八拾陸話 藤花
「……そうか」
小さく答えた。
耳打ちしに来た右宰相も藤花に聞かれないように小声で話してくれた。
「どうか……されましたか?」
「……葉桜が西部の大都市・柳京を落城させた。葉桜はこれで初めて光龍の城を陥落せしめた」
何も伝えないか迷った俺も、はっきりと、何も包み隠さず伝えた。
「これで葉桜の敵対は確実となった。……妹を……見捨てるのか……」
王都の夜を照らしていた月明かりが雲で遮られた。
「藤花。しばらくの間……」
「失礼します。王、左宰相様がお呼びです」
「分かった。直ぐ行くと左宰相に伝えて置け」
伝えに来た文官が戸を閉めたのを確認し、俺は藤花の方へ向き直った。
「暫く屋敷から出るな」
「なっ、何故ですか?」
「人の心理として裏切られれば怒りが沸々と煮えたぎるのは自然の摂理だ。そして、その極限まで煮えたぎった怒りの矛先が向けられる先が近くに居ればいる程、その人に怒りの矛先が向きやすくなる」
「まさか、その矛先を向けられる人間が私とでも?」
「正解だ。俺は君を守りたい。降り注ぐ怒りの火の粉を払いたい。だが、俺は王としての立場上、一人の人間を擁護するのは難しい。だから、物理的に火の粉を払える屋敷に匿っておいた方が安全と考える」
「お断りします」
「王命だ」
「反逆罪になろうと、私は、私は……兄との約束を守りたい!」
語尾が強くなり、彼女にしては珍しく怒号を上げた。
大声で言うから姉ではなく、『兄』と表現した部分からやはり彼女の聡明さが伝わってくる。
「姉と……桜羅・光麟と約束したんです……。リシュアン・レオンハルトとアレン・リシュホードを必ず守ると……。リシュアン様は戦場に出向かれ、守ることが出来ない。ならば! アレン様に添い遂げ、兄との約束を果たしたい!」
「気概は認めるが、俺も王ではなく、一人の夫として考えているんだ。分かってくれ」
そう、淡泊に打ち切り部屋を出た。
「衛兵長。藤花を頼む」
小さく黒鎧を纏った男に告げ、その場を離れた。
後方から俺を呼ぶ声も聞こえたが、聞こえないフリをした。
それが、彼女のためになるならば。
「俺が出来ることはここまでだ。リシュアン、戦場は頼んだぞ」
♦♦♦
北面側に構えた俺は、迫る敵を続々と倒し、バリスタでの爆破をもとに善戦していた。
それも、北面側からファナスが攻撃し、撹乱しているからというのが大きいだろう。
「次、左向きに一斉斉射。ファナスに気付かせる」
氷晶の遠射弓隊の勢いが弱まっている今こそ、攻撃の時。
「バリスタも遠射弓隊も関係なく打ち込めるだけ打ち込め! 攻めどきでぇ!」
上からポルタの命令も聞こえる。
気付いているのか。
「総司令」
呼ばれ、聞かされたことは予想だにもしない様な事だった。
「王都に火の手が上がった!?」
「ええ。王都に残る右宰相様が……。どうやら、葉桜を憎む強行派が藤花様の別邸を襲撃されたと。藤花様は無事ですが、治安軍の損耗が激しいと」
「鎮圧はされたのか?」
「それは、未だ分からず……。ですが……!」
俺は最後まで聞かず、望楼に駆け上がった。
異国の品である望遠鏡を手に取り、覗き込む。
この場所からならば、微かだが王都を望める。
火が上がっているかどうかはリアルタイムで目視するに限る。
「治まってはいる……ようだが、周囲の軍が俺の命令外の動きをしている。異常事態は避けられなかったか……。アレン、王都はお前に任せるぞ」
♦♦♦
「藤花様より書状が届きました」
「ふむ。見せてみろ」
数分後、読み終えた憎たらしい相国はその伝文を破り捨て、火にかけた。
「今更、光龍との戦を解けとは我々を馬鹿にしているのか? 今、光龍より手を退けば、光龍に向かっている二百万は間違いなく我々に向かってくるのだぞ! 祖国よりも夫の国の方が大事だとでもいうのか!?」
相国の怒りはご尤もだが、それを口に出すかどうかは全く違う。
葉桜という国は祖霊や祖国を重んじ、国を尊ぶのが良いことだと古来より伝わっている。
その感情のまま表現すれば先程の葵夜の様な感じにはなるだろうが、もう少しオブラートに包みこむことも学ぶべきだと思うがな。
「ん、どうされた? 軍総司令殿。苦悶の表情を浮かべられて。もしや、自分の発言が何か不服だったかな?」
「愛国心を持ち、祖国を重んずることは確かに大事だろうな。それに国益を第一とする姿は相国としてとても立派だ」
褒められたのが余程嬉しいのか、葵夜の口角が吊り上がり、下品なにやけ顔が浮かんだ。
「だが、もう少し言動に気を付けるようなことは出来ないのか? もしこの中に藤花様の密偵が居て、それが藤花様に報告すれば、間違いなく貴様は消されるぞ」
「そうか。気を付けるとしよう。だが……」
拳が俺の眼前まで迫った。
手を間に居れ、制止する。
「貴様も私への言葉遣いを改めるべきだと思うがな」
押さえつけている右の拳とは反対の左の拳が勢い良く突き出される。
一線を退いたとはいえ、俺も元武官だ。
これくらいは抑えられる。
だが、立った状態の葵夜と座った状態の俺とでは、相当分が悪い。
そう考えた一瞬後、ドアが勢い良く開き、王都守備兵が走り込んで来た。
それも考えられないような姿で。
血塗れでボロボロ。その黄金の鎧は赤黒い血に塗れ、見るに耐えず、走り込んできた瞬き後には倒れ伏した。
その倒れた王都守備兵の頭蓋をブロードソードが突き通した。
「断罪の時間だ」




