表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薔薇病で忘れられた第一王女は、元護衛の副団長にもう一度選ばれる  作者: 杜咲凜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/6

第3話 変わらなかったもの

廊下を歩く足音が、ひとつ多い。

リゼリアは、ふと本を読む手を止めた。

本から顔を上げずに、言う。


「……どなたですか」


侍女が一歩前に出る。


「本日より、護衛がつきます」


「護衛?」


わずかに首を傾ける。


「これまでは、必要ありませんでしたね」


事実を、そのまま言う。責めるでも、拒むでもない。

ただ、確認している。


「王子殿下のご判断です」


「そう」


それ以上は問わない。

足音が、もうひとつついてくる。

久しぶりの来訪者だ。


北塔の一室は静かだった。

厚い石壁に囲まれた部屋は、装飾こそ簡素だが、よく整えられている。

窓辺には書見台と椅子。

壁一面に、丁寧に分類された書架。


生活の痕跡こんせきはある。

だが、人に見せるための部屋ではない。


扉があく音が背後から聞こえた。

だが、顔を見せるのもはばかれる。

あざが気になる。


年かさのある女性とはいえ、高貴な身分の者がおいそれと顔を見せるのはよくないだろう。

せめて誰が来訪したかわかるまでは。


「リゼリア様、護衛の方がいらっしゃいました。お茶をご用意いたしますか?」


「ええ、お願い」


侍女からその言葉があるということは、正式な来訪者と確認されたのだろう。

それから、あざのことも相手は知っているのだろう。


「……顔を」


ふいに、リゼリアが言う。

侍女が振り返る。


「確認しても?」


「はい」


侍女が横にずれる。

そこで初めて、後ろにいた男の姿が見えた。


短い黒髪。日焼けした肌。

鎧の下に隠しきれない、いくつもの傷。


立ち方に、無駄がない。視線だけが、静かにこちらを見ている。


リゼリアは、数秒だけその姿を見る。

記憶を辿たどるように。

やがて、言う。


「……お久しぶりですね、ヴァルド」


声は、変わらない。

驚きも、強い感情もない。


ただ、時間を認識している。


ヴァルドは、わずかに視線を下げる。


「ご無沙汰しております、王女殿下」


短い沈黙。

長くはない。

だが、軽くもない。


彼女は窓際に立っていた。

光を背に、ゆっくりと振り向いた姿は、記憶とは違っていた。


痣は、確かに残っている。

肌の色も、完全には戻っていない。

年齢を感じるたたずまい。

それでも、背筋はまっすぐで、あごの引き方も、視線の高さも、何ひとつ崩れていなかった。


「遠征に出られていたと、聞いています」


「はい」


それだけで、それ以上は続かない。


「お帰りなさい。長い期間の任務、ご苦労様でした。」


丁寧で、正確な言葉。ふいに昔を思い出す、そのやわらかな声。

この声を焦がれていた。


副団長は、反射的に片膝をつきかけて、思い直して立ち止まった。

王族に向ける礼としては正しい。

だが、いま彼女が望んでいるのは、形式ではないと直感した。

ふたりのときは、膝をつかなくていい。

そう昔言われたことを、不意に思い出した。


「……ただいま戻りました」


それだけを告げる。そして、深く頭を下げた。

彼女は、わずかに微笑んだ。


「変わらず、無事でなによりです」


その微笑みは、学園時代と、驚くほど変わっていなかった。

リゼリアは、もう一度だけ彼を見る。

かつてと、今を重ねるように。


違う。全く同じではない。

だが――

失われてもいない。


遠征から長く帰ってこないことは知っていた。

彼とはもう会えないと思っていた。


この病気になってしまい、距離も時間もできた。


そう、もし彼が人生を進めていて。

大切な人がいて、家族がいて。

それが当たり前だと。

詳しい事情は、後から聞くことになるだろう。


「……そうですか」


小さく言う。それで終わる。


久しぶりの再会であるのに、言葉が出てこない。

一方でヴァルドは、その事実に胸の奥を静かに打たれていた。

変わっていない。

失われたものは、数え切れない。

時間も、身体も、未来も。


