エルフの森の危機 ~千年の木が傷ついていた。テーン商会の採掘痕があった~
エルフの森が見えてきたのは、夜明けから六時間後のことだった。
遠目にも、その存在感は別格だった。
普通の森とは違う。木の高さが違う。密度が違う。空気が違う。そびえ立つ大樹の群れが、地平線の向こうから天を突くようにして立ち並んでおり、その頂上付近はわずかに光を帯びているように見えた。朝の光を反射しているわけではない。森そのものが微かに発光しているのだ。
「あれが……エルフの森か」カケルはつぶやいた。
「私の故郷です」エレナが静かに言った。
その声には、久しぶりに故郷を目にしたときの独特の感情が、かすかに滲んでいた。
「綺麗だな」
「そうですか」
「そうでしょ。どう見ても」
「……ありがとうございます」
ミーナが目を輝かせた。
「すごい!! 光ってる!! なんで光ってるの!?」
「木に大量のマナが宿っているから」エレナが答えた。「エルフの森の大樹は、数百年から千年単位で生きています。その間に蓄積されたマナが、光として漏れ出しているんです」
「千年!!」ミーナが叫んだ。「木が千年!!エレナより年上の木がある!!」
「あります」
「なんかすごい……」ミーナが圧倒されたように立ち止まった。「木が千年生きるのと、エレナが何百年生きるのと、どっちがすごいの?」
「どちらも等しくすごい、と思います」
「そういう答えになるか……」
「ミーナ、木は動かないだけで、内側ではずっと何かが起きています。長く生きることは、外から見えない積み重ねを持つことです。それはエルフも木も同じです」
ミーナはしばらく大樹のシルエットを眺めた後、しっぽをゆっくり揺らした。
「エレナって、難しいことをわかりやすく言う」
「長く生きると、言葉を選ぶ技術も上がります」
「それも長命の恩恵!!」
「そうかもしれません」
リョウが地図を確認しながら言った。
「森の入り口まであと一キロか。まず外縁を確認しよう。テーン商会の気配がないか」
「魔視鏡で先行確認する」カケルが言った。
魔視鏡を起動して、エレナが魔力を流し込む。ディスプレイが森の方向を映し出した。
異常なマナ反応はない。少なくとも外縁部分には、敵の気配は今のところ検知されなかった。
「今は大丈夫そう」
「急ごう」リョウが言った。
四人は歩調を速めた。
◇
エルフの森の入り口は、二本の大樹が向かい合う形で作られた、自然の門のような場所だった。
門をくぐった瞬間、カケルは息をのんだ。
空気が、外と全然違う。
湿度が高く、植物の濃い香りがする。光は葉の間から差し込んで、地面に複雑な模様を作っていた。足元は柔らかい苔で覆われており、踏むたびに僅かに沈み込む感覚があった。
静かだ。風の音も、鳥の声も、すべてが遠く、柔らかい。
「……すごい場所だ」カケルは自然に声を落として言った。
「薄暗いですね」リョウが静かに言った。
「でもなんか……落ち着く」ミーナが珍しく静かな声で言った。
「そうですか」エレナが静かに言った。「エルフ以外の方がそう感じるのは……珍しいことです」
「猫族は暗いところが好きだから?」
「そうかもしれません。猫族とエルフには、意外と共通点があるかもしれませんね」
「仲良くできそう!!」
エレナが小さく微笑んだ。
しかしその笑顔はすぐに消えた。
「……止まってください」
エレナが足を止めた。
全員が止まった。
「どうした」
「マナの乱れ。自然のものではない」エレナは眉を寄せた。「何者かが最近、この森に入った形跡があります」エレナは近くの大樹の根元に膝をつき、地面を確認した。「ここ……根の表面が削られています。外部からの衝撃で。鉱山用の工具で叩いたような傷痕がある」
「採掘を試みた跡か」カケルが言った。
「そうです。深くは掘れていない。しかし試みた痕跡は確かにあります」エレナの声に、静かな怒りが滲んだ。
「テーン商会か?」
「わかりません。ただ……」エレナは目を細めた。「奥の方に向かった形跡があります。本来、エルフ以外の者が深く入ることは難しいはずですが」
「難しいのになぜ入れた?」
「案内者がいたか、あるいは強制的に道を作ったか。強引に進めば、森を傷つけます」
「奥に行ってみよう」カケルが言った。
「私が先行します。この森は私が知っている」
「一人は危ない」
「カケルも一緒に来てください。リョウとミーナはここで待機を」
「わかった」リョウが頷いた。
