炎神
コツ…コツ
耳に心地よく響いていた革靴の音とともに進みが止まった。
「?」
恥ずかしさを紛らわせようと、閉じていた目を開ける。
わずかに気まずさを漂わせた彼が、静かにまっすぐ先を見据えていた。
「…」
どうしたのだろうと彼の視線の先を追いかける。
そこには彼と同じくらいの身長で、少しがっちりした赤髪の青年がニカっと笑いながら立っていた。
まるで陽の落ちる直前の空みたいな赤。
見慣れた色のはずなのに、どこか現実味がなかった。
(こんなに赤髪が似合ってる人、初めてかもしれない)
時雨もだいぶ人間離れした見た目だが、目の前の青年はまさに異世界住人のようだ。
澄んだ紫の瞳が、夕暮れの空を閉じ込めたように揺れている。
私は再び彼に視線を戻す。
気まずそうな表情はすっかり消え、代わりに真顔で歩き出した。
二人の表情からどうにも他人とは思えなず、青年と彼を交互に見たが、どちらも表情を崩さない。
戸惑いながらも流れに身を任せることしかできない私は、彼を見つめた。
何事もなかったかように、青年の横を通り過ぎる瞬間――
「…時雨ー!!!!」
「っ!?」
ものすごい音波が鼓膜を連打した。
至近距離での叫びに耳がキーンとなる。
(びっくりした…)
ビクッとなった私とは裏腹に、彼はまるでそうなることを予感していたかのように、平然としている。
「これが神か」と、ツッコミを入れた。
非現実が重なり、ここまでくると物語のワンシーンを見ている観客気分だ。
呼ばれた張本人は、そのまま進み続ける。
(止まらないんだ)
あれだけ盛大に呼び止められたら、嫌でも止まるのかと思いきや、止まらない彼。
その行動に、青年が固まったまま立ち尽くしているのが見えたが、すぐに振り返り、笑顔で駆けてくる。
(いや、それは猛者)
久しぶりに主人に会った犬のように何度も「時雨!しぐれ~!」と呼びかける青年に、
「…急ぎの用がありますので」とため息交じりに言い放った。
(これは、)
さすがにショックなのでは、と青年のほうに目をやる。
しかし、そう思った私の気持ちはすぐに裏切られた。
全くダメージがない様子で、にっこりとした満面の笑顔のまま青年は彼を見ている。
(強すぎる、私だったら心折れてる)
それにしても、彼がここまで冷たく接するのは意外である。
思えば、他の人と話している様子は見たことがなかった。
予想外の対応に混乱しつつも、私の中での時雨さんのイメージがアップデートされる。
「とか言って、止まってくれてるじゃん時雨」
(ほんとだ)
青年が言った通り、進み続けていた足はいつの間にか止まっていた。
「…」
返答をせず、困ったように眉を寄せた。
「冷たくあしらおうとしてもやりきれないよね~時雨は」
ニヤニヤしながら、時雨さんの肩をツンツンしている。
少しずつ彼の眉間の皺が深くなっていくけれど、不思議と、嫌な感じはしない。
どちらかというと嫌がっているというよりは、タイミングが悪いというか今じゃないみたいな感じがする。
そう思った瞬間に、時雨さんは、振り切れないと諦めたのか、息をつき、声を発した。
「何か、あったのか」
その言葉を聞いた瞬間、青年は、さらにぱぁっと表情が明るくなった。
やはり、青年は時雨さんにとって大事な存在のようだ。
(飴と鞭がすごいけど)
苦笑しながらも、その関係性がとても羨ましく頬が緩む。
「いやぁ別に~何かあるってわけじゃないんだけど、百年ぶりに時雨が返ってきたってじーさんから連絡来たからすっ飛んできただけ~」
「…」
青年の前での時雨さんは、物静かだなと思っていたのも束の間、現実味のない言葉が、胸に引っ掛かった。
(ん?百年?今百年って言った?)
