第14話「楽しかったことは覚えてる」
「断罪の場のこと、覚えてますか」
セリアがまた聞いた。
昨日から何度目だろうか。私のことだから覚えていないだろうという顔をして、でも確かめずにはいられない、という顔もして。ふたつが重なって、少し疲れたような顔になっている。往復して疲れたのか、記憶を掘り起こそうとして疲れたのか。
「覚えてないわよ」と私は答えた。
「そう……」
「さっきも言ったけど」
「ごめんなさい」
謝らなくていい、と言おうとして、やめた。セリアが謝りたいのはこっちじゃないのかもしれない。謝罪をどこに向けていいかわからなくて、とりあえず手近なものに謝っている、そういう感じがした。まあ、そういうこともあるわよ。
ジジが縁側の端でくるりと一回転して、体を丸めた。日の当たる場所を正確に選んでいる。偉い。私も学びたい。
しばらく、庭の草を眺めた。
「でも」と私は言った。「楽しかったことは覚えてるのよ」
セリアが顔を上げた。
「ほんとに?」
「記憶って変なものね。嫌なことは霞むのに、楽しかったことはちゃんと残ってる」
ガレスがそこで少し体を動かした。が、何も言わなかった。庭の方を向いて、どこか遠い点を見ている。昨日あれだけしゃべらせたのに、まだこの人は遠くを見る。
「学院の裏庭のこと、覚えてる?」と私は続けた。
「覚えてる」とセリアが言った。声が柔らかくなった。
「あそこ、授業をさぼるのに最高だったのよ。先生の声が聞こえないくらい遠くて、日当たりが良くて」
「そうそう。先生が探しに来ても、裏庭まではなかなか来なかったのよね」
「一度だけ来たことがあったじゃない。あのとき、あなたがとっさに教本を開いて自習してる振りをして——」
「してた!」セリアが笑った。「でも先生に全部見透かされて、結局説教されたのよね」
「二人で並んで聞いてたわ。あなた、なぜか笑いをこらえてて、途中から笑いだしたじゃない」
「だってあなたが先生の後ろで変な顔してるから」
「してない」
「してたわよ!」
セリアがまた笑った。今度は声に出して、皺の寄った目が少し若い頃の形になるくらい笑った。
私もつられた。肋骨が痛い。でも笑った。老人の笑いは本当に全身運動だ。
笑い終わって、少し間があった。縁側に静けさが戻ってくる。空気が少し軽くなった気がした。
「よく覚えてるのね」とセリアが言った。
「楽しかったから」
「断罪のことは忘れてるのに」
「断罪がつまらなかったんでしょ、たぶん」
セリアが少し目を瞠いた。それから、また笑った。苦笑いに近かったけれど、笑っていた。
ガレスがこちらをちらりと見て、また庭の方を向いた。この人は何でもないふりをするのが下手だ。口元が少しだけ動いていたのを見た気がするが、気のせいかもしれない。まあ、気のせいにしておいてあげよう。
「他にも覚えてることがあるのよ」と私は言った。
「何?」
「刺繍のこと。あなたに教えてもらったじゃない、あれ」
「刺繍」とセリアが繰り返した。目が遠くなった。「教えたっけ……」
「何かの集まりのとき。暇だからって、あなたが勝手に教え始めたの。私は針を持ったことがなかったから、最初は全然できなくて。あなたが笑いながら直してくれた」
「なんとなく、思い出してきた気がする」
「私、結局最後まで下手だったけど。縫い直してもらってばかりで、あなたの方が消耗してたわよね」
「そうだったかも」
「でも楽しかった」
セリアが黙った。私も黙った。
しばらく、ふたりで庭を眺めた。白い花が揺れて、また止まる。
ジジが欠伸をした。
大きな口を開けて、長い欠伸だった。小さな牙が光った。今日一番の存在感だ。
「猫って、ほんとに自由ね」とセリアが言った。
「そういうものよ」
「うらやましい」
「猫に生まれたかった?」
「今はちょっと思う」
「私もたまに思う」
またふたりで笑った。今度は肋骨が引きつらないくらいの、軽い笑い。ガレスがそれを聞いて、静かに茶を飲んだ。
日が西に傾いてきたころ、セリアが立ち上がった。膝に乗っていたジジが、少し不満そうに動いた。正当な抗議だと思う。
「そろそろ戻らないと」
「そう。ガレスも疲れてるでしょ」
ガレスが「いえ」と言いかけて、黙った。正直な人だ、この人も。
「また来ていいかしら」とセリアが言った。
「来てもいいわよ。別に」
「別に、って言い方」
「来てほしいわよ。そう言えばいい?」
セリアが少し、目を細めた。「言ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
セリアが門の方へ歩いていった。ガレスがその後を追う。二人の後ろ姿が、夕方前の斜めな光の中に伸びていた。
私は縁側から見送った。
門を出るときに、セリアが振り返った。
なんとなく、言葉を探しているような顔。
「レナ」
「何?」
「楽しかったことを覚えていてくれて、よかった」
「そりゃ楽しかったんだから、覚えてるわよ」
セリアが何か言いかけて、止まった。うなずいて、また歩いた。
ガレスが低く「失礼します」と言って、頭を下げた。
ふたりの背中が曲がり角に消えていった。夕の光が道に細長く伸びて、それも消えた。
ジジが膝に乗ってきた。重い。いつもの重さだ。
許してもらえた気がした、とセリアが後で言っていたと、ずっと後になってガレスが教えてくれた。
まあ、そうよ。許してるわよ。とっくに。




