声がしたが、ヴィクターは「ここに置いておけ」と短く言って、一人で歩いてきた。


縁側に腰を下ろして、庭を眺めている。


あんなに立派な格好をしているのに、なんとなく可愛い背中だ。


台所で茶葉の支度をしながら、私はヴィクターのことを思い出していた。


宰相の息子。頭が良くて、要領が良くて、どこにいても周りに溶け込む子だった。敵か味方かよくわからない。そういう子だ。


断罪のときも確かその場にいたはずだが、何をしていたかは覚えていない。もう遠い記憶だ。私がいなくなった後にずいぶん出世したとは、噂で聞いた覚えがある。


まあ、空いた穴を誰かが埋めるのは当たり前のことでしょ。


急須に湯を注ぎながら、別にどうとも思わないことを確認した。


「どうぞ」


湯呑みを縁側に置いたら、ヴィクターがまたお辞儀をした。


「ありがとうございます」


「座ったままでいいのよ。お茶が零れる」


「失礼しました」


素直に戻って、湯呑みを両手で受け取った。


立派な老宰相が、私のぼろい縁側でしゃんと背筋を伸ばして座っている。供回りは外に置いてきた。お茶は私が出した。立派な格好のわりに、妙におとなしいのよね、この人。


ジジが縁側の反対端から、じっとヴィクターを見ていた。


「猫が……」ヴィクターが言いかけた。


「ジジよ。嫌いじゃなければほっといてやって。そのうち慣れるから」


「いえ、嫌いではありません。ただ、じっと見られると」


「あの子はそういう子なの。気にしなくていい」


ヴィクターが小さく「はあ」と言った。


元宰相がジジに気圧されていた。


悪くない光景だ。


「遠かったでしょう」私は言った。「都からここまで、馬でも三日はかかるのに」


「五日ほどかかりました」ヴィクターが答えた。「道が悪くなっていて」


「このへんの道はずっと悪いわよ。直す気がないのかしら、国は」


「……善処します」


「元宰相に言っても仕方ないでしょ」


「おっしゃる通りです」


また深々と頭を下げようとするから、私は「頭下げないの」と先に言った。


ヴィクターが止まった。


「あなた、さっきから何かあるたびにお辞儀してるけど、首が痛くならないの」


「……習慣なので」


「まあ、そういうもんね」


私はお茶を飲んだ。


外から供回りたちの気配がした。静かにしているが、いる。あの連中は元宰相がこの辺境の老婆の縁側でへこへこしているのを見て、今どんな顔をしているだろう。


見てみたい気もする。


「謝りに来たのでしょう」私は言った。「アルバートも、リュカも、セリアも来たから。そういう季節なのかしらと思ってた」


ヴィクターが静かに息を吸った。


「はい」


「続きは明日にしなさい。今日は遠くから来たんだから、まずゆっくりしなさいよ」


「……よろしいのですか」


「よくない理由がないでしょ。ここらで宿を取れる宿屋は一軒しかないから、村長に聞いて。供回りの連中は野宿させるの?」


「いえ、馬車に泊まらせます」


「まあ、勝手にしなさい」


縁側に午後の光が伸びてきた。ジジがようやくヴィクターへの観察を終えたらしく、のそのそと歩いてきて私の膝に乗った。


重い。最近とくに重くなっている。老猫というものはなぜこうなるのか。


「いい猫ですね」ヴィクターが言った。


「そう。いい猫よ」


しばらく、二人でお茶を飲んだ。

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