驚きと動揺から勢いよく彼を見た。
すると、見ているこちらまで顔をしかめそうなほど、気まずい表情を浮かべている。
微妙な空気のまま、青年が続ける。
「あ、ごめんまだ言ってなかった感じ?ほんとごめんね、時雨~わざとじゃないんだ、ゆるちて」
おちゃらけながら、両手を合わせてそう言った。
予想の斜め上を行った青年のキャラに戸惑って、先ほどの動揺が上書きされた。
右側と左側では、空気が天と地ほどの差ができていた。
時雨さんは、やれやれという感じで青年を凝視している。
「…はぁ、絶対わざとだろ、まぁ何もないならよかった。元気だったか」
はっきりとため息をつきつつも、そんな言葉をかける時雨さんはやはり口調が変わっても変わらず彼なんだとほっとする。
「っ、元気だったよ~!時雨~!会いたかった~!!」
まるで感無量!とテロップが出そうな勢いで、青年は彼に抱き着こうとしたが、「近い」と、言いながら平然とよけた。
(よけてくれてよかった、あのままだったらサンドイッチだったよ)
危なかったと、胸をなでおろす。
「嬉しくてつい」
てへっと効果音が付きそうな勢いである。
そして、青年は今まで見向きもしなかった私に視線を移した。
「へぇ」
ギュ――
私を抱える彼の手に力が入る。
不安とも言えない複雑な感情が湧いて、胸がチクリと痛んだ。
「この子が時雨の神妃ちゃん?」
そう言いながら近寄ってくる彼は、思いのほか近いところまでグイっと距離を詰め、視界を埋める。
(ち、近い)
急な距離の近さに、ビクッとなり、思わず身体が強張る。
「焔…」
呆れ交じりの声を発しながら、ぎろっと睨む。
「おっと、ごめんごめん可愛くてつい」
「ついって…」
ここまで流してきた彼も、さすがに流しきれなかったのか、青年の語尾を復唱した。
(距離感が…)
戸惑いつつも不快感を抱かなかったのは、誰にでもこの距離感で接していそうだと、容易に想像できるほどに自然体だったからだろう。
(こんな状態だけど、自己紹介はしとかないとだよね)
初対面で、名乗らずは失礼である。
一連の流れの間に回復してきた身体を動かして、彼に紙とペンがないか、ジェスチャーで訴えた。
すると、大きな雫が現れ、彼のポケットからペンと紙を取り出し私の手元に置いていった。
(起こることがファンタジー)
驚きつつも、非現実が楽しくなってくる。
ペンを手に、せめて名前だけでもと、力を振り絞る。
手を下敷きにしたこともあり、ガタガタの字ではあったが、何とか書き終え青年に見えるように掲げる。
『はじめまして。瀬梛 翠です。よろしくお願いします。』
この先会うことがあるかわからない相手に対して、何をよろしくするかは不明だが、これはもう決まり文句のようなものだ。
その様子を、目をぱちくりさせながら眺めて待っていた青年は、柔らかく微笑む。
「はじめまして、俺は天火 焔。こう見えて炎神だよ。時雨とは幼馴染なんだ。よろしくね。翠ちゃんって呼んでもいいかな?俺のことも焔って呼んで」
(幼馴染…!)
焔はにっと笑って、わざとらしくウインクしてみせた。
彼と話していた時のおちゃらけた感じは薄れ、爽やかという言葉が妥当な自己紹介に、目尻が下がる。
(アイドルになれそう…というか、えんしんってことは炎の神様?ってことだよね、こう見えてって…誰よりもふさわしいような見た目してる)
キャラの濃さにそんなことを思った。
しかし、納得しかけたところで、先ほどの疑問が再び浮上する。
(いや、でも、百年って……)
そんな長い時間を一緒に過ごしてきたのだろうか。
だとしたら、単なる「幼馴染」という言葉では収まりきらないのでは、と少々混乱する。
でも焔は、そんな途方もない時間すら、冗談めかして軽やかに受け流しているように見えた。
(この世界では、それが普通なのかな)
私には想像もできない感覚だからか、焔はある意味、彼よりも異質に感じる。
わずかなやり取りの中に、確かな強さが見え隠れしている。
加えて彼が張っている透明な膜みたいなものを、焔さんだけは簡単に破って中に入り込めるみたいだった。
そんなふうに内心で戸惑っていると、焔は屈み込むようにして、私と目線を合わせた。
