異世界の星空と、俺たちの出発 ~転売屋に刺された話を、満点の星の下でしてみた~
野宿の準備は、エレナが一番手慣れていた。
枯れ枝を集め、石を組み、火を起こす。その一連の動作に無駄がない。何百年も野外生活の経験を積んだ者だけが持てる、洗練された動きだった。
「エレナって野宿も上手いんだね」とミーナが感心した顔で言った。
「長く生きると、いろいろなことを覚えます」
エレナは火吹き棒で炎を調整しながら答えた。
「野宿をしない時期が数百年単位で続いたこともありますが、身体は覚えているものです」
「数百年……」
カケルはその言葉をぼんやりと咀嚼した。
「数百年、野宿しなかった時期って、その間何してたの」
「エルフの森で暮らしていました。森の中は快適です」
「快適な森を出て、なんでジャンクショップで働いてるの」
エレナは少し間を置いた。
「リョウの祖父に頼まれました。「面白い仕事がある」と言って」
「面白い仕事……ジャンクショップが?」
「私にとっては、面白かったです」
エレナはそう言って、今度こそカケルに視線を向けた。
「長く生きると、「見たことのないもの」が少なくなっていきます。エルフの森の中だけにいると、特に。でも秋葉原最終処分場には、私が一度も見たことのないものが山のようにありました」
「異世界の電子機器だからな」
「それだけではありません」
エレナは静かに続けた。
「リョウもカケルも、ミーナも。私が今まで出会ったことのない種類の人たちです。それもまた、「見たことのないもの」です」
カケルはその言葉の重さを、うまく受け取れた気がした。数百年生きてきた存在にとって、「見たことのないもの」に出会えることは、どれほど貴重なのか。
「俺たちは、エレナにとって珍しい存在ってことか」
「そう言っていいでしょう」
「ちょっと照れるな」
「照れなくていいですよ。事実ですから」
エレナはそう言って、鍋の中身を木べらでかき回した。今夜の夕食は、ミーナが持ってきた食料をベースにしたスープだ。野菜と干し肉を煮込んだシンプルなものだが、焚き火の明かりの下で食べると、なぜかおいしそうに見えた。
リョウが地図を広げながら戻ってきた。
「今夜の野営地の確認が取れた。ここから北に丘が見えるだろ、あの裏側は岩場になってて風を遮れる。敵が来ても三方が岩で守られる」
「いい場所だな」とカケルが言った。「センサーを仕掛けておく。夜間に不審な動きがあればブザーで知らせる」
「頼む。俺は睡眠をしっかり取りたい」
「了解。俺が最初の番をする。六時間後にエレナと交代」
「私は睡眠がそれほど必要ではないので、番を長くとれます」
エレナが言った。
「カケルは二時間で交代しましょう。明日も歩くのですから」
「……ありがたいけど申し訳ない」
「気にしないでください。長く生きると、睡眠が少なくて済むようになります」
「エルフの長寿、至れり尽くせりだな……」
スープができあがった。
四人で木製のカップに注ぎ、焚き火を囲んで座る。夜空には星が多い。風は冷たいが、焚き火の熱がちょうどいい。
ミーナが大きな目でスープを見て、耳をぱたぱたさせた。
「うまい!!」
「ミーナが持ってきた食材ですから、ミーナの手柄でもあります」
「ほんとに?!」
「ほんとです」
ミーナがしっぽをぶんぶん振った。
カケルはスープを飲みながら、遠くの山脈を見た。夜の暗闇の中でも、シルエットははっきりとわかる。あの向こうにドワーフ峠がある。あそこに辿り着いたとき、何が見えるのか。
「リョウ」
カケルは言った。
「ドワーフ峠の鉱山、今どんな状況だと思う?」
「悪い可能性を考えれば」
リョウはスープを口に運びながら答えた。
「魔王軍に完全に占拠されている。採掘された資源は全部魔王軍の管轄に入って、市場に出回らなくなる。それが続けば、大陸全体の素材価格が高騰する」
「転売屋のやり口だ」
「そう。本人がそれを意識してやってるなら、相当タチが悪い」
「対抗策は?」
