壱百参話 人質交換
アリシア・ヴァルティアはリシュアン軍の直属の配下に自らの直属の配下を忍ばせている。
現に、この南部の地に同行しているリシュアン軍の関係者にも、アリシア配下の人物が数人混ざりこんでいる。
勿論、リシュアン・レオンハルトはそのような事、知る由も無いのだが。
アリシアがリシュアン軍の下に自分の配下――――諜報員を混ぜている理由は、言うまでもなく、リシュアンの監視が目的だからだ。
♦♦♦
「リューモーン、頼まれてくれるか?」
「……勿論です。リシュアン様の命とあらば」
俺の名前をリューモーン・ヴァルティア。アリシアは俺の従姉であり〈月華〉の主。
そう、俺も紛れもない〈月華〉からの諜報員だ。
「そうか、頼んだぞ」
交渉術ならアリシアから叩き込まれた。
だから、何も焦ることは無い。奴の言をそのまま信じればいいだけだ。
だから……だから、重圧に潰される必要もない。
「……リシュアン軍、第七旅団旅団長リューモーン・ヴァルティア」
「シュテッヒェン軍、第三十八師団師団長アレクサード・レビロ」
「今回の会談を受けて頂き感謝する。レビロ殿」
「いやいや、この会談が有益な会談になる事を望んでいるよ。リューモーン君」
相手の男はニヤついたその表情を崩さず、俺を見据えている。
「こちらはこの交渉でオキデレーラ将軍の返還を求めているが……どうだろうか?」
「こちらは、そちらにオキデレーラ殿を返し、停戦を望んでいます」
初めてアレクサードの表情筋が動いた。
「停戦……だと? 本気で貴殿は言っているのか?」
「光龍国は本気ですよ。そちらも本気の交渉をされに来たんですよね?」
「勿論だ……だが、オキデレーラ将軍はまだ生きておられるのか?」
「死人を返す気は有りませんよ」
彼が疑い深く俺の目を覗き込んできたが、俺が嘘を吐いていないことを確認したのか、素直に席に着いた。
「停戦、か……。具体的な期限は?」
「四か月、と大将は申されておりました」
「四か月、この合従から翆玲が抜けろ、と言うのか?」
「その通り。十月まで不戦を貫いて頂きます」
今が六月の終盤と考えれば十一月まで長引く可能性もある。
それ程の長期の停戦ともなれば、光龍に向いていた合従の刃が翆玲に向いてもおかしくはない。
なんなら、当然の結末という所だろうか。
「ほう……。何故、四か月だ?」
「大将曰く、その期間で葉桜方面を平定し、今最大の敵である北部のアルトゥスと決着をつけるからと」
アルトゥスが最大の障壁であることは相手も重々承知の上。
こちらの余計な情報を漏らさずに打てた最良手ともいえるだろう。
「リシュアン殿には、アルトゥス軍を二か月足らずで仕留める自信があるのか?」
「恐らくは。兎も角、これで盤上に選択肢は出揃いました」
一つ、オキデレーラを返還し、リスクを背負い四か月間の停戦を結ぶ。
二つ、オキデレーラを見放す代わりに、ノーリスクでリシュアン軍をこの戦場に磔にする。
「我々はこの二者択一の事態に迫られています。そして、これを決定する権利はそちら側に在りますよ。レビロ殿」
「ふむ……。一人の人間の命に国の命運を賭けるつもりは毛頭ない。オキデレーラ将軍を殺せ」
予想だにしない回答が返ってきた。
俺の予想では前者を選ぶと踏んでいたのだが……。
「だが、ここで皇帝の義理の娘を見殺しにする訳にもいかない……。難しい判断だな」
ここでオキデレーラを見放せば帰ってからの打首獄門は避けられず、晒し首は必至。
しかし、オキデレーラを救出する選択をすれば合従の魔の手が自らに迫る可能性も十分にある。
十分すぎる程に天秤が釣り合っている。
「数百年続いた翆玲帝国の命運も、あんたの命も、この瞬間の判断に掛かっている」
「……選ぼう。俺の命を。オキデレーラを返せ。明朝、両軍の間で執り行おう」
「感謝する。レビロ師団長……」
「リューモーンが停戦にこぎ着けて来ました……。これにて、翆玲方面は一段落と相成りました」
「よくやった。俺は人質交換を見届けて明朝、葉桜方面へ向かう。南部はラメセスに任す」
「承知」
これで、難敵と思われた巨大国二つの戦線を安定させた。
後残るは、かつての盟友葉桜と大陸最強の将が座す氷晶だ。




