九拾七話 敗軍の将、兵を語らず
「……三人とも、ありがとう」
野営に戻った俺は、祝杯を掲げた。
この一日で両翼が最後方まで引き下がった。
それに付随するように炎獄軍が入り込んできた。
俺が想定していた形だ。
いつもの光龍国軍総司令リシュアン・レオンハルトはこんな事はしない。する筈がない。
アルターの中の俺が崩れたのも事実だ。
「じゃあ、明日は最終日だ。全員の無事を祈っているよ」
杯を掲げた俺は、早々に天幕に戻った。
♦♦♦
「いくら何でも、全軍を前に出しすぎです!」
四日目。
「黙れ黙れ黙れ! フェルディナンド、軍を前に出せ! 総攻撃だ!」
「無茶です!」
「大将命令だ!」
「従えません! あなた様のその一言で数十万の人間が死ぬことが分かっているのですか!?」
「私の言葉が聞こえなかったのか!? 全軍前進! 総攻撃だ!
五月蠅い五月蠅い五月蠅い五月蠅い!
クソ爺が私には向かうな!
「死にたくなければ自分の持ち場につけ! フェルディナンド!」
「ならばここで果てて見せます! 最期まで相容れなかった事は残念ですが、それで姫様の暴走が止まるのであれば、何の躊躇もなく腹を切ります!」
「介錯は私がやってや――――」
「――――馬鹿か!」
私が剣を構え、フェルディナンドの介錯の準備をしていると怒号が飛んできた。
「エルマーシャ将軍!?」
エルマーシャ・リンド=フォールン。堅守の総括者の異名を冠する炎獄五将の今の実質的なリーダー。
翠獄戦役での敗戦の責を問われ、一時は王に遠ざけられたが、今年に入って復帰した。
同じく守備を得意とするゴルドンとは犬猿の仲であることでも知られている。
「姫! 何をされているのですか!?」
「見て分からないか!? 介錯だ!」
「フェルディナンドもだ! 何故この状況で自害ということになる!?」
「それが――――」
「……アルター、私に指揮権を譲りなさい」
爺の話を聞き終わったエルマーシャは、大きなため息を一つ吐いた後に私に言った。
「お断り」
「……はっきり言いますが、姫君にはこの敗局の局面を立て直せるとは私は思いません」
「敗局? は? どこが? 両翼が押し込み、この上なき上々な戦局じゃないか?」
「そういう所です。『自分はいつも正しい』、『間違うことはない』。それに……『彼のことは私が誰よりも理解している存在だ』。そういう驕り高ぶった言動がが、敗局を招き、フェルディナンドが姫君をお諫めるために自害しようとしたんです」
「な、なにを馬鹿なこと言っている……? 見てみろ。敵軍はもはや風前の灯じゃないか」
「……リシュアン軍は……リシュアン軍・本軍は今、補足できていますか?」
「出来ている。兵数もしっかりと中央軍三万を補足できている」
いや、待てよ。
両翼の八万ずつを足しても、今のリシュアン軍二十三万には及ばない。
どこに兵を隠している……?
「どうですか? 言っている意味が分かりましたか? リシュアンは敢えて、敗北を演じ、両翼を下げ、こちらを敵軍の深いところまで誘い込んだ。増援がない中――――」
「――――五月蠅い! 諫言しに来たのなら帰ってもらう!」
介錯のために鞘から抜いていた剣を次はエルマーシャに向けた。
「……姫君は、この戦いの刃の落としどころを何処と捉えていますか?」
「無論、勝利。リシュアンの首とは言わずとも、この戦いに勝つことが合従軍に対する貢献と考えているがこれ如何に?」
「ならば、先ずは、両翼を引き戻してください」
「この好機を……逃すと言うのか……?」
「そうです。好機を掴み取るのも上策。しかし、将が死なないことが何よりの上策で――――」
エルマーシャが言い切ろうとしたその時、遠くで歓声が上がった。
それに続けて伝令が入ってくる。
「リシュアン軍本軍、四万が出現! 第一陣が接触しました!」
伝令の言葉は私の思い描いている最悪の展開を具現化した。
今、両翼の攻撃のために兵を送り込んでいる私たちは、この本陣に二万程度の兵を残している。が、それが限界。増援は期待できない。
それに、リシュアンは練度の高いバルバトス軍を率いていると聞く。対して私たちは一般軍。練度や兵質の差も歴然だ。
そうか……。私は負けるのか……。
「リシュアン相手には絶対にに勝てる」と息巻いて出陣したにも関わらず、敗戦とは……。
何処が、何処が間違っていた……。
リシュアンを完全に理解した”気になっていた”。
そんな言い訳、誰も聞いてくれない。
敗軍の将、兵を語らず。
これでもう、私は王族という地位しか残らない。
軍総司令は剥奪され、幾ら王女と言えど、更迭は免れないだろう。
このような重要な時期に、軍総司令が不在とは、父上に迷惑をかける。
「エルマーシャ、ここまでの意見、感謝する。そして、フェルディナンド、私の最期を父に伝えてくれ。これが私から下す、最後の命令となるだろう」
馬首を動かす。
「炎獄の漢どもに告ぐ! 光龍の凶将リシュアン・レオンハルトが現れた。これは好機と心得るんだ! 奴を殺せば、一生遊んで暮らせる金が手に入る。光龍国民を除いた全ての民から英雄として敬われる! その栄華を世に轟かせ! 集え! 討つべき敵はただ一人! リシュアン・レオンハルトだ! 殺せ! 殺せ! 頸を取れ!」