「鉱山を取り戻すか、別の入手経路を作るか、そもそも使わない技術を開発するか」
カケルはしばらく考えた。
「別の入手経路については……少し心当たりがある」
「ほう」
「以前、エレナが言ってた。小型のマナ石は街道沿いの地表に転がっているって。あれ、採掘しなくても入手できるってことだよな」
「地表採取は量が少ないです」
エレナが答えた。
「ただ、ゼロではありません。旅の途中で集めながら進めば、相応の量は確保できるかもしれない」
「採掘量には勝てないけど、緊急の代替手段にはなりうる。それを各地の職人や技術者に伝えれば、鉱山封鎖の影響を少しは緩和できる」
「情報を広める役割か」
リョウが言った。
「それは俺の仕事になるな。人脈を使って、各地の商人や職人に連絡を取る」
「頼める?」
「旅の中でできる限りやってみる」
カケルは頷いた。
「もう一つ。ジャンクを使った代替技術の開発」
「具体的には?」
「マナ石の消費量を減らす装置。今のマナ石変換アダプターは効率が低い。改良すれば、同じ量のマナ石でもっと多くの機器を動かせる。節約が効けば、鉱山封鎖の影響はさらに小さくなる」
「それは旅の中でできるのか」
「部品があれば。道中のジャンクを集めながら、少しずつ改良していく」
「なるほど」
リョウはメモを取り始めた。
「方針が固まってきたな。①情報収集と広報 ②地表マナ石の採取ルート確立 ③技術的な節約策の開発。これを並行して進める」
「そういうこと」
「ミーナの担当は?」
「戦闘と」
カケルはミーナを見た。
「気合い」
「まかせて!」
ミーナはスープのおかわりをよそいながら元気よく言った。
「ミーナ、頑張る!」
「本当に頼りにしてるよ」
「えへへ」
焚き火の炎が揺れた。
夜はまだ続く。
◇
翌朝。
センサーが一度だけブザーを鳴らした。
カケルが跳び起きて確認すると、映像には野生の兎の姿があった。
「……なんだ兎か」
エレナが涼しい顔で言った。「感度の調整が必要ですね」
「そうだな……閾値を上げる」
カケルはセンサーの設定を変更しながら、ほんの少しだけ疲れを感じた。技術は完璧ではない。使いながら改善していくしかない。それがジャンク屋の哲学でもある。
出発は朝食のあと。
二日目の道は山道に入った。勾配が増し、石が増え、草が減っていく。それでもミーナは「猫族は山も得意!」と宣言して先頭を歩き、エレナは相変わらず淡々と、カケルは息を切らしながら、リョウは地図を確認しながら進んだ。
◇
ドワーフ峠の入り口に辿り着いたのは、出発から二日目の夕方だった。
予定より一日早い。ミーナの「猫族の足」と、エレナが知っていた近道のおかげだった。
しかし、目の前の光景に、四人は足を止めた。
峠の入り口に、大きな看板が立っていた。
異世界の言語で書かれた文字は、リョウが素早く読み上げた。
「「この先、管理区域につき立入禁止。違反者は拘束する」……だと」
「管理区域?」
とカケルが言った。
「さらに下に小さく」
リョウは目を細めた。
「「鉱山管理局・テーン商会」」
沈黙。
「テーン商会」
カケルは繰り返した。
「もう動いてる」
エレナが静かに言った。
「情報を受け取ってから行動に移すまでの速度が。組織として機能しているということです」
「鉱山を単に占拠したんじゃなく、「管理局」という名目で囲い込んでる。表向きは合法的な管理に見せかけて、実態は独占」
「転売屋の本領発揮だ」
リョウが苦い顔で言った。
「剣や魔法で正面から奪ったんじゃなく、組織と書類で囲い込んだ。これは厄介だ。正面突破しようとすると、こっちが「不法侵入」になりかねない」
「それが狙いだろうな。戦争じゃなく、法律で縛る」
カケルは看板を改めて見た。
テーン商会。
テーン・バイ・ヤーが、表の組織を作っている。魔王軍という「裏の力」と、テーン商会という「表の顔」を使い分けている。
「賢い」
カケルは思わずつぶやいた。
「感心してる場合じゃないですよ」
エレナが言った。
