さくせん、かいぎ。
パン——
合掌の音が、静かな部屋に響いた。
「そうと決まれば、まずは、対策を考えなきゃね」
焔のその一言は、みんなの呼吸を、楽にした。
一人を除いて。
「そうだな、やるなら…徹底的に危険を回避しないと」
表情が強張ったままの時雨。
その様子に凩が、少し笑った。
「…時雨。もう少し力抜いても大丈夫だよ。焦ってもいいことないんだから」
一瞬はっとした彼。
息を吸う音が、聞こえてきた。
「あ、あぁ…すまない」
いつも冷静な彼の動揺は、反ってみんなの冷静さを促していた。
「では、考え得る危険を、洗い出しましょう」
美音がどこからともなく、ノートとペンを取り出した。
「想羅さん、翠さんの記憶に入り込むのは、どのくらい神気を消費しますか?」
その問いに、彼は、顎に手を当てて、しばらく考えた。
「うーん…そうだね、夢を見たのが、二日前だから…僕の神気が満タンたどして、半分くらいは消耗するかな」
「結構使うんだね」
「うん」
焔のコメントに、想羅は、即答する。
私には、どのくらいの度量なのかすら、計り知れない。
そして彼は続ける。
「新しい記憶に押されて、日に日に薄れていくからね、入り込むのは、五日後までが限界だと思う」
「五日か…早ければ早いほど、いいってことか」
時雨が言う。
「そうだね」
「入り込むのに、半分消費して…」
美音が、ペンを走らせる。
描かれたのは、想羅のデフォルメとバロメーターだ。
(今そんなこと思うとこじゃないのは、わかってるんだけど……絵、上手すぎない?)
今にもグッズ化できそうなクオリティーだった。
彼女は、慣れた手つきで、まとめながら、話を進める。
「記憶に滞在するのにも、消費しますか?」
「するけど、微々たる量だね、そこまで懸念しなくていいと思う、逆探知もそんなに使わないから、入り込む時に半分、戻ってくる時に、さらにその半分使うくらいかな」
「そうなんですね、なら決行前後は、天火一家に、護衛をお願いしたほうがいいですね」
美音の提案に、疑問を抱く間もなく、燎華が答える。
「そうね、それだけの神気を消費したら、万が一魔王が動いたら、元も子もないわ、焔は領地を長く開けられないから、私と、子供たちがやるわ」
言い終わると同時に、恒も力強く親指を立てた。
「えぇ~?!」
ビクッ!
突然の奇声。
発した主は焔だ。
「俺、一人でお留守番なの?」
シュン、とした犬の耳が見えてきそうだ。
燎華が、どこか呆れたように、息を吐いた。
「領主なんだから、当たり前でしょ。離れられても三日が最大なんだから、想羅さんがあれだけのオーラを回復させるには、少なくとも一か月必要でしょ?」
「そんなにかかっちゃうんだ…」
少なくとも、ということは、それ以上の可能性もあるということだろう。
(まぁそうだよね、普通考えられないもんね、他人の記憶に入り込んで、他の世界に行くなんて)
改めて考えると、にわかには信じがたい。
「えぇ、この中でも、想羅さんの、オーラ量は群を抜いて多いの。先ほど言っていた消費量は、ここにいる三人の全部の神気よりも多いはずよ」
「そうなんだ…」
顔が引きつる。
ということは、焔、時雨、凩の三倍以上。
確かにすごい量だ。
「だからあなたは、お留守番」
「わかったよ…」
(あ、拗ねた)
不貞腐れたように、そっぽを向いた焔。
いつも悠々綽綽なのに、燎華の前では、そうではないらしい。
ひとしきり場が和んだのを見届けると、時雨は静かに話を進めた。
「逆探知を行うなら、まず相手に気付かれないことが前提だ。気付かれた時点で成立しない。澄さん相手だと、もしかしたら気付かれるかもしれない」
時雨は一度言葉を切る。
その間を埋めるように、想羅が口を開いた。
「確かに、澄は、僕の神気に慣れてるだろうしね…残りの神気で何とかやりくりするしかないね」
わずかな静寂を挟み、穏やかに言葉を紡ぐ。
「逆探知に、気配を消す魔法も乗せるのはどうかな?」
「なるほどな」
「消耗する量は増えるけど、外れたら意味ないもんね、それに別世界に辿り着くまでの間なら、問題ないくらいの消耗だよ」
私はただ、聞くことしかできなかった。
同じ景色を見ているはずなのに、みんなはその何歩も先を見据えている。
時雨は小さく頷き、静かに言葉を継いだ。
「それと、懸念点はもう一つある。逆探知発動そのものは、そこまで神気を消耗しないかもしれない」
一度視線を落とし、続ける。
「だが、問題は、どのくらい継続するか未知数なのと、境界を越えるときの衝撃だ」