その距離は、やっぱりかなり近い。
「俺たち神同士は、時間の流れが人間と違うんだ。……詳しい話は、時雨に聞くといいよ」
子どもに言い聞かせるみたいな、でも決して侮るわけじゃない柔らかさでそう言った。
私は、頷く。
キャパオーバーな情報量にちょっとばかりの疲労を覚えた。
「焔、本当に急いでるんだ。今までよりは会えるようになるから今日は失礼するぞ」
そう促した言葉を聞いて、焔はハッとした。
「おっと、そうだった。会えたのがうれしすぎて忘れてた。はい、これ」
ボンっ
焔が人差し指を立て、そこから雫型のガラスがぶら下がったネックレスが現れ、そのまま彼の掌にそっと着地する。
(何、今の…)
ネックレスが現れる瞬間――
かがり火が灯されたように火の粉が舞ったと思ったら、すぐに小さくなっていき、炎が上に登りながら消えていった。
彼の時とは異なった、美しさがあった。
消え去ってしまった炎がなぜか忘れられない。
(どうしてちょっと切ない気持ちになってるんだろう)
二人の会話が進む中、抱いた感情に困惑している私は、ひっそりと感情を受け止めていた。
「これは」
差し出されたネックレスを受け取った彼は、思わぬ収穫に驚いている。
「翠ちゃん、時雨の神気に耐え切れなかったんでしょ?だから、プレゼント!その雫の中に、し「僕の神気を入れるんだな」」
「…」
ずっと明るかった焔が、ぷくーっとふくれっ面になった。
対する彼は、いたずらっ子のように楽しそうに笑っている。
気の知れた関係でないとできない情景に、嬉しくも切ない気持ちが募ったのは、百年もの間会っていなかった事実があるからだろうか。
「俺が言いたかったのに!」
口を尖らせながら訴える姿は、失礼だが小学生のようだった。
けれどその姿は長くは見られず、元の調子に戻る。
「そう、それは[神妃の雫]。俺しか作れないからね。急ピッチで作ったんだよ!やっぱ俺って幼馴染思いだよね!」
褒めて!と言いたげな焔に、冷たくあしらうのかと彼の表情を見てみると、顔が緩んだ。
「助かる、ありがとな」
いつもの優しい笑顔を浮かべ、謝礼を述べた。
「っ、時雨ってホント緩急がすごくて困っちゃうよ。…どういたしまして」
感情が溢れ、ぎりぎりのところで何かをせき止めているような表情を浮かべる。
時雨もつられて、瞳に温かい色が灯った。
「翠ちゃん、それをつけていれば、今回みたいに倒れちゃうことはなくなるから嫌でもつけてね」
アイドルスマイルを受け、反射的に首を縦に振った。
(こんなきれいなネックレスつけるのもったいないよ)
雫型のガラスは、窓から差す光が反射して、万華鏡みたいに違う表情を見せてくれている。
(それにしても、これはかなり貴重なものでは?)
神がくれたものの時点ですごい価値がついていそうなのに、加えて、神秘的な見た目と効能はチートアイテム級だ。
神妃の雫に見入っていると、焔の優しい声色が続いて耳に届く。
「しんどいのに引き止めちゃってごめんね」
私を覗き込みながら言った焔に、私は、首を横に振って、会釈をした。
焔は朗らかに微笑んで、時雨に向き直る。
「気をつけて帰ってね」
「今度は、会いに来るよ」
目を見開いた焔から聞こえた、「…うん」という言葉は、少し震えていた。
その声に目を伏せた時雨は、歩き出す。
誰もいなくなった廊下でひとり、思いふける背中だけが立ち尽くしている。
約百年ぶりに会った幼馴染は相変わらずだった。
不器用で、感情表現が苦手。
みんなのことを気にするくせに、自分のこととなると助けを求めることもなく殻に閉じこもる。
けれど――
(昔より柔らかくなったよね~表情というか、雰囲気が)
窓の縁に肘をつき頬杖をつく。
すると、先ほどまで話していた幼馴染が女の子を抱えたまま歩いていく。
(ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ悔しいけど、あの子のおかげだろうね)
「子を送り出す気持ちってこんな感じかな」と思い浮かべた瞬間、時雨のいやそうな顔が遮る。
苦笑しながら、
「時雨のこと、よろしくね」
誰に届くこともないその言葉をつぶやいた。