「感心はしてる。でも舐めてるわけじゃない。相手の手口を正確に理解しないと、対策が立てられない」
「そうですね。失礼しました」
「いや、エレナが正しい」
カケルは気持ちを切り替えた。
「今確認すべきは、鉱山が本当に完全封鎖されているかどうか。中を見る方法を考えよう」
「正面突破はできない」リ
ョウが言った。
「番兵がいるはずだ」
「横からは?」
「山を迂回すれば別のルートがあるかもしれません」
エレナが言った。
「ただし、険しい。時間もかかる」
「最悪そっちで行く。でもその前に――」
カケルはリュックから魔視鏡を取り出した。
「これで中の様子を確認できないか試してみる」
魔視鏡のディスプレイに電源を入れる。
エレナがそっと魔力を流し込む。
ディスプレイが起動し、周囲のマナ波を可視化し始めた。
峠の入り口の向こう、管理区域の中から、強いマナ反応がいくつも検出された。
「人がいる。しかも魔法使いが複数」
カケルはディスプレイを読み取りながら言った。
「番兵が六から八人。うち少なくとも二人は魔法使い」
「正面はやめよう」
とリョウ。
「うん。迂回する」
「どのルートが最短ですか」
エレナに問うと、エレナは地形を見渡しながら少し考えた。
「南の斜面に獣道があります。かつてエルフが使っていたルートで、地図には載っていないはずです」
「知ってるの?」
「以前、旅で通ったことがあります」
「いつ?」
「二百年ほど前です」
「……道、変わってないかな」
「岩は変わりません」
エレナは静かに言った。
「木は生え変わっているかもしれませんが」
「それを信じて行くしかないか」
カケルはリュックを背負い直した。ミーナがその横で、尻尾を立てて「行こう行こう!」と足踏みしている。
「日が暮れる前に斜面に入ろう。暗くなってからの山道は危ない」
四人は看板を横目に、南の斜面へと進路を変えた。
足元の石が増え、道が細くなる。エレナが先頭に立ち、二百年前の記憶を頼りに獣道を辿った。
その途中。
「カケル」
エレナが突然足を止めた。
「どうした?」
「マナ反応が……」
エレナが眉をひそめた。
「右斜面の上から、こちらに向かって動いています」
「番兵か?」
「わかりません。ただ、速度が速い。人間の足よりも」
「魔獣?」
「可能性が高い」
カケルは魔視鏡を取り出したが、斜面の木が邪魔で映像は判然としなかった。マナ反応だけが、確実に近づいてきている。
「ミーナ、準備して」
「うん!」
ミーナが低い姿勢になった。耳を伏せ、目を細め、全身の筋肉が緊張で引き締まる。猫族の本能が、獲物を――いや、敵を捉えようとしていた。
木々の間から、影が現れた。
四足歩行の魔獣だった。体長は二メートルを超え、全身が黒い体毛で覆われている。頭部は犬に似ているが、眼球が赤く発光しており、牙は異常に発達していた。
「グルルルル……」
低い唸り声が響いた。
「なんだあれ」
カケルが声を抑えて言った。
「ダークウルフです」
エレナが静かに言った。
「魔力を帯びた魔獣で、単体でも相当な強さがあります。ただ……」
エレナは眉をひそめた。
「こんな場所にいるのはおかしい。ダークウルフは本来、もっと深い山中に生息するはずです」
「魔王軍が放ったのかも」
リョウが言った。
「番兵の代わりに」
カケルが続けた。
「表向き「管理区域」に見せかけてるから、自分たちの兵士を大量に置くと目立つ。代わりに魔獣を放置して、近づく人間を追い払う」
「なるほど……巧妙ですね」
ダークウルフが一歩踏み出した。
カケルはすぐに思考した。
スタンガンは有効か? ――改造品でも、あのサイズの魔獣相手に倒せる保証はない。エレナの魔法は確実だが、魔法を使えばマナ反応が大きく出て、峠の番兵に気づかれる可能性がある。
静かに、素早く、対処する必要がある。
「エレナ、魔法は最小限で」
「わかっています」
「ミーナ」
「うん」
「あいつの注意を引いてくれ。引いたら左に逃げる。俺が右側から仕掛ける」
「仕掛けるって何するの?」
「見てて」