時雨の言葉を受け、美音が応じた。
「そうですね、逆探知は、別世界の場所の特定までは有効です。だけど、境界を超えるときの時空の歪みで、探知が外れないように維持しなければなりません。その衝撃に耐えられたとして、そこまでの長さもそうですし、神気が足りるか…」
そこで、声が途切れる。
次に声を上げたのは、意外な人物だった。
「僕の神気を、八割くらい、万に渡しとけばいいんじゃない?」
すっと右手を挙げながら、凩がさらっと言った。
彼に視線が集まる。
当の本人は、にこやかに目を細めている。
「確かに、信の神気なら万に似てるもんね~」
「うん、二割残っていれば、僕のほうは問題ないよ。魔王も、僕のことは眼中にないからね。」
(そういうパターンもあるんだ……。)
風の神は、代々、世界の記録や保管を司る存在らしい。
その役目ゆえか、精神への干渉や揺さぶりに対する耐性は、他の神々と比べても群を抜いているという。
だからこそ、魔王にとっても凩は「面白みのない相手」。
敵として狙う価値すらないと判断され、最初から標的の外に置かれているらしかった。
(確かに、穏やかすぎて、神というか仏みたいだもんね)
妙に腑に落ちた。
「ほんとに、いいの?」
想羅は、様子を伺うように、凩に問いかける。
「うん、本当に問題ないよ」
「ありがと、信」
彼は、返事の代わりに、微笑んだ。
「まだ、あるんでしょ、時雨」
焔が時雨に、視線を向けた。
「あぁ、その猫が、澄さんだったとして…その時に、」
ここまで淡々と、問題点をあげてきた彼が、初めて口を噤んだ。
「?」
不思議そうに、全員が首を傾げる。
時雨は一度だけ想羅へ目を向けた。
「…万が、冷静でいられるか、が、心配なんだ」
「……」
一瞬、部屋が静まり返る。
(そこなんだ……)
想像もしなかった着眼点に、私は目を瞬かせた。
「ぷっ……」
耐えきれなくなった焔が吹き出し、肩を小刻みに震わせる。
その肩を燎華が、バシッと叩く。
すぐに笑いをひっこめた焔に、全員が、吹き出しそうになっていた。
それでも、時雨だけは笑わない。
笑うことなく想羅を見つめていた。
「しーくんが、言いたいこともわかるよ。今ですら、平常じゃないからね」
そう言って、目を伏せた
波ひとつない表情とは裏腹に、その胸の内では様々な感情が渦巻いているのだろう。
一拍置き、彼は小さく笑った。
「だから、大丈夫だよ。平常じゃないことを前提にしていれば、作戦に支障はないはずだから」
「…そうか」
吐息交じりの声色に、安心したことがわかる。
「他は、大丈夫そう?」
凩が、柔らかく声をかける。
「今のところは」
「私も」
「俺も」
「僕も」
時雨、美音、焔、想羅も、それぞれ短く返事を示した。
声を発しなかった三人も、首を縦に振る。
(それにしても……。)
私は、思わず感心していた。
一つの懸念が挙がれば、それを埋める答えがすぐに形になっていく。
それは、豊富な知識や経験だけでは成り立たない。
互いの力を信じ、役割を理解し合ってきた時間があるからこそ、誰かが投げた課題に、誰かが迷いなく応えられるのだ。
得ようと思って、簡単に得られるものじゃない。
私は改めて思う。
この人たちは、ただ神だから特別なのではない。
積み重ねてきた時間と、揺るぎない信頼が、今の彼らを形づくっているのだ。
「じゃあ、決まりだね、万の話だとできるだけ早いほうがいいみたいだけど、日程はどうしようか?」
凩がそう言うと、その場にいた全員の視線が、一斉に私へ向く。
「え、」
反射的に声が出る。
「瀬梛さんがいないと、始まらないからね。いつが都合いいの?」
まさか自分にそんな決定権があると思わず、目を瞬かせた。
けれど、自分が思っていた以上に、私の意思は固まっていた。
気づけば、言葉はもう口をついていた。
「いつでも大丈夫です。早いほうがいいなら、明日にしましょう」
時雨以外のその場にいる全員が、少しずつ目を見開いた。
「…なら、明日、お願いします」
想羅が、頭を下げた。
その瞬間だった。
グスッ——
(ん?)
小さく鼻をすする音に視線を向ける。
すると、美音が両手で顔を覆っていた。
(えぇ?!)
「翠ちゃん……」
声が少し震えている。
「いい子過ぎるよぉ……!」
声が震えたかと思えば、
「私も明日に備えて、もう少し文献を調べてくるね!」
ガタン、と勢いよく立ち上がる。
「任せて!」
ガッツポーズまで決める美音に、思わず笑ってしまう。
「う、うん」
そうして、澄さんの居場所を探すための作戦会議は、幕を閉じた。