「待つ!! でも何かあったら走って助けに行く!!」ミーナが言った。
「その判断は俺から連絡があってからにしてくれ」カケルがトランシーバーを取り出してミーナに渡した。「これに俺の声が届くから」
「わかった!!」
カケルとエレナは森の奥へと進んだ。
足元の苔を踏みしめ、大樹の間を縫うように歩く。エレナは迷わず進んだ。生まれ育った場所を、体が覚えているのだろう。
「エレナ、何年ぶりか」カケルが小声で聞いた。
「三十年ほどです」
「三十年ぶりの故郷か」
「少し変わっていますが……根本は同じです。木はまだここにある」
エレナが一本の大樹の幹に手を触れた。
その表情がわずかに和らいだ。
「覚えていてくれますか、この木が」とカケルが聞いた。
「木には意識はありません。ただ……マナが覚えているかもしれません。かつて私の魔力に触れたマナの残響が、今も木の中にある気がします」
「それは幻想かもしれないけど、それでいいと思う」
「そうですね」エレナは手を離した。「行きましょう」
さらに奥へ。
やがて、声が聞こえてきた。
人の声。複数人。
エレナが素早く立ち止まり、手で「止まれ」の合図をした。二人は大樹の陰に身を潜めた。
声の方向から、かがり火の光が漏れていた。
木々の間から覗くと、小さな空き地に五、六人の人物が集まっているのが見えた。全員が武装している。傍らには木箱がいくつか積み上げられており、作業をしているようだ。
「何をしている?」カケルが耳打ちした。
「……採掘です」エレナの声が硬くなった。「森のマナ石を、掘り出そうとしています」
カケルは目を細めた。
空き地の地面には、ピッケルで掘り返した跡があった。地面の奥から弱い光が漏れており、それがマナ石の鉱脈であることを示していた。
「まだ本格的には始まっていない」エレナが続けた。「今日来たばかりのようです。鉱脈の場所を特定して、本採掘の準備をしているところだと思います」
「今ここで止められるか」
「止めたい」
「方法は?」
エレナはしばらく考えた。
「私が正面から交渉します。この森はエルフの聖域です。無許可の採掘は、国際的な慣習に違反します。それを告げれば、引き下がる可能性があります」
「引き下がらなかったら?」
「その場合は……」エレナの目に決意が宿った。「相応の対応をします」
「俺もいる。二人で動こう」
「カケル」
「うん」
「あなたは後ろに控えていてください。私が先に話す。カケルは何かあったときの備えとして」
「わかった。ただ、ミーナとリョウには連絡を入れる。何かあれば動けるように」
「賢明です」
カケルはトランシーバーのチャンネルを合わせ、小声で呼んだ。
「ミーナ、聞こえるか」
「聞こえる!!」トランシーバーからミーナの声が飛び出した。
「声を小さく!」
「ごめん!聞こえる……」ミーナが声を落とした。
「奥に侵入者がいた。エレナが交渉に入る。何かあれば呼ぶから、リョウと一緒に待機してくれ。呼んだら全力で来て」
「わかった!」
カケルはトランシーバーをポーチに収めた。
「行きます」エレナが言った。
エレナは大樹の陰から一歩踏み出し、空き地へと歩み出た。
作業していた男たちが気づいた。
「誰だ!!」
「この森の住人です」エレナは静かに言った。「あなたたちは今、エルフの聖域に無断で侵入し、地下資源の採掘を試みている。どちらのご所属ですか」
男たちがざわめいた。先頭に立っていた体格のいい男が前に出た。
「テーン商会の調査隊だ。この区域は商会の管理下に入る予定の土地だ。立ち去れ」
「管理下?」エレナはわずかに眉を動かした。「この森はいかなる商業組織の管理下にも入りません。エルフの聖域は、数百年来の慣習として他者の干渉を受けない。その慣習を知らないとは言わせません」
「そんな古い慣習は関係ない。商会の命令だ」
「商会が何を命じようと」エレナは一歩前に進んだ。「この森の樹は、あなたたちが生まれるより前から立っています。その歴史の重さを、一介の命令が覆せると思いますか」
男が剣に手をかけた。
「話は終わりだ。立ち去らないなら力ずくで」
「わかりました」
エレナの声が静かに変わった。
それは先ほどまでの交渉の声ではなかった。もっと古い、もっと深い何かが混じった声だった。
エレナが杖を正面に構えた。
森全体が、一瞬、静まり返った気がした。
木々が揺れた。風が生まれた。地面の苔がさわさわと波打った。
エレナの周囲のマナが集中し始めた。それも一点ではなく、森全体から。
