第4話 初めての外出
「……城の外へ、ですか」
リゼリアは、わずかに言葉を止めた。
「はい。短時間であれば問題ないと」
医師の判断を、侍女がそのまま伝える。
「……そう」
すぐには続けない。考えている。
体調のことではない。
――城外に出る、ということを。
「準備を」
短く言う。鏡の前に立つ。
髪は、いつもより丁寧に整えられていた。
落ち着いた色の長い髪を、ゆるくまとめる。
首元に、小さな装飾。
普段と同じ色味。だが、わずかに違う。
「……過剰ではありませんか」
「いいえ」
侍女は迷わず答える。
「とても、よくお似合いです」
リゼリアは、鏡の中の自分を見つめる。
若い頃とは違う。
だが――首までのドレス。あざを隠すメイク、そして、顔を覆うレースの帽子。
これならば、王女など誰も思わないだろう。
せいぜいお忍びの貴族にしか。
「……そう」
それだけ言って、視線を外した。
約束の時刻より、少し早く。
ヴァルドはすでに待っていた。
足音が聞こえた。
振り向く。
その瞬間――
言葉が、出なかった。
彼女は、淡い色の外套をまとっていた。
装飾は控えめ。
だが、布地は上質で、動くたびにやわらかく揺れる。
髪は整えられ、
首元には、小さな装身具。
派手ではない。
それでも――
明らかに、
“誰かに会うための姿”だった。
「お待たせしました」
「……いえ」
一瞬、沈黙する。
ヴァルドの視線が、わずかに揺れる。
すぐに戻る。
「……よく、お似合いです」
リゼリアは、少しだけ瞬きをする。
予想していなかった言葉だった。
以前のときは、こんな言葉はなかった。
「そうですか」
小さく答える。
だが、ほんのわずかに、
肩の力が抜けた。
歩き出す。
並ぶ距離は、いつもと同じ。
近すぎず、遠すぎない。
石畳の音が、二つ。一定の間隔で続く。
そして、中庭からお忍びで侍女とともに外にでる。
そして、距離を置いてさらに護衛が数人待機する。
それから、秘密の通路をとおり、人目につかない、小さな広場にでた。
かつて王族の通路として使われていた場所。
城の外は、思っていたよりも静かだった。
人はいる。だが、数人で誰も人を気にしない。
「……人が少ないのですね」
「時間を選びました」
「そうでしたか」
それで終わる。
店先に並ぶ花に、
リゼリアが視線を落とす。
「……こういうものは」
少しだけ言葉を探す。
「久しぶりに見ました」
店の花を見るのは、何十年ぶりか。
みるのは中庭の花だけだった。
ヴァルドは答えない。
代わりに、歩調を少しだけ落とす。
それに合わせて、リゼリアも歩く。
しばらくして、ふと気づく。
――静かだ。
会話がないのに、不自然ではない。
「……不思議ですね」
ぽつりと、言う。
「何が」
「沈黙が、負担にならない。昔、からでしたね」
ヴァルドは、少しだけ考える。
言葉を選ばない。
「……それなら、よかったです」
短い答え。
「ええ、あなたはいつもそう、だったわね」
リゼリアは、わずかに首を傾け笑う。
少し段差のある場所で、リゼリアの足が止まる。
ほんの一瞬。
ヴァルドの手が、自然に差し出される。
迷いがない。
「……ありがとうございます」
リゼリアは、その手に触れる。
その一瞬だけ、手に触れ、すぐに離れる。
それだけのこと。
だが――わずかに、温度が指先に残る。
再び歩き出す。
さっきと同じ距離。
同じ速度。同じ沈黙。
それなのに。
「……」
リゼリアは、少しだけ考える。
何が違うのか。
分からない。
ただ――さっきより、静かだ。隣にいる、存在を強く意識してしまう。
ずっと離れていたのに、彼の存在がこれほど自然になじむとは。
リゼリアは、ときおりヴァルドに視線を投げるも、彼は黙って前を向いている。
しかし、リゼリアの視線に気が付くと、何かあったかと視線で確認する。
そして、リゼリアは首をふる。
そんなやりとりが何度かあった。
*****
帰り道。城が見える位置で、足を止める。
「……今日は」
リゼリアが言う。
「ありがとうございました」
ヴァルドは、首を振る。
「こちらこそ。この時間を、任せていただき」
あきらかに、護衛の言葉ではなかった。
視線を外せない。
あまりにもまっすぐな視線、そしてその言葉に、リゼリアは少しだけ目を伏せる。
何も返さない。だが、拒まない。
それから通路をとおって中庭まで。部屋の前まで送られる。
扉がしまった。彼は振り返らない。
そのまま、侍女が外套などを片付けお茶を用意してくれる。
手袋を外す。指先を見る。
何も残っていない。
それでも。何度かふれた指先が熱い。
きっと何かの病気なのかもしれない。
「……不思議ですね」
小さく呟く。何も始まっていない。
だが――何も変わっていないわけでもない。
一方でヴァルドは、理解していた。
この時間は、任務ではない。
いや、任務だ。だがあまりにも、戦にあけくれていた自分とすれば、穏やかで。
遠征の報酬、そう選ばれたものに近い。
王子はそこまで考えてくれたのか。
いや、と都合のいい妄想を打ち消す。
今日という日をきっと生涯忘れない。
なくなったものが、手に触れた瞬間。
何をかえてもなくしてはならないものだと痛感した。
もう、決してどんな形であろうと、彼女を守り抜きたい。
もう逃げ出さない、そう誓った。