それでも――彼女の存在は変わりなかった。

外見ではなく、心持ち。

そして、自分がずっと慕い続けていた王女への気持ちさえ。

この姿を見ると――。


「……護衛」


独り言のように、リゼリアが言う。

侍女が答える。


「体調も安定されてきましたので、殿下は外の空気で気晴らしにでもと考えてくださったのでしょう」


「そうですね」


それ以上は問わない。だが、考えている。

これまで、護衛は必要なかった。

城の中で、危険はない。


それでも――


「外、ですか……」


いくら体調がよくなったとは言え、まだ少し長く日の光にあたると疲れやすい。

体力はこの長年の治療で大きく落ちてしまった。

加齢もあるだろう。人は年を取る。


ヴァルドは書類を指し示す。

護衛に必要な動線、体調の波、外出可能な時間帯。

すべて、整理されている。主治医と話して、王女のことが記載されていた。

リゼリアはそれを受け取り、軽く目を通す。


「わかりました。少し、外にでましょうか。」


そう口にした自分の声が、いつも通りであることにはリゼリア少しだけ安堵した。

なぜか、胸がとくっと早くなる。こんなことはない。

病気が再発したのか?と不安になる。


すると、リゼリアに遠慮がちに、ヴァルドが膝を折り、顔をのぞきこむ。

体調が悪いかと確認してきた。

その至近距離に、リゼリアはぱっと背中を引いてしまう。

それを察したように、ヴァルドの動きが止まる。


「距離を取りますか」


低く、静かな声。


リゼリアは、少しだけ考える。ほんの一瞬。


「いいえ」


すぐに答える。


「問題ありません」


顔が少し熱くなっている気がする。

異性とこれだけ近づくのは久しぶりだ。


いつも侍女がいて、塔を守ってくれる護衛もいるが、この距離を許される立場にはいない。


視線が合う。


その瞬間、ヴァルドは理解する。

彼女は変わっていない、病を遠ざけ、そこに今いる。

それだけでヴァルドは胸がいっぱいになる。


「外へ、行きましょうか……」


沈黙に耐えかね、そっと侍女にリゼリアは言う。

日傘とストールが用意される。


レースのそれを身に着け、侍女が日傘を持ってリゼリアの傍に控える。


それを確認してから、半歩下がってヴァルドが後につづく。


塔の階段を下りていく。

窓の外を見れば、晴天だった。

青さが澄んでいて、美しい。


ふうと、空の美しさに見入ってから、

再び歩き出す。

ヴァルドとの距離は、そのまま。

階下になれば、中庭が見えてくる。


そして、再び立ち止まる。

外を見る。

遠くに、街並みが見える。

城下の景色は、変わらない。


「……変わりませんね」


何を指しているのか、明言しない。

ヴァルドは、答えない。

リゼリアのひとり言とみたのだろう。


彼はその意図を汲み取るのがうまい。

昔から。


「……あなたは」


リゼリアが、少しだけ振り返る。


「変わりましたか」


問いというより、確認。

ヴァルドは、一瞬だけ考える。

言葉を探す。


「分かりません」


それが、一番近い。


リゼリアは、わずかに頷く。


「そうですか」


それ以上、踏み込まない。


沈黙が落ちる。


風が、窓の外で揺れる。


中庭には、花が咲いている。

あのころ、まだ元気なときに見た白い大きな花が咲いている。


リゼリアは、視線を戻す。

そのまま、言う。


「では、今後とも」


そっと彼を見上げ、微笑んだ。


「よろしくお願いいたします」


形式的な言葉。だが、距離を拒んではいない。

ヴァルドは、短く答える。


「……こちらこそ」


それで終わる。

歩き出す。

足音が、二つ。

一定の間隔で続く。


変わったものもある。

変わらないものもある。


ただ、リゼリアは、変化したもの、まだ変化していないもの。

そして、失ったもの、失わなかったもの。

過去と現実の様々な気持ちがふと複雑に絡み合う。

それをなんと表現したらいいのか、言葉が見つからなかった。


一方でヴァルドもまた、変わらなかったものがあることを知っていた。

そして、変わってしまった自分がいることも。


その事実から、もう目を逸らすことはできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