第7話 ふたりだけの旅
リゼリアが馬に乗れるようになったのは、結婚をして三年を迎えた年だった。
医師は、慎重な言葉を選んだ。
「長時間は避けること」
「無理を感じたら、すぐに降りること」
それでも、許可が下りたという事実に、リゼリアは小さく息を弾ませた。
「……思っていたより、身体は覚えているものですね」
ヴァルドは、隣で馬を並べながら、わずかに口元を緩めた。
「無理をなさらず。ですが……乗馬に問題ありません」
その言葉に、リゼリアは笑った。
若い頃のような、華やかな笑みではない。
だが、確かな落ち着きと、自分の人生を肯定する強さがあった。
この三年でリゼリアはさらに強くなった。
はかなげな印象は薄れ、まるで全盛期の王女のような輝き。
だが、その思慮深さは年齢を積み重ねた美しさもある。
旅は、遠くへは行かない。
日程も短く、道も整えられているところだけだ。
それでもリゼリアにとっては、生まれて初めての夫婦だけの旅だった。
風を受け、景色が流れ、自分の意思で前へ進む。
ヴァルドは、前に出ることはしない。先導もしない。
ただ、隣にいる。
それが、この旅の約束だった。
夜、宿に着くと、リゼリアは暖炉の前で椅子に腰掛け、静かに息を整えた。
「不思議ですね」
ぽつりと、そう言う。
「若い頃にできなかったことを、悔やんでいない自分がいます」
ヴァルドは、答えない。
否定も、肯定もしない。
ただ、続きを待つ。
「失った時間は、確かに戻りません」
リゼリアは、そう続けた。
「でも、いまは……いまの身体で、いまの景色を見ている」
視線が合う。
「それで、十分なのだと、思えるのです」
ヴァルドは、静かに頷いた。
彼もまた、思っていた。
若さには、間に合わなかった。
初恋にも、華やかな未来にも。
だが。――人生には、確かに間に合った。
こどもはいない。
養子もいつかとるかもしれない。
それを、二人は何度も話し合った。
後悔はなかった。
リゼリアには、導くべき若者がいる。
学びを託す場がある。
今は、王族に勉強を教えるくらいまで人前にでることが叶った。
そして、悲しいことに薔薇病にかかった姫がいて、彼女の傍にもいる。
リゼリアは医師と一緒に、治療薬をさらに確実にするため、研究にも協力している。
ヴァルドには、育てるべき部下がいる。
背中で示す役割がある。
残すものは、血だけではない。
そう思えるまでに、二人はもう十分に生きてきた。
旅の最終日、丘の上で二人は馬を止めた。
夕暮れが、穏やかに世界を包んでいく。
「……こうして並んでいると、少し、不思議ですね」
リゼリアが言う。
「ええ」
ヴァルドは答える。
「ですが、ようやく慣れてきたように感じます」
リゼリアは、そっと息を吐き、彼の方を見た。
「遅かったでしょうか」
ヴァルドは、首を振った。
「いいえ」
そして、はっきりと言った。
「必要な時間でした」
二人は、それ以上言葉を交わさない。
馬を並べ、同じ方向を見つめる。
過去は、戻らない。
それでも――選んだ今が、ここにある。
忘れられた第一王女は、
忘れられたままでは終わらなかった。
そして、剣を置かなかった男は、ようやく、帰る場所を得た。
旅は終わる。だが、人生は続いていく。
静かで、確かで、満ち足りたまま。




