ばんの、かこ。
「じゃあ、万。一旦今日は、ここまでにしとこう。また追って連絡する」
時雨が立ち上がり、私たちもつられて立ち上がる。
「うん、来てくれてありがと、しーくん、瀬梛さんも」
朗らかに微笑んだ彼は、どこか吹っ切れて見えた。
返事の代わりにもう一度想羅の頭を撫でる彼。
その光景が微笑ましくて、笑いながら返事をする。
「とんでもないです」
「絶対に澄さんを見つけましょうね」とは、言えなかった。
そんな簡単なことではないような気がしていたから。
想羅と別れ、私と時雨はお店に戻ってきた。
「翠さん、体調は悪くなってないですか?焦りのあまり、かなり無茶な進み方をしてしまって、すみません」
ついて第一声が、あまりにも彼らしくて、私はふっと笑ってしまった。
「全然大丈夫ですよ、それに私に負担がかからないように配慮してくれてたんじゃないですか?」
彼は少し驚いたように目を見開いた。
私自身も、もう純人間ではないため、身体は強化されているかもしれないが、あのスピードには耐えられるほどではないように思う。
それに、彼の気遣いはかなり卓越していることを、私は知ってしまっている。
自然とそうなんじゃないかと、自惚れてしまうほどに。
「僕は、大したことしてないですよ」
そう言いながら、目をそらした。
(それは、可愛いです)
思わず一人実況に入りそうになった。
耳が赤くなっている彼を横目に、私は「それでも、ありがとうございます」と言って、店内に入っていく。
「…森園さんと、万の話、聞きますか?万から許可はもらってます」
その言葉に、私は振り返る。
彼の真剣な表情。
軽い話題ではないことは、明確だ。
(正直、聞くのは怖い…胸を抉られそうで、けど、聞いとかないとだよね)
「お願いします」
「わかりました」
窓辺のいつもの席に座って、私は、鼓動の音を聞きながら彼が話始めるのを待った。
「百二十年前、あの時は、万が最も弱っていた時期でした。神々が住む場所には、神が許可したものしか入れないようになっているのですが、神が弱っているときは別です。その時の万は、魔王に攻撃された影響で、かなり弱っていて、魔王の襲撃を警戒していました。家全体に何重もの結界を張って、森園さんにも守護をつけていました。それだけの力を使い続けていたから、万は、起き上がることすらままならなかったんです」
ハッピーエンドではないことを予感させる何かが、胸の奥で小さく警鐘を鳴らしていた。
「僕はまだ神じゃなかったから、会うことも難しかったし、他の神たちもごたついてた時期だったんです。だから万も一人で対抗するしかなかったんです」
少し揺れた時雨の声に、私の心も比例する。
「寝込んでる万に、森園さんはずっと付き添っていて、ある日、万が高熱を出したんです。神が熱を出すのはかなり珍しく、事例も少ない。そのまま目覚めないケースのほうが多いくらいです。森園さんは、そのことをご存じでした。そして、対処法も」
そこで彼は、少し迷ったように間を開けた。
後悔、無力感、罪悪感——
様々な感情に見舞われているのだろうか。
彼の顔には、見ているこちらまで苦しくなるほどの憤怒が、浮かんでいた。
「その対処法は、神妃になるときに体内に流し込んだ万のオーラを万に戻す方法です。この方法はあまりにもリスクが高く、オーラを戻した神妃に残される時間は、もって一日です。すぐに万が目覚めて、少量でも万のオーラを戻せれば命は繋ぎ止められます。そこから少しずつ戻していけば問題はないので、ある意味賭けです…けれど森園さんは、何の躊躇もなく万にオーラを流し込んだのでしょう。一秒が命取りですから、そして万が目覚めたとき、森園さんは、倒れていて、万はすぐに状況を把握したのですが、そこでかなり動揺してしまったんです。一瞬だけど、結界が揺らいだんです…」
もうすでに私のメンタルゲージは、虫の息だ。
「その一瞬で、魔王は入ってきてしまった。魔王が万の目の前に現れた時、万はちょうど森園さんのそばに駆け寄っていた時でした。反応が遅れた万を畳みかけ、神妃の守護がない状態の森園さんを瞬く間に、万の目の前で……」
その先は、紡がれなかった。
歪んだ視界の中でも、彼が拳を握りしめ、俯いているのがわかった。
大切な幼馴染が背負う、計り知れない絶望を受け止めるように。