「……ッ!?」男が後退した。「な、なんだこれは」
「エルフが本気を出すとどうなるか」エレナは静かに言った。「見たことがないのなら、見せましょう」
カケルは後方の木の陰で、その光景を息をのみながら見ていた。
エレナの銀色の髪が、風もないのに揺れていた。その体の周囲に、薄い光の膜が張られていく。マナ石から感じたものより遥かに強く、濃い魔力が、エレナを中心に渦巻いていた。
「……これが本気か」カケルはつぶやいた。
テーン商会の男たちが後退を始めた。全員が、エレナの前に立ちすくんでいる。武器を持っていても、手が動かせない様子だった。
「退いてください」エレナは言った。「今日は、これ以上は何もしません。ただし二度目は違います。この森に再び足を踏み入れた場合、私はあなたたちの主人にまで話を届けます。テーン商会の名を持つすべての者に、エルフの聖域を侵したという事実を刻みます」
沈黙。
「……退けッ!」先頭の男が仲間に叫んだ。
男たちは木箱を置いたまま、逃げるように森を出ていった。足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
静寂が戻った。
エレナがゆっくりと杖を下ろした。
光の膜が消え、渦巻いていたマナが散った。
カケルが歩み寄った。
「エレナ」
「……大丈夫です」エレナは言った。今度は先日の消耗した声ではなかった。落ち着いた声だった。「ここは私の森ですから。外よりずっと、力が出ます」
「ホームグラウンドか」
「そういうことですね」エレナはわずかに口元を緩めた。
「さっきの……本気の魔法。あれは」
「古代魔術の威圧展開です。実際には大きな攻撃魔法は使っていません。ただ、力の一端を見せた」
「大きな攻撃を使わずにあれか」
「この森でなければ、ここまでできなかったかもしれません」
カケルは空き地を見回した。男たちが置いていった木箱が三つ。採掘道具がいくつか。そして、地面にある、かすかに光る鉱脈の割れ目。
「鉱脈は大丈夫か?」
「今日の作業では、まだ地表しか掘られていません。深部は無事です」
「よかった」カケルはしゃがみ込んで、鉱脈の割れ目を覗き込んだ。「これが、森のマナ石か」
「ここのマナ石は特に質が高いです」エレナが言った。「長年、森のマナを吸収し続けているから。外で採れるものとは、純度が違います」
「これが手に入れば……」
「設計図の残りの部分に使えると思います」
「本当に?」
「接合部の共鳴に必要なマナ波の精度を、この石なら出せると思います」
カケルは静かに頷いた。
「採掘してもいい?」
「少量であれば。森への影響を最小限にしながら」
「やり方を教えてほしい。強引に掘ると森を傷つけることは学んだ」
エレナが珍しく、柔らかい表情で言った。
「その言葉を言ってくれることが、嬉しいです」
カケルは少し照れた。
「当然のことだから」
「当然と思えない人の方が多いのです、この世界では」
トランシーバーから、ミーナの声が飛び込んできた。
「カケル!! どうなった!? まだいてる!?」
「終わった。大丈夫だ。来ていいよ」
「行く!!!」
しばらくして、ミーナとリョウが息を切らして走り込んできた。
「何があったの!!」
「エレナが退けた」カケルが言った。
「エレナが!!すごい!!」ミーナがエレナに駆け寄った。「大丈夫?!」
「大丈夫です」
「怪我は?」
「ありません」
「よかった!!」ミーナがエレナに思い切り抱きついた。
「……ミーナ」
「怖かった!!離れていたから!!」
「ありがとうございます」エレナはそっとミーナの頭を撫でた。「でも、大丈夫でした。ここは私の森ですから」
リョウが空き地を見回した。
「木箱を置いていったか。中身を確認してもいいか?」
「採掘道具だと思いますが」エレナが言った。
「そうかもしれないが……」リョウは木箱を開けた。「採掘道具……と、これは?」
木箱の底に、小さな革袋があった。開けると中には羊皮紙が入っていた。
リョウが広げて、素早く読んだ。表情が変わった。
「カケル」
「なに」
「これ……鉱脈の位置を示した地図だ。この森だけじゃない。大陸全土の、未開発のマナ石鉱脈の位置が全部書いてある」
沈黙。
「テーン商会が作った地図か?」カケルが聞いた。
「おそらく」
「つまり……向こうは、すでに大陸全体の資源の位置を把握している」
「そういうことになる」
