あらたな、まくあけ。
「準備終わりました」
私は寝支度を整え、同じくパジャマに着替えた時雨のもとを訪れた。
「終わったらそのまま寝られるように、翠さんの部屋でしようかなと思っていたのですが、よいでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
ベットに座り、彼は椅子を持ってきて、私の目の前に座る。
「始めますね。手を出してくれますか」
小さく頷いて右手を差し出した。
その手を両手で包み込み、時雨は祈るように目を閉じる。
私はその姿に見とれながら、彼の手から暖かいものが体に入ってくる感覚に襲われる。
「…っ!」
驚きから彼の手を反射的に握った。
安心させるかのようにやさしく彼も握り返してくる。
流れてくる感覚に慣れてきたころ、少しずつ瞼を開けていられなくなってきていた。
閉じていた目をゆっくり上げる彼。
「…眠たいですか?」
私は、コクリと頷く。
すると彼が手を握ったまま立ち上がり、ぴったりと私の隣に座った。
「終わるまで手は離せないので、僕にもたれて眠ってください」
同意するように彼に身を任せ、かろうじて声を絞り出した。
「ありがと…」
手をぎゅっと握られた感覚を最後に、私は意識を手放した。
「…」
音のない空間。
(ここ、どこ?)
目を開けているはずなのに、真っ暗だ。
自分の姿すら見えないほどの暗闇に恐怖を覚えた。
(ゆめ、なの?)
じっとしているのも怖くて、手で前方を探りながら進んでいく。
(神妃になるための試練とか?だとしたら、怖すぎる…)
どのくらい歩いただろう。
段々と足が鉛のように重くなってきた頃、わずかに光が見えた。
安堵を覚えたのも束の間、異変に気付く。
(え、なんか、近づいてきてない?これは、逃げたほうがいい?でもどこににも逃げられないよね…?)
「詰んだ」と、一度天を仰いだ。
さっきまで点だった光の玉が、かなりの速度で、サッカーボールくらいの大きさになっていた。
そして、目前に来る頃には見覚えのある造形になる。
(猫?)
艶のある暗い青緑の毛並み。
どこか品があるように思わせる佇まいに、恐怖心がスッと消える。
ゆっくりと、猫が顔を上げ、私を見た。
その瞬間、水面が広がるように辺りが明るくなる。
「…」
私は、しゃがんで、手を差し出してみた。
すると、猫は警戒するように、私の手を嗅いだ。
しばらく動かずにいると、合格したのか、猫がすり寄ってきた。
猫に触れてみると、見た目通り艶やかな毛並みは、これまで触ってきたものの何よりもサラサラだった。
『初めまして、私は澄と申します。訳あって今はこの姿出すが、元は人間です。あなたの名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?』
「え、」
(は、話せるの!?)
驚いたものの、今まで体験したことに比べたら、猫が話せることくらいでは、すぐに平常心に戻るようになっていた。
(元は人間だって言ってるし)
「私は、翠と申します」
『素敵なお名前ですね。翠さんとお呼びしてもよいでしょうか?』
「はい、私も澄さんとお呼びしても問題ないですか?」
『ありがとうございます。もちろん問題ありません…一方的になってしまうのですが、いつまでこの空間が続くかわからないので、このまま聞いてください』
神妙な面持ちに、私は頷くことしかできなかった。
『ありがとうございます。早速本題ですが、翠さんは、〝想羅 万”をご存じでしょうか?』
ドクン——
心臓が嫌な音を奏でる中、私はその音に合わせるように、困惑する思考を沈めていった。




