つぎの、せかいへ。
あれから二時間——
予想以上に神気の消耗は激しく、回復魔法は、すでに三回目を迎えていた。
「はぁっ……はぁ……」
恒は肩で息をしながら、懸命に呼吸を整えている。
「大丈夫……?恒…」
そう気遣う想羅もまた、息を切らしていた。
回復しているとはいえ、毎回ぎりぎりまで神気を使い切っている。
その負担は、言葉で表せるほど単純なものではない。
「…はい、けど、ちょっと寝させて……ください…」
そう言うと、恒は力が抜けたようにソファーへ身を預け、そのまま目を閉じた。
「恒!」
焔が駆け寄る。
眠ってしまった恒を抱き起こし、ゆっくりとソファーへ座らせると、手早く毛布を掛けた。
何もできず見守ることしかできない私たちは、ただ時間だけが過ぎていくことに、焦りを募らせるばかりだった。
(まだ…まだ、たどり着けていないのかな?)
私の中には、答えのない疑問ばかりが浮かんでくる。
「これだけの時間と神気……どれだけの距離を移動してるんだ…?」
時雨が、誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
その時だった。
「うっ……!」
想羅が胸元を押さえ、そのまま前かがみに崩れる。
「「「万!」」」
「「「想羅さん!」」」
全員が一斉に駆け寄る。
「はぁ……はぁ……だい、じょうぶ……。わかったよ、位置が…」
想羅は荒い呼吸を整えながら、そう告げた。
「やっと、越えたの?!」
焔が思わず身を乗り出す。
「うん。その反動で、かなり持ってかれたけどね」
「大事なさそうだな、万」
時雨が安堵したように想羅の肩へ手を置く。
「うん、本当に大丈夫だよ。ありがと、みんな」
その言葉を聞き、張り詰めていた空気がゆっくりとほどけていく。
誰ともなく、小さく安堵の息が漏れた。
「それで、位置なんだけど…」
一息ついてから、想羅が続けた。
「しーくんが言ったみたいに、かなり遠いね。それに、観測されてない世界だね」
「たどり着くのにどのくらいかかりそうだ?」
「そうだね…。最高速で行けば、五十年くらいかな?」
(ご、五十年?!)
反射的に息をのんだ。
けれど、神たちと過ごすうちに、その感覚にも少しずつ慣れてきたのだろう。
今では「五十年」という言葉も、現実の時間として受け止められるようになっていた。
「五十年…ねぇ、観測されてないと、その世界に飛べないもんね。行くしかないけど、次の難題が来ちゃったねぇ」
焔はいつもの調子で笑う。
けれど、その声に軽さはあっても、言葉の重さまで消えるわけではなかった。
歴代の神が訪れた世界には、神人界の各地に設けられた転移用のゲートから飛ぶことができる。
だが、一度も観測されていない世界には、その道自体が存在しない。
「ん?ちょっと待って。位置がわかったなら、瞬間移動はできるんじゃない? それに、万なら何人か連れていけるでしょ?」
「あ、確かに。じゃあ、すぐ行こう」
想羅が、立ち上がる。
「ちょっと待て、万。気持ちはわかるが、神気が回復してからだ」
「………そんなに減ってないよ?」
説得力は、なかった。
誰の目から見ても、想羅の消耗は明らかだ。
しかし、ここにいる誰もが、彼の焦る気持ちも痛いほどわかっていた。
だからこそ、強く責めることもできない。
それは、時雨も同じだったのだろう。
小さく深呼吸をすると、気持ちを切り替えるように口を開いた。
「…何人連れていける?」
「三人」
「なら、体術要員で焔」
ご指名のかかった焔は、力強く頷く。
「任せてよ!」
ようやく出番が回ってきたことが嬉しいのか、その表情はどこか弾んでいた。
「あとは僕。もう一人は、どうする?」
「本当は、信がいいんだろうけど……しーくん、瀬椰さんを、連れて行けないかな?」
「え…」
(私、何もできないですけど…)
まさか自分の名前が挙がるとは思っておらず、思わず言葉を失った。
「…」
静かな沈黙が、流れる。
「危険なのは、わかってる」
想羅は、間を置いた。
「でも……瀬椰さんが今、一番澄に近いはずだから」
その一言だけで、十分だった。
「もちろん、危ないと思ったらすぐ神人界へ戻せるように、神気は残しておく。……だから、無理にとは言わない。僕の希望、ってだけ」
そう言って、どこか申し訳なさそうに笑った。
時雨は少し考えると、静かに私へ視線を向ける。
「翠さんは、どうしたいですか?」
「えっ…と…」
やはり、ここでも私はあまり迷わなかった。
「何か力になれるかは、わかりません。でも、必要なら行きたいです」
その言葉を聞いても、時雨はすぐには返事をしなかった。
再び沈黙が、流れる。
「まぁまぁ、翠ちゃんもこう言ってるしさ。万も俺もいるし……そ、れ、に!時雨がいて翠ちゃんに何かあるわけないでしょ?」
明るく笑う焔。
私も「うんうん」と何度も頷いてみせた。
それでも時雨の眉間の皺は消えない。
小さく息を吐くと、ようやく口を開いた。
「…わかりました。そうと決まれば、行こうか、万」
「ありがとう…じゃあ、行くよ」
焔と時雨は、想羅の肩へ手を置く。
「瀬椰さんは、しーくんに掴まってて」
「は、はい」
瞬間——
ぐいっと身体が引っ張られるような感覚が走る。
思わず瞼に力が入った。
やがてその力が抜け、ゆっくりと目を開く。
そこには見知らぬ景色が広がっていた。




