いぶかと、すみ。
立ち上る湯気を眺めながら、誰もが澄の言葉を待っていた。
「あのとき…私も、何が起こったか、よくわかっていないの。ただ…」
間をおいて、澄が続ける。
「身体が千切れるような痛みが走って……その先は、覚えていないの」
「……」
何も言えない。
「次気付いた時には、この世界にいて…」
澄は懐かしむように空を見上げ、ゆっくりと目を閉じた。
風に運ばれてくる砂埃が、肌に打ち付けられ、澄は、目を開けた。
(ここ、どこ?)
見たことのない世界。
視界は、黄色くぼやけている。
「っ!!」
起き上がろうとした瞬間、全身に激痛が走る。
(これでは、動けないわね)
その痛みは、我慢すれば動ける度合いを超えていた。
私は、瞳を可能な限り動かす。
(何も、ない…)
見える範囲では、砂漠しかない。
ほんの少しの不安が、芽生える。
しかし、どうにもできないと、もう一度瞼を閉じる。
(今は、寝ることしかできないわ)
起きたまま体力を消耗するか、危険を承知で寝て回復するか。
その二択で澄は、後者を選んだ。
(万…、どうか無事でいて)
閉じた瞼から零れた雫が、砂を濡らした。
「…い、……ぉ…」
(声?)
かすれながらも、耳に届いた感覚。
僅かに、気配もある。
意識を聴覚に集中させ、重たい瞼を持ち上げる。
「おぉーい!」
開いた視界には、白い何かがぼんやりと映った。
「うん。これは大丈夫じゃないね」
変わらず私の身体は言うことを聞いてくれない。
瞬きで、返答した。
「ん~」
そんな声を出しながら、私のことをじーっと見つめている。
「……」
「君…」
彼女の目が、鋭く細められる。
「神妃だね」
眉毛に力が入った。
(どうして…)
「どうして…って?そりゃぁ、私も神妃だからだよ」
「!?」
はにかむ笑顔。
確かに、神妃であれば、神妃を見分けることはできる。
けれど、神妃なはずはない——
そう思う固定観念が、抜けない。
状況を飲み込めないまま、ただ彼女を見つめる。
「まぁそれはいいとして、」
(よくは、ないわよ…)
「このままじゃ、君、かなり危なそうだし、私と一緒に来る?」
私は、あらゆる可能性を考えた。
どれも、大して良い結末ではない。
(この状況なら、お願いするしかないわよね)
今は、とにかく生きることが最優先。
声を振り絞って出そうとしたその時。
「沈黙は肯定だね、んじゃ行こうか」
覗き込んでいた体制から、すっと立ち上がる。
その様子に、少しの安堵が芽生えた。
(嫌な気配は、しないもの)
だから、大丈夫。
なぜか根拠のない自信がそこにはあった。
「あ」
思い出したように、手をたたく。
「人間のままだと、回復も遅いし、運ぶの大変だから」
再びしゃがんで、ローブの中からゴソゴソと何かを取り出そうとしている。
「あ、あった」
出てきたのは、一見すると、ただのネックレス。
しかし神妃なら、一目で分かる——
(本当に…)
「ちょっと失礼して…」
私の首にかけられた、神妃の雫。
「これでよしっと」
すると、いとも簡単に彼女は私を胸元へ抱えた。
(え…?)
気だるいなんて言葉では足りないくらいに疲弊していた身体も、かなり軽くなっている。
何をしたのだろうと、彼女を見上げていると、視線に気づいた彼女が、こう告げた。
「しばらくの間、猫になっててもらうよ」
(猫?)
そう言われて、動かせるようになっていた頭を下に向ける。
小さな前足に、深い青緑色の毛。
こころなしか、耳の位置も高いように感じた。
前足で、顔を触ってみると、ふわふわだった。
(本当に、猫だわ)
「小さい身体のほうが、回復も早いから。…それに、見つかりにくいからね」
「?」
最後のほうがよく聞こえなかった。
(私にとっては、願ったり叶ったりね)
「ありがとう」
思ったと同時に声になる。
「猫なのに、声は人間なのね」
「身体を縮小しただけだからね」
間髪入れずに、彼女が答える。
「そうなのね…本当にありがとう。私は、森園 澄と申します。お名前を伺っても?」
「綺麗な名前だね。私は、漣 維深だ」
(……維深)
どこか澄んだ水面を思わせる、不思議な響き。
こうして、澄と維深は、出会った。




