第11話「あんたもしわくちゃになったね」
縁側に出ていたら、遠くから馬車の音がした。
砂利を踏む音。蹄の音。それから、人の声。
ジジが耳をぴんと立てて、庭の方を見た。
「お客さんよ」と私は言った。「また来たわ」
ジジは興味なさそうにあくびをして、丸まりなおした。賢い猫だ。私もそのくらい落ち着いて構えていたいけれど、今日ばかりは少しだけ気になった。
セリアが来るという話は、昨日のうちに村の子から聞いていた。
セリアと、それから夫のガレスも一緒だと。
まあ、来るのか。と思った。怒りも懐かしさも、特にない。ただ、来るのか、という感じ。
長く生きていると、感情というものが薄くなる。悲しいとか憎いとか、そういうのにいちいちエネルギーを使っていられなくなってくる。老化なのか悟りなのか。まあ、たぶん老化ね。
村の子が先触れに来た。「レナばあさん、お客さんです」という声が聞こえて、私は「通しておくれ」と答えた。
足音がふたつ。
違う。ひとつはしっかりしているけれど、もうひとつは少しゆっくりだ。
扉の向こうに姿が見えたとき、私はしばらく、その人の顔を見つめた。
白髪。深いしわ。腰がすこし前に傾いている。目は昔と変わらない、茶色がかった緑色。でも、その目の周りには細かい線がたくさん刻まれていた。
セリア・フォン・ラングレー。
いや今は何というのかしら。もうずっと前にガレスと結婚したから、姓が変わっているはずだ。そこまで記憶が追いつかない。
「レナ」と彼女は言った。声も少し変わっていた。若い頃のあの澄んだ声ではなく、かすれた温かみのある声になっていた。
私は縁側から彼女を見て、言った。
「あんたもしわくちゃになったね」
セリアが一瞬、目を丸くした。それから、ふっと笑った。肩の力が、すとんと抜けるような笑い方だった。
「そっちこそ」
「私はもっとひどいわよ」と私は言って、自分の手の甲を見た。「これ、干し芋みたいでしょ」
「言い過ぎよ」
「そうかしら」
ガレスが後ろに控えていた。背は昔より少し縮んでいるけれど、がっしりした肩はそのまま。日焼けした肌に深い皺がある。目が合ったら、彼は少しだけ頭を下げた。
「お邪魔します」
「いらっしゃい。まあ、入って。立ち話も疲れるでしょ」
ジジが警戒するように一度だけ顔を上げたけれど、すぐまた寝た。本当に賢い猫だ。私も見習いたい。
茶を出した。村の子が気を利かせて、焼き菓子も持ってきた。ありがたい。私はああいう気遣いができない。
セリアは縁側の端に腰掛けて、庭を眺めた。春の光が均一に降りていて、雑草にも白い花にも等しく当たっている。
「きれいな庭ね」
「雑草ばかりよ」
「でも、明るい」
まあ、そうかもしれない。日当たりだけはいい場所だ。雑草も文句を言わず育つ。
ガレスは縁側より少し後ろ、部屋の中に座っていた。出しゃばらない、というのとも違う。どこに座ればいいかわからない、という顔だ。
そういえば、この男とはほとんど話したことがない。
セリアと私が親しかった頃、ガレスはまだ騎士見習いで、私たちの周りをうろうろしていた。正確に言うと、セリアの周りを。
まあ、それはいい。昔のことだ。
「遠かったでしょ」と私は言った。
「馬車で三日ね」とセリアが答えた。「でも、来たかったから」
三日揺られてくるというのは、並の来たさではない。腰にくる。私なら途中で引き返す。
「危篤の噂、聞いたの」
「ええ」
「大げさよ、あれ。ちょっと熱が続いただけ。今はもうぴんぴんしてる」
「そうは見えないわ」
「まあね」
否定するほどのことでもない。見た目はそれなりに老いている。干し芋なのだから。
しばらく、二人で黙って庭を見た。ガレスが茶を飲む音がした。縁側の奥の方で、ジジが寝息を立てているのが聞こえる。
セリアが口を開いた。「レナ、あのね」
「お茶、冷めないうちに飲んどきなさいよ」と私は言った。「あとでいいわ、話は」
セリアが少し、困ったような顔をした。「でも」
「冷めたお茶はおいしくないでしょ」
彼女は少しの間、黙っていた。何か言いかけた口を、そっと閉じる。それから、茶碗を両手で持って、一口飲んだ。
「……おいしいわ」
「でしょ」
山の薬草を少し混ぜている。体が温まる。老人には特にいい。私も毎日飲んでいる。効果があるかどうかは知らないけど。
ガレスがまた、ちらりとこちらを見た気がした。
何かを言いたそうで、でも言えない、という顔。まあ、そういう顔の人は珍しくない。言えない人は、大体ずっと言えないままだ。
それでもいい、と私は思った。
別に、聞きたくて待っているわけでもない。
今日は久しぶりに晴れていて、縁側は暖かくて、ジジがそばで丸まっている。焼き菓子もある。文句なしよ。あとはガレスがそわそわするのを眺めるくらいしかやることがないけれど、まあそれはそれで暇つぶしになる。
セリアが庭の隅の白い花を見つけて、「あれ、なんていう花?」と聞いた。
「さあ。種が飛んできて、勝手に咲いたのよ」
「かわいいわね」
「まあね」
焼き菓子を食べた。甘くて、少しだけ生姜の香りがする。ジジが鼻をひくひくさせたけれど、猫に生姜菓子はあげない。そこは譲らない。
ガレスは、まだ黙っていた。お茶を両手で持って、庭の一点を見ている。
何かある人の顔だ。でも急かすほどのことでもない。まあ、座って飲んでいなさい。ここのお茶はおいしいから。