カケルはその地図を受け取って、しばらく眺めた。
鉱脈の位置が、驚くほど精密に記されていた。どれほどの調査をすれば、ここまで精密な地図が作れるのか。
「これは……大きな情報だ」カケルは言った。「利用できる」
「どう利用する?」
「向こうが狙っている場所がわかれば、先に回って防衛できる。あるいは、向こうが知らない場所を先に押さえることもできる」
「逆用するか」リョウが言った。
「そういうこと。この地図は、こっちが使う」
リョウはしばらく考えた後、頷いた。
「わかった。ただし、その前に」
「エルフの森を守ることが先だな」
「そう」
カケルは空き地を見回した。
テーン商会の連中は今日は退いたが、必ず戻ってくる。エレナ一人に守らせるわけにはいかない。
「エレナ」カケルが言った。
「はい」
「森に、守りを設置したい。センサーを使って、侵入者を早期に検知できるようにする。里でやったことと同じ発展版を」
「やってもらえますか」
「当然だ。でも里と違うのは、ここにはエレナがいる。エレナが魔力を通せば、センサーの性能をさらに高められる。森全体をカバーできるかもしれない」
「わかりました。一緒に作りましょう」
「それと」カケルはリュックを下ろした。「ヘッドマウントディスプレイの改造も、ここでやりたい。森のマナ石を使って、精度を上げる」
「順番は?」
「まず守りを作る。それから発明。どちらも急ぐ」
「では始めましょう」
エレナが杖を構えた。
森の奥から、柔らかいマナの風が吹いてきた。
ここから、本当の意味での準備が始まる。
【ここまで完了 / 続きは指示をください】
◇
テーン商会の一団が去った後、館に静寂が戻った。
長老たちが立ち上がった。数人のエルフが束縛を解きながら、カケルとリョウを見ていた。
やがて、長老の中で最も年長と思われる一人が前に出た。白い長髪、深く刻まれた皺。しかしその目は澄んでいて、エレナの目と似た「時間の重さ」を宿していた。
「あなたたちは……エレナを連れてきた者か」
「はい」カケルが答えた。「橘 翔と申します。秋葉原最終処分場という店で働いています」
「秋葉原最終処分場」長老は繰り返した。「知っている。リョウの祖父が作った店だ」
「そうです」リョウが一歩前に出た。「霧島 涼です。店主の二代目を務めています」
「リョウの孫か……」長老は静かに言った。「祖父に似ている」
「よく言われます」
そこへ、地下からエレナが上がってきた。
エレナの顔はやや青白かった。魔力を大量に使った後の色だ。しかし歩みはしっかりしていた。
「エレナ」長老が言った。
「……ただいま戻りました」
その言葉に、長老は静かに頷いた。
「帰ってきたな」
「はい」
たった二言の会話だったが、その間に流れたものを、カケルは言語化できなかった。ただ、長い時間を共有してきた者同士にしか持てない空気だと感じた。
ミーナが正面から駆け込んできた。
「追い払った!!みんな外に出て行った!!……ここどうなってたの?!」
「後で説明する」カケルが言った。
「カケルとリョウがかっこよかった感じ?」
「そんな感じではないけど」
「でもかっこよかったんでしょ!!エレナが!!」
「全員で解決した」
「いぇーーい!!」
長老たちが、ミーナを珍しそうに見ていた。猫族がエルフの森に入ることは、まずない。しかし誰も拒絶しなかった。
長老の一人が「今夜は館に泊まっていきなさい」と言った。
「よろしいのですか」カケルが確認した。
「当然だ。森を守ってくれた者を、一夜の宿も用意せずに帰すような真似はしない」
◇
夕食は質素だったが、丁寧に作られていた。
エルフの森の食事は、木の実や果実、薬草を使ったものが多い。人間の食事と全然違う、と思いながら、カケルはそれなりにおいしいと感じた。ミーナは「ふしぎな味!!でもおいしい!!」と元気に食べた。エレナは久しぶりの故郷の食事を、ゆっくりと味わうように食べていた。
食後、長老たちとカケルは話し合いの場を持った。
「テーン商会が狙っているのは、記録の間の資料だけですか?」カケルが聞いた。
「それだけではないと思っている」筆頭長老が答えた。「記録の資料は、魔術的な技術の塊だ。それを奪えば、テーン商会は現在の魔術技術を大幅に底上げできる。それを使って、さらに強力な封鎖装置を作れる」
「経済封鎖の技術的な後ろ盾にする、ということですか」
「そう見ている。ただ……それ以上のことも」
