卒業式
三月十七日。
卒業式の日が来た。ヤスノリが通った南の島の小学校は六年生がわずか十一名、全校生を集めても六十数名という小さな学校だったので、卒業生の父兄用のパイプ椅子を足して並べても体育館の中はがらんどうだった。
この前入学したと思ったら、もう卒業か……。
席に着いたヤスノリの思いを残して卒業証書の授与が始まる。まずは出席番号が一番の
ゾッピからだ。クラスの道化師もこの時ばかりは神妙な顔つきで、名前を呼ばれたら、はい、と答えて予行演習通り壇上に上がり、卒業証書を受け取っている。
壇上の脇の引幕がヤスノリの目に留まった。
ゾッピのやつ、あの幕を渡し板から伝って演壇まで下りたんだよなあ……。
この前、六年生の男子六名が体育館の清掃を任された時、先生がいなくなると鬼ごっこで遊びだしたが、その時、演壇の真上の渡し板でミツアキに追い詰められた身軽なゾッピが身を乗り出し、まるで消防士が出動するかのように引幕を伝って下の演壇へと滑り降りて行った。
と、そこまではよかったのだが、演壇に足を着いたのと同時に、もどって来た担任の河上先生に見つかって怒鳴られたのだった。
その時のことを思い出しながら左端にたぐり寄せられている引幕を見たが、ヤスノリの視線の向きは偶然にもあの時の先生と同じで、あることに気づき、はっとなった。
先生は待っていてくれたんだ……。
ゾッピが引幕を伝って下りるのを目撃した河上先生は、すぐに叱ると驚いて手を離して落ちてしまってはいけないと思い、ちゃんと演壇に足が着くまで待っていてくれたのだということをヤスノリは悟った。
「寺野 光秋」
その声に我に返ると、はい、と答え、ミツアキが壇上に上がり証書を受け取っている。
ミツアキとヤスノリは同い年のいとこだった。
次は僕だ……。
身が引き締まった時、先生の声がした。
「中田康範」
はい、とできるだけ通る声で返事をする。
ヤスノリは少し緊張しながらも足元に気を配りながら壇上に上がり証書を受け取る。
自分の席にもどると頭を動かさないように注意しながら、やたらと広い講堂のあちらこちらに目をやった。
そうだった。今、この島の小学校を巣立とうとしている六年生の男子六名は、先日、掃除を放り出して自由を満喫していたのだった。
あの時は楽しかったなあ。いい思い出になった……。来月からは中学生だ。もうこの講堂ともお別れか。もう二度とここで遊ぶことはないのか……。
そう思うと不覚にも目に涙がにじんでしまった。
僕の自由の日々よ、さようなら。ああ、さようなら……。
卒業式が始まる前に、途中で女子の誰かが泣くかな、と思ったが誰も泣いていなかった。
ヤスノリは自分が泣いている姿を周りに悟られないようにけんめいになった。去年の卒業式では涙ぐんでいた六年生の女の子を、わざとらしい、と冷ややかに見ていたのに、今年はまさか自分が涙ぐむなんて考えられないような展開だった。
ちくしょう、涙なんかさっさと引っ込め。こんなところ誰かに見られたら最悪だ……。
式が済むと父兄もいっしょに教室にもどったが、そのころにはヤスノリの涙も乾いていた。
河上先生とも一応、今日でお別れだけど、「るびすや」に下宿してるから、会いたければいつでも会える……。
ヤスノリが今、心の中で思った「るびすや」とは、島に一軒だけある食料雑貨店のことで、「ゑびすや」と昔の文字で書かれた看板をみて、小学生たちはふざけて「るびすや」と呼んでいたのだった。
ヤスノリだけでなくクラスの皆がいつでも会えると思っていたのだろう。先生が、じゃあ、これでおしまいです。皆さん、元気でね、と言っても、誰も泣かなかった。
そうだった。一年前、この島に赴任してきた河上先生はもう島の島民になっていたの
だった。
さあ、解散、という前に、思い出したように先生が言った。
「ああ、そうそう。ハナちゃんのことなんですが、今月中には神戸の親戚のおうちに移って、四月からは向こうの中学校に通うことになりました。僕は前から知っていたんですが、本人の希望で他の皆には、今日になるまでは言わないで、ってことだったので……」
クラス中がしんとなる。
もちらんヤスノリにとって思いもよらない知らせだった。
ハナは先生に呼ばれて前に出ると、別れの言葉を告げた。
「今まで本当に楽しかったです。私も向こうでがんばるので、皆もがんばってください」
ヤスノリはハナのことをけんめいに考えないようにしたが、頭の中で考えないようにしようとすればするほど、ハナへの思いが湧き上がって来るのだった。
だめだ。気持ちの整理がつかなくなってしまう……。
ヤスノリはハナの顔を見ないようにしてミツアキを誘い、教室の後ろで立っている母とミツアキの母であるミチおばさんのところへ行った。
ハナがいなくなる、という想定外の展開に、母の所へ行けば、もてあまし気味の気持ち
が少しは晴れるだろう、との思いからだった。
教室を出ると、前を卒業生と親がそれぞれペアになり校門まで列を作って歩いていて、列の一番最後にミツアキ親子とヤスノリ親子の四人が並んだ。
校門の所まで来ると、ヤスノリは後ろに遠ざかった教室を名残惜しそうに振り返ってみた。もう誰も残っていないはずだ、と思われた教室の方からハナが駆けて来るのが見えた。
「あら、ハナちゃん」
少し息を切らしながら走って来たハナに、ヤスノリの母が声をかける。
「あなた、神戸に引っ越してしまうんですってね」
ハナは、ええ、と小さくうなずいた。
「今まで、うちのヤスノリと仲良くしてくれてありがとうね……。ほら、ヤスノリ。ハナ
ちゃんに、さよならは?」
うつむきかげんで、コンパスのように左足を軸にして、もう片方の足で宙を払っていたヤスノリはぶっきらぼうに言葉を返した。
「じゃあな」
「もう、この子ったら……」
「いいんです、おばさん」
少しとがめ気味の母にハナはやわらかく言うと、ミツアキをちらりと見て、さよなら、と小さな声で別れを告げて返事も待たずに駆けて行った。
「じゃあ、私たちはもう帰るわね」
母とミチおばさんはヤスノリたちを残して家路に就いた。