カケルはリュックの中を素早く探った。
取り出したのは、小型のモーションセンサーと、マナ石変換アダプター一個と、太めのケーブル。
センサーのアンテナ部分にケーブルを繋ぎ、もう一方の端をアダプターのコネクタに差し込む。マナ石を最大出力で繋げると、ケーブルの先端が帯電する。
即席の「電撃ロープ」だ。
原理は単純だ。マナ石の電力を最大出力でケーブルに流し、それを触れるものに放電させる。スタンガンより出力が高く、接触範囲も広い。ただし持続時間が短い。一回勝負だ。
「行って、ミーナ」
「うん!」
ミーナが左側に向かって疾走した。石を蹴り、草を踏み、わざと音を立てながら走る。
ダークウルフの赤い目が、ミーナを追った。
その瞬間、カケルは右側に回り込んだ。
ダークウルフがミーナに向かって跳躍するタイミングを計る。跳んだ瞬間が、着地できない一瞬が、勝負のポイントだ。
ダークウルフが前脚を上げた。
跳ぶ。
「今!」
カケルは電撃ロープをダークウルフの着地地点に向かって投げた。
ダークウルフが着地した瞬間、ロープが触れた。
放電。
青白い電流がダークウルフの全身を走った。
獣の悲鳴が短く上がり、四肢が震えた。
エレナが素早く追撃の呪縛魔法をかける。最小限の魔力で足元の草が絡みつき、動きを封じる。
ダークウルフが地面に倒れた。意識を失ってはいないが、立ち上がれない状態だ。
「成功!!」
ミーナが戻ってきて飛び跳ねた。
「カケルすごい!!電撃!!」
「うまくいった……」
カケルは胸を撫で下ろした。
「設計通りに動いてよかった」
「一回勝負の設計でしたね」エレナが言った。「リスクが高かった」
「もっといい方法があったかもしれないけど、考える時間がなかった。それより」
カケルは素早く周囲を確認した。
「魔法の反応は小さかった?」
「最小限で抑えました。峠の番兵に届いたかどうかは不明ですが……おそらく大丈夫かと」
「急いで移動しよう。この場所に留まらない」
四人は素早く斜面を進んだ。
倒れたダークウルフを置いて、エレナの記憶を頼りに獣道を辿る。
十分後、岩陰に隠れてひと息ついた。
「うまく乗り越えた」
リョウが静かに言った。
「あのダークウルフが目を覚ましたら、また来るかもしれない」
「その前に情報を集めて引き上げる。峠の内部を確認できれば十分だ」
カケルは魔視鏡を再び起動した。
獣道の先、峠の内部のマナ反応が映し出された。
そして、カケルはそこに映った情報に息をのんだ。
「……これは」
「どうしました?」エレナが覗き込んだ。
ディスプレイの中、鉱山と思われる区域から、異様に強いマナ反応が検出されていた。通常のマナ石採掘では出ないはずの規模だ。
「大型のマナ石が、複数ある。それも精製済みの」
「精製済み?」
リョウが声をひそめた。
「それはつまり……」
「すでに大量のマナ石が、兵器に転用できる状態になってる」
沈黙。
「早い」
エレナが言った。
「想定より遥かに早く、計画が進んでいます」
「悠長に旅してる場合じゃないかもしれない」
カケルはリュックを握り直した。
夕暮れの光が山肌を赤く染めていた。
遠くで、鉱山の奥から鈍い機械音のようなものが聞こえた気がした。あれは何の音だ? この世界に機械はないはずだが……。
「リョウ」
カケルは言った。
「旅の予定を変更する必要があるかもしれない」
「どう変える?」
「このまま情報収集だけしてても、敵の準備に追いつけない。もっと積極的に動かないといけない」
リョウは少し考えた。
「次の目的地はどこだ?」
「ミーナの故郷に向かいながら、ルート上の街に立ち寄って情報と材料を集める。同時に、地表のマナ石を集めながら代替電力源を確保する。それで、俺はもう一段上の発明を作る」
「一段上、というのは?」
「言ったら笑うかもしれないけど」カケルは少し間を置いた。「最終的には、もっと大きなものを動かしたい」
「大きなもの、とは」
「まだ言わない。パーツが揃ってから話す」
