第15話「またひとり、逝ってしまった」
ガレスが来たのは、朝だった。
門のところに立っていた。一人で。
セリアと一緒に来るかと思っていた。だから一人の影を見たとき、少し間があった。一人か、と思う。それだけで、だいたいわかった。
ジジが縁側の端から立ち上がって、門の方をじっと見た。毛が少しだけ逆立っている。猫にも何かわかるのかもしれない。いや、ただ朝風が冷たかっただけかもしれない。どちらにしても、ジジはジジらしい。
「入りなさい」と私は言った。
ガレスは縁側に腰を下ろして、庭を見ていた。
体が大きいのに、今日は特に小さく見えた。肩が少し落ちて、背中が丸くなっている。人というのは、悲しいときはそういう形になるものだ。
お茶を出した。
朝の空気はまだひんやりしていた。湯呑みから白い湯気が細くのぼって、そのまま消える。何も言わずに置いたら、ガレスが「ありがとうございます」と低い声で言った。
ジジが縁側を歩いてきて、ガレスの膝のそばでとまった。乗るかと思ったが、乗らなかった。ただ、そこに座った。昨日まで膝に乗らなかったくせに。距離の詰め方が、ジジなりにちょうどいいのだろう。
「先月の話です」とガレスが言った。
「そう」
「眠るように、でした。苦しまなかったと思います」
「それはよかったわ」
本当にそう思った。強がりじゃない。眠るように逝けたなら、それがいちばんだ。セリアらしい。最後まできちんとしてる。
ガレスが湯呑みを両手で包んだ。大きな手が、小さな器を丁寧に持っている。ずっと剣を持ってきた手が、今はただ茶碗を温めていた。
「セリアは」と彼が言った。「逝く前に、何度かあなたのことを口にしていました」
「そう」
「許してもらえた気がすると。ずっとそう言っていて」
「変な言い方ね」と私は言った。
「は?」
「許してもらえた気がする、って。気がする、ってどういうことよ。許してもらえたのよ、そのまま受け取っていいのよ」
ガレスが少し目を細めた。苦い顔ではなく、懐かしむような顔だった。
「……そうですね」
「真面目な人だったから、そういう言い方になるのかしら」
「そうかもしれません」
最後まで確信が持てなかったのね、あの子。まあ、それがセリアだ。断罪の場で黙っていたことも、ずっと「気がする」で抱えていた。大変だったわねえ、本当に。
庭の草が風に揺れた。
しばらく黙って、お茶を飲んだ。
縁側に朝の日差しが斜めに差してきた。空気は冷たいのに、光だけが温かい。
ジジがやっとガレスの膝に前足をかけた。乗るかと見ていたが、やっぱり乗らずに前足だけ置いていた。これはこの猫なりの挨拶だ。十二年いれば、だいたい覚えてくる。
ガレスが大きな手でそっとジジの頭を撫でた。ジジが目を細めた。評価が上がったらしい。
「セリアが最後に、ありがとうと言っていました」とガレスが言った。「誰に向けた言葉かは、はっきりとは言いませんでしたが」
「そう」
「あなたへの言葉だったかもしれないと思って、伝えに来ました」
私は空を見た。
薄い雲が流れていた。セリアと並んで裏庭で見た空に似た色だった。あれはいつのことか、もう正確にはわからない。ただ、そういう空を一緒に見たことは覚えている。楽しかったから、覚えている。
三人目ね、と私は思った。
アルバートが一人目で、リュカが二人目で、セリアが三人目。みんな先に行ってしまった。私だけが毎朝この縁側でのんびりお茶を飲んでいる。どこかちぐはぐな気もするが、まあ縁側というのはそういう場所なのかもしれない。先に行った人たちの分まで日当たりがいい。
「ありがとう」と私は言った。
ガレスが顔を上げた。
「わざわざ来て、教えてくれて」
「いえ」
「あなたも大変だったでしょ、ここまで来るのに」
「セリアが、逝く前に言っていたので。伝えてほしいと」
「そう。そういう人だったわね、あの子」
最後まで、きちんとしている。しっかりしているのに、どこかで笑いをこらえているような人だった。裏庭でも、説教されながら笑っていた。あの笑い方が、もう見られない。
「ガレス」と私は言った。
「はい」
「あなたもゆっくりしなさい。一人になったからって、無理しないで」
ガレスが少し間を置いた。「はい」
「はい、じゃなくて、本当にそうしなさいよ」
「……努力します」
「努力、って言葉が出るところが正直ね」
ガレスが苦笑いした。笑えていない笑いだったが、笑っていた。まあ、それでいい。笑えていなくても笑っていれば、そのうち笑えるようになる。私もそうだったから。
帰り際、ガレスが門のところで振り返った。
「またうかがってもよいですか」
「構わないわよ」
「ありがとうございます」
深く頭を下げて、歩いていった。大きな背中が、今日はどこか頼りなく見えた。
その背中を見送って、私は縁側に戻った。
ジジが膝に乗ってきた。
「三人目よ」と私はジジに言った。
ジジは何も言わなかった。ただ、ごろごろと喉を鳴らした。
「わかってるわよ」と私は言った。「そういうもんでしょ」
縁側の向こうで、風が草を揺らした。
日差しはいつもと同じ。お茶もいつもと同じ温度。ジジもいつもと同じ重さで膝に乗っていた。そういうものだ。誰かが逝っても、縁側は変わらない。お茶は冷める前に飲まないといけないし、ジジはそのうち腹が減ったと鳴く。
セリアが最後にありがとうと言っていたなら、十分よ。来てくれたし、しわくちゃの顔も見せてもらったし、おかしな昔話もたくさんした。何十年ぶりかに声を出して笑えたし、それだけで来てもらった甲斐があった。
「ね、ジジ」
ジジはごろごろと鳴くだけだった。
庭の草がまた揺れた。白い花が、ゆっくりと揺れた。
何でもない午前。でもまあ、こういうのが一番いい。




