壱百弐話 赫赫と
右肩口から左脇にかけて、残酷にも彼女の刃が俺を切り裂いた。
深いわけでもないが、決して浅くも無い傷。
出血で視界が眩む間でも時間の問題だろう。
だが、俺は踏み止まった。倒れなかった。
「何故、この傷を受けて尚、倒れない……」
オキデレーラも感嘆の声を漏らした。
「当然だ。俺は、この国を守ると誓った漢なのだから。……ここで貴様に敗れるわけにはいかない……。人として、背負っているものが根底から違い過ぎる……」
視界が眩む。
だが、ここで倒れれば彼女から嘲笑されるのは明白……。保て……保て……。
「称賛しよう。戦士、レオンハルトよ。そして、幕だ」
俺に向かって全力の突きが放たれた。
ああ、クソッ……。何故こういう時に限って体が固まる……ッ。死後硬直にはまだ早すぎるだろうが……。
死を覚悟して瞼を閉じたその時、オキデレーラの突きが逸れた。
動かそうと努力していた腕が――――無意識の内に体が動いていた。
右手の刃が咄嗟に動き、オキデレーラの剣を逸らしたのだ。
だが、逸れた先には俺の左腕。鎧と刃が擦れてけたたましく甲高い笑い声に代わる。
悪魔の笑い声は止み、次に響いたのは鈍痛ともとれる痛み。
鋭い刃が俺の左腕を突き刺した。
今、彼女は彼女の左腕で俺の左腕を穿っている。
ならば、俺と彼女の間を彼女の剣が遮断している形になる。
狙い所……と言いたいが、あまりにも疲労と出血が激しい。
殺すことは出来ずとも、生け捕りなら……!
今殺すことは出来ずとも、後々殺すことが出来る……。
動け、左腕!
左腕が彼女の頸を締めあげた。
左腕に全ての力を掛ける。
彼女の刃が一瞬緩んだ。その隙に引き抜き、右腕を駆使し気絶させると、日没が近いことを確認して馬を走らせた。
すべては一瞬の出来事だった。
翆玲兵は一歩も動くことが出来なかった。
自軍の対象が連れ去られて、やっと自分たちの危うさに気付いた。
だが、時既に遅し。
翆玲兵が正気を取り戻した頃にはオキデレーラは光龍軍の本陣奥深くへ連れ去られていたのだから。
「くッ、殺せ!」
即席で作った木製の折に閉じ込め、俺は彼女と対峙していた。
剣も防具も剥ぎ取られ、服だけ着た”猩々緋の剣姫”の面影は何所にもないようなオキデレーラはそう叫んでいた。
「殺すかどうかは俺が決める。良い感じの情報が絞れそうなら情報局に回して拷問漬けの毎日だし、意味が無いと思ったらアイアンメイデンのご飯になってもらう。それか――――」
「それか?」
「君を生かして翆玲に引き渡して利が有るなら、君を生かして翆玲に戻す選択肢もある」
一瞬、オキデレーラの目が輝いたように見えたが、直ぐに漆黒の希望を亡くしたかのような虚ろな目に戻った。
今の自分に翆玲を大きく動かす権限が無いことに気付いたんだろう。
第一将、第二将、第三将が集うこの戦場で第三将の発言権はとてつもなく弱い。
「一応、希望だけ聞いておくよ。どうなりたい?」
「生きたい……生き延びたい……! 私が一人の人間である限り、生きたいという意思は――――信念は揺らがない!」
……凄い決意だ。
生きたい、死にたくない。
そんな感情は誰にだってある。
感情が希薄になった人物でも、それくらいはある。
そんな至極単純な感情を泣き叫びながら訴えかける彼女が、俺には少し、眩しすぎた。美しすぎた。
あの光は、俺は決して持ち合わせない赫赫と燃え盛る、紅蓮の業火。
昔の俺は持っていたのかも知れないが、今の俺には、もう……。
「リシュアン様! 西部ガゼフ将軍より、火急の書が!」
「何!?」
天幕に戻った俺に待っていたのは西部からの、絶望的な知らせだった。
『朱恩・真白、出陣。其の数、四十万』
無駄な言葉は必要ない。朱恩が四十万を率いて出陣した、という事だ。
これまで比較的攻撃の浅かった西部は、各所に増援を送る役割を成しており、その兵数は今十万に満たないだろう。
「早々に、南部での戦いに決着をつける必要がある……。さて、どうするか……」
「恐れながら、進言をお許し下され」
クフが口を開いた。昼間無視したから少し罪悪感があるが、彼は気にして居なさそうだし気にしないことにする。
「ここは、かの女を使うべきかと」
「オキデレーラか……」
「はい。『彼女を人質に彼女を翆玲に帰す代わりに、停戦せよ』のように交渉を持ちかけるのです」
「そうだな……そうしよう。翆玲に伝者を出せ!」