「それ以上?」
長老は少し間を置いた。
「記録の間には、古い時代に封印された技術がある。今の時代では誰も扱えないと思われていた技術だ。それが目当てだとすれば……」
「非常に危険だ」エレナが静かに言った。
「なんの技術ですか」カケルが聞いた。
「マナ波の一点集中照射」長老が言った。「膨大なマナ石を使い、一か所に向けてすべてのマナを照射する。それが命中した地点では、魔術も、生命の維持も、すべてが狂う」
「それは……」カケルが声をひそめた。「対象の地域を、魔術的に「死地」にする技術ですか」
「そう言っていい。かつてこの世界で一度だけ使われ、その恐ろしさから厳重に封印された。それが今、テーン商会に狙われているとすれば……」
「鉱山で感じたマナ波の放射と繋がる」カケルがつぶやいた。「稼働テストをしている、という話と。つまり、テーン商会はすでにその技術の開発を進めている」
「そういうことになる」
沈黙が広間を満たした。
「記録の間を見せてもらえますか」カケルが言った。「俺が見れば、具体的に何を作ろうとしているかわかるかもしれない。同じ設計思想のものを見たことがある」
「あなたが?」
「俺たちは、機械と魔力を融合させる技術を研究しています。テーン商会の装置がその延長線上にあるとすれば、対抗手段も同じ方向に作れるはずです」
長老は少し考えた後、頷いた。
「見せよう。ただし、写本は禁止だ。頭の中に入れることだけを許可する」
「わかりました」
◇
記録の間は、館の一番奥の部屋だった。
部屋に入った瞬間、空気が変わった。
壁一面に棚が並び、そこに書物、巻物、石板が、整然と収められている。ほこり一つなく、保存状態が完璧だった。長い時間をかけて積み重ねられた知識の結晶が、この部屋を満たしていた。
「すごい……」ミーナが息をのんだ。
「何百年分もの記録です」エレナが静かに言った。「私が生まれる前のものも、ここにはある」
カケルはエレナの案内で、関連する資料を探し始めた。
三十分ほどかけて、目当てのものを見つけた。
古い石板だった。
そこに刻まれていたのは、マナ波の共鳴と増幅に関する技術の記録だった。
カケルはその石板を食い入るように見た。
テーン商会がやろうとしていることの理論的な基礎が、ここに書かれていた。マナ石を大量に集め、特定の周波数で共鳴させ、それを一点に向けて照射する。シンプルだが、エネルギーの密度が通常の魔法とは桁が違う。
そして――その石板の次のページに、別の記録があった。
「これは」カケルが思わず声を出した。
「どうしましたか」エレナが近づいた。
「防護の記録だ。さっきの共鳴増幅照射に対する、打ち消し技術。逆位相のマナ波を当てれば、照射を無効化できる」
「……本当ですか」
「ここに書いてある。ただし、逆位相のマナ波を安定して生成するのは難しい。非常に精密な制御が必要で……」カケルは石板を凝視した。「……これ、機械で制御できる」
「えっ?」
「人間の魔法使いでは、こんな精密な制御は不可能だ。でも電子制御なら、マイクロ秒単位でマナ波の位相を調整できる。里で見つけた制御基板と、エレナの魔力供給を組み合わせれば……」
「対抗装置が作れる?」
「作れる。作れるぞ、エレナ」
カケルの声に、この旅で初めての種類の興奮があった。
エレナはその石板をじっと見た。
「……この記録は、誰も使えないと思われてきました。「逆位相の生成は不可能」という前提があったので」
「「機械がない」という前提があったから不可能だった。機械があれば、話が変わる」
長老が扉の陰から聞いていた。
「……本当に、そんなものが作れるのか」
「作れると思います」カケルははっきり言った。「時間と材料があれば。ただ、この記録の内容を、頭に入れさせてほしい。今夜一晩かけて、細部を確認する」
「許可しよう」
長老は静かに言った。
「この記録を生かせる者が現れるとは、思っていなかった」
エレナがカケルを見た。
「確信はありますか」
「六割は確信。残り四割は試してみないとわからない。でも」カケルはエレナに向かって言った。「七割以上になれば、作る価値はある。そしてエレナが魔力を供給してくれるなら、七割は確実に超える」
「……わかりました」
エレナは静かに、しかしはっきりと言った。
「やりましょう」
その言葉の後ろに、長く生きたエルフの「覚悟」があった。
カケルは頷いた。
一つのピースが、大きく嵌まった瞬間だった。
了




