第五話 森の導き
柔らかな風が、莉愛の白銀色の髪をさらりと揺らす。
眩しさに閉じていた目を開けると、そこには見たこともない景色が広がっていた。
足元には、一面に咲き誇る白い花。
風が吹くたび、花の波がどこまでも続いている。
「え......?」
何度も周りを見渡すものの、どんなに振り返ってみても、白い花が揺れていた。
莉愛は、ただ立ち尽くしていた。
どれだけ時間が経ったのか。
見渡しても変わらぬ景色に、莉愛は自分が違う場所にいることを実感し始めていた。
溢れてくる涙を拭うこともできず、呆然と座り込む。
......人って、理解を超えると何も考えられなくなるのね。
涙を拭うことなく、ただそんなことを考えていた。
どのくらい座っていたのか、ふとお腹が大きな音をたてて鳴った。
ーー!!
思わず肩が震える。
「......っ。っふっふふっ......あははっっ!」
自分のお腹から響いた思わぬ音に、この時ばかりは堪えきれず、お腹を抱えて笑いこんだ。
その時だったーー
胸元で、しゃらりと小さな音が鳴った。
何気なく視線を落とした先にあったのは、老人からもらった百合のネックレス。
指先で触れると、確かな温もりが返ってくる。
ーー夢じゃない。
これは昨日、お爺ちゃんから貰った。
私は、ここにいる。
生きてる。
どこかで誰かに掛けられた言葉がふと蘇ってきた。
ーー「......あなたは強いわ。顔を見せて。さぁ、立ち上がって。」
風が甘い香りを乗せて、莉愛の頬を撫でる。
視線を上げると、一面の白い花畑の奥に森の緑が風に揺れていた。
花畑には蝶が舞い、森では鳥が囀っている。
そしてどこからか、川のせせらぎも聞こえてきた。
ふと、昨夜交わした老人との会話を思い出す。
ーー「別荘の近くには川が流れていてな。いつもそれを目印に行くんじゃよ。川の近くは生活がしやすいからのぉ。」
その言葉だけが妙にはっきりと思い出された。
老人の言葉に促されるかのように、莉愛は川の音色を求めて歩き出した。
白い花が少しずつ途切れ、足元の土が柔らかな森の道へと変わっていく。
森の入り口に立ったとき、奥は深い陰に覆われて見えた。
足を踏み入れることさえ躊躇うほどの静けさに、胸の奥が小さく震える。
それでも、ネックレスを握りしめ、意を決して足を進めた。
森の中へ進むと、意外なほど外から見る印象と異なっていた。
まるで外の敵から森を守るため、武装しているかのように。
木々の隙間から柔らかな陽が降り注ぎ、見上げれば、重なり合う葉の間から零れた光が星のように輝いている。
そこには、時の流れさえも緩やかになったような、どこか穏やかで優しい静けさが広がっていた。
......ここはどこなんだろう。
少なくとも、私は生きている。
ネックレスを握る手に、自分の鼓動を感じながら歩を進める。
「......さっきまで庭にいたもの。映画みたいだった。魔法みたいに一瞬でーー」
ーー魔法?
「だめね。またパニックになりそう。ひとまず落ち着ける場所を探してからまた考えーー」
「ーーあっ!!!」
誰かに導かれるかのように、森の開けた道を歩いていると、川の音色が近くに聞こえてきた。
「ーー痛っ!」
川の音色に気をとられ、駆け出そうとした瞬間、近くの枝に髪が引っ掛かってしまった。
髪を解き、視線を上げると、そこには鮮やかな橙色の綺麗な果実が沢山実っていた。
「果物、かしら......?綺麗で美味しそう。」
「すみません、一つだけ分けて下さい。」
きちんと実の主へ詫びを入れてから、莉愛は一つだけもぎ取り、頬張った。
「いただきます。」
「ーー!!!なんて美味しいの!」
口の中いっぱいに、微かな酸味と爽やかな甘さが広がった。
その実はどこかトマトに似た味だった。
実の主にお礼をし、莉愛は川の音色が聞こえる方へ歩き出した。
色とりどりの花々に蝶や虫が舞い、苔生した木々を優しく蔦が抱え込んでいる。
茂った草を掻き分けた先に、陽を浴びた水面を揺らしながら、川が緩やかに流れていた。
「......綺麗。」
川に近づき、そっと水を掬い上げる。
たまらず一口飲んでみると、
「美味しい!」
訳も分からない状況の中、一人涙を流し、歩き続けたその身体を、
森の恵みが優しく満たしていった。
ひとしきり喉を潤した後、澄んだ水には泣き疲れた顔がはっきりと映し出されていた。
「私ってば。ひどい顔......。」
冷たい水で顔を洗うと、どこか頭も冴え渡り、すっきりした気持ちで、莉愛は川に沿って歩き出した。
川沿いの土が砂利道に変わる。
川から少し離れた森の中に、一軒の屋根が見えてきた。
「ーーあっ、家! 誰かいるといいのだけれど......。」
家の方角へ進んでいくと、そこには、
一軒の木造の家が建っていた。
年月を思わせる木の木目に、家を守るように這う蔦。
森の奥の人気のない場所で、森の主が暮らしていても不思議ではない、そんな佇まいだった。
......少しの間だけでもお邪魔させてもらえたら......
震える手を握りしめ、莉愛は玄関扉を叩いた。
「............」
反応のない扉に、心が焦り出す。
俯きそうになる気持ちを堪え、握りしめるネックレスの感覚を確かめながら、
もう一度扉に触れようとした、その時だったーー
胸元のネックレスが淡く輝き、
呼応するかのように、古びた扉に白い光が走った。
まるで長い眠りから目を覚ましたかのように、ゆっくりと扉が開いていく。
「ーーえ!?」
使い込まれたその家は、誰かの帰りを待っているかのような生活の跡が残っていた。
どこか懐かしい雰囲気を感じながら、莉愛は恐る恐る一歩を踏み出した。
この時、少女はまだ知らない。
扉が開いた理由も。
森が彼女を導いた理由も。
そしてーー
この場所が、ずっと自分を待ち続けていた場所だということを。
第五話を読んでいただき、ありがとうございました。
森の導きの先にあった一軒の家。
そこで莉愛を待っていたものとはーー。
また次のお話でもお会いできたら嬉しいです。