リョウはカケルの顔をしばらく見て、それから頷いた。
「わかった。信じる」
「ありがとう」
ミーナが「ねえねえ、大きいものってなに!?」と耳をぴんと立てて聞いてきたが、カケルは「秘密」とだけ答えた。
エレナは何も言わなかった。
しかしその目は、カケルが何を考えているかを、なんとなく理解しているような静けさを持っていた。
夕暮れの山中で、四人は次の一手を胸に秘め、来た道を静かに引き返し始めた。
◇◇
帰路の夜営地。
カケルは焚き火の前に座り、再びノートを広げていた。
ページには、いくつかの図が走り書きされていた。骨格だけのラフスケッチ。機械的な構造を示す線と円。今の自分の技術では作れないが、パーツが揃えば、理論上は実現できる。
「大きなもの」の設計図だ。
この世界にジャンク品を組み合わせて、本当に大きなものを作れるか。それは現時点では確信が持てない。しかし、ひとつひとつのステップを積み重ねれば、近づいていけると思っていた。
マナ石で動力を得る。電子制御で動かす。魔法と機械を融合させる。
カケルにとって、それは「夢」ではなく「工程表」だった。
「眠れないのですか」
エレナの声がした。
「考えることがあって」
「見ていいですか」
エレナがノートを覗き込んだ。しばらく無言で図を眺めた後、静かに口を開いた。
「これは……」
「笑わないで」
「笑いません」エレナは真剣な目でカケルを見た。「ただ、一つ聞いていいですか」
「うん」
「これを動かす魔力は、誰が供給するつもりですか」
カケルは少し黙った。
「エレナに頼もうと思ってた。迷惑じゃなければ」
エレナはまた少し沈黙した。
「……迷惑ではありません」
その言葉は短かったが、カケルにはその言葉の重さがわかった気がした。
「ありがとう」
「お礼はうまくいってからにしてください」
「そうだな」
焚き火の炎が揺れた。
ミーナは早々に眠っており、丸まったしっぽが規則正しく上下している。リョウは地図を確認した後、静かに目を閉じていた。
静けさの中で、カケルはノートを閉じた。
考えは頭の中にある。あとは手を動かすだけだ。
「エレナ」
「はい」
「俺に、魔法を少し教えてくれない? 使う必要はない。仕組みだけでいい。機械と融合させるには、魔力の性質を理解しないといけないと思って」
エレナは少し驚いた顔をした。長く生きた者が見せる、珍しい表情だった。
「それは……面白いリクエストですね」
「迷惑?」
「迷惑ではありません」エレナはほんの少し口の端を上げた。「明日、歩きながら話しましょう。魔力の基礎から」
「よろしくお願いします」
「ただし」
エレナが付け加えた。
「ミーナには教えないでください」
「なんで」
「触ったら壊しそうです」
「……確かに」
カケルは苦笑した。
遠くで夜の虫が鳴いた。
焚き火の向こう、山脈のシルエットが暗闇に沈んでいく。
ドワーフ峠では今も、魔王軍がマナ石を集め続けているのだろう。その音が聞こえたような気がした鈍い響きは、カケルの耳からまだ消えていなかった。
しかしカケルは、恐怖より先に「やることが明確になった」という感覚を持っていた。
敵の手口はわかった。規模もわかった。対抗するために必要なものも、おおよそ見えてきた。
あとは動くだけだ。
「カケル」
エレナが言った。
「そろそろ休んでください。考えすぎは体に良くありません」
「うん、そうする」
「魔法の話は明日」
「わかった」
カケルはノートをリュックに仕舞い、焚き火から少し離れた場所に横になった。
空には星が溢れていた。
こんなにたくさんの星を、生きているうちに見ることができるとは、転生する前は思っていなかった。
転売屋に刺されて死ぬ前の最後の記憶は、秋葉原の路上だった。買えなかったグラフィックボード。人混みの中の怒号。それきりだと思っていた。
でも今、草の上に寝転んで、異世界の満点の星空を見上げている。
「……悪くないな」
誰にでもなく、カケルはそうつぶやいた。
やがて自然に…目が閉じた。
了




