第三話 贈り物
誰かを守るということは、必ずしも傍にいることだけではないのかもしれません。
大切な人を守るために、誰にも見えないところで準備をしている人もいるのかも。
玄関のドアが閉まり、莉愛の自転車が遠ざかっていく音がする。
時計の音が静かにリビングに時を告げた。
老人は、壁に掛かる一つの絵を見つめ、一人語りかけていた。
「......ワシも、覚悟を決めにゃならんのぉ。子供の成長はあっという間じゃ......。」
あの子の誕生日まであと四日......。
そろそろあれを取りに行かなくては......。
静まりかえった家の中、庭に面した窓に目を向けると百合の蕾がたくさんの陽を浴びていた。
可能性を秘めた幼子のような百合の花壇は、時に老人の目を眩しくさせる。
覚悟を決めた足取りで、老人は玄関に向かって歩き出した。
その頃、小さなアパートの一室で、晴人は朝の支度をしていた。
今日の体育はバスケだったな。チーム分けなんとかしないと......。
玄関で靴を履き、重い鞄を肩にかける。
不意に玄関のドアが開き、一人の老人が入ってきた。
「おぉ!晴人、間に合ったわい!」
「――っっ!なんだよ爺ちゃん!!驚かせるなよ!!」
「てか!勝手に鍵開けるなっていつも言ってるだろ!」
「すまんすまん。ちょっと野暮用でお前さんの力を借りたくてのぉ。ほれ、今のワシじゃと一人で行けぬからの。」
「......あれ、取りに行くのか?」
「そうじゃ。......盛大に祝ってやらねばな。」
「......爺ちゃん、なんとかならないのか?莉愛は今行ったところで――」
「晴人。それはできぬ。約束だからの。」
わずかな沈黙が玄関に流れた。
「......。夕飯は、莉愛のところへ行けばいいんだろ?」
「あぁ。そうしてくれると莉愛も喜ぶ。」
「......いつものあそこでいいのか、爺ちゃん?」
「あぁ。頼む。」
五年前。
雨に濡れた十歳の少女は、自分の名前すら思い出せなかった。
「......大丈夫じゃよ。」
不安そうにワシの袖をつかんだ、あの小さな手。
初めて一緒に料理をした日。
初めて「そうしじーちゃん」と照れくさそうに呼んでくれた日。
初めて百合の蕾をみて、目を輝かせていた日。
「来年はもっといっぱい咲くかな?」
あの子は毎年、百合の蕾を指折り数えておった。
......今年も、ちゃんと咲くぞ。
うっすらと木漏れ陽が差し込む、人気の無い森の奥に、一軒の木造の家がひっそりと佇んでいた。
老人は、慣れた手つきで扉を開けると、ゆっくりと足を踏み入れる。
人の気配がないその家は、不思議と静かな温もりを残していた。
「......久しぶりじゃの。」
閉め切られていた室内の空気が、鼻をくすぐる。
窓を開けると、森を吹き抜ける爽やかな風が部屋いっぱいに流れ込み、白いカーテンを揺らした。
棚やテーブルに薄く積もった埃を拭い、暖炉の灰を片付ける。
持ってきた保存食を戸棚に並べ、薪を暖炉のそばへ積み上げる。
「これだけあれば、しばらくは困らんじゃろ。」
寝室へ向かうと、ベッドを静かに整える。
細工箱から銀細工のネックレスを懐へしまい、老人はしばらく森を眺めていた。
ふわりとカーテンが揺れ、爽やかな森の風と共に、どこからともなく花の香りが運ばれてくる。
「......頼んだぞ。」
老人は小さくそう呟くと、静かに家を後にした。
まるで大切な誰かをこの家に預けるかのように。
空が橙色に染まる頃。
学校からの帰り道、公園のベンチに座る年配男性の姿を横目に、莉愛は自転車を漕いでいた。
「お爺ちゃん帰ってないかなぁ......。」
自転車を漕ぐ脚に力が入る。
自宅前に着くと、窓からリビングの灯りが漏れていた。
庭では、老人が花壇を眺めている。
「あっ!そうしじーちゃんっ!!帰ってきてたの!?」
「ふぉっふぉっふぉっ。おかえり。莉愛。久しぶりにその呼び方を聞いたのぉ。」
「――あ。だって、名前で呼ぶの、恥ずかしいんだもの......。」
「ふっ。莉愛はほんと、可愛いのぉ。」
照れを誤魔化すように花壇に目を向けると、
一面の薄桃色の中に、一輪だけ白い蕾があることに気がついた。
「ねぇ、お爺ちゃん。白い百合なんて、今まで咲いたことあったっけ?」
「......ほんとじゃのぉ。明日は莉愛の十六歳の誕生日じゃから百合達からの贈り物かものぉ。」
「ふふっ。綺麗な花が見られるの楽しみにしてるね。」
百合に向かって話しかける莉愛の言葉に反応したかのように、百合の葉が風に優しく揺れていた。
「お爺ちゃん!久しぶりに二人でご飯作ろっ!」
花が咲いたような笑顔で莉愛が老人に微笑みかけた。
久しぶりに二人で料理をした結果、食卓にはどこかの運動部の合宿か!?という量の料理が並べられていた。
「......お爺ちゃん。これ、二人で食べ切れるの......?」
「ちと作りすぎたかのぉ......。」
「さすがのお爺ちゃんでも、この量、食べられないでしょ......。誕生日は明日だよ!?」
「......晴人もいるから、大丈夫じゃっ!」
食卓いっぱいに並んだ料理を前に、晴人は自身の思考を停止していた。
「......莉愛の誕生日......明日、だよな?今日じゃないよな?」
「お願い晴人!」
「手伝って!」
「手伝ってくれ!」
ため息と共に、晴人は老人の思惑を感じ取り、静かに目線を合わせた。
......そりゃ、そうなるか......。
久しぶりの賑やかな食卓を、ダイニングの明かりが暖かく照らす。
「そういえばお爺ちゃん、今回はどこに行ってたの?」
「あぁ。今回はワシの別荘にちと荷物を取りにのぉ。」
「お爺ちゃん、別荘なんて持ってたの!!?」
「別荘なんてオシャレなモンじゃないぞ。」
「え!???晴人も行ったことあるの!!?」
「......ん。あぁ。昔な......。」
「いいなぁ~!お爺ちゃん、いつか私も連れて行って!」
「......そうじゃな......。今度、莉愛も行けるじゃろう。」
「やった!ありがとう!お爺ちゃん!」
十歳からの記憶しかない莉愛にとって、まだ見ぬ場所はどこも夢のように輝いていた。
そんな莉愛をつれて、老人は年に数回、旅に連れて行った。
森の中でキャンプをし、川で魚釣りをしたり、火を起こして料理をしたり。
時には猟師の友人に狩猟の様子を見学させてもらうこともあった。
......もう少し、いろんな所に連れて行きたかったのぉ......。
まだ見ぬ老人の秘密の場所に思いを馳せながら、莉愛は老人の持ち帰った果物を、晴人と二人で頬張っていた。
「そうじゃ莉愛。一日早いが、誕生日プレゼントじゃ。」
「え!?ありがとうお爺ちゃん!!」
老人から手渡された小さな木箱を開けると、
百合を想わせる小さな銀細工のネックレスが納められていた。
「......とっても綺麗。」
月光のように淡く輝く一粒の白い石を花の中心に、六枚の葉が繊細な形で包み込んでいる。
よく見ると一枚の葉が逆向きになり、そこにはサインのような文字が刻まれていた。
そして裏側には、どこかで見たような緻密な文字と、円が刻まれていた。
......すごく綺麗......。でもとっても高価なものなんじゃ......。
「お爺ちゃん、こんな高そうなもの、もらっていいの......?」
「お守りじゃよ。どんなことがあっても肌身離さず、身につけておくんじゃぞ。」
「それと、誰にも見せてはいかん。」
「え?どうして?」
「......綺麗な物は、人の目をひくからのぉ。」
老人は銀細工のネックレスを、そっと莉愛の首へ掛けた。
白い石が胸元で淡く揺れる。
――――!
老人は静かに息をのんだ。
何年も前から、幾度も手を入れてきたそのプレゼントは、初めて主の元へ渡された。
思い描いていた以上に、その姿は莉愛によく馴染んでいた。
「......綺麗じゃ。」
「ありがとうお爺ちゃん!!大切にするね!......ふふっ綺麗。」
「ワシは、莉愛がどんな場所にいても、必ず見守っておるからの。」
「......ようやくじゃ。」
首元に掛かるネックレスを大事そうに眺めながら微笑む莉愛を見つめ、
一人小さく呟いた老人のその言葉を、晴人は複雑な表情で聞いていた。
夜、莉愛は老人から贈られたネックレスを眺めながらベットに横たわっていた。
本当に綺麗なネックレス......この宝石、なんていう名前なんだろう。とっても不思議な色......。
「......ふぁぁ。十六歳はいいことあるといいな......。」
明日からの希望を見つけるかのように、莉愛は眠りについた。
家々の灯りが徐々に減っていく中、夜風に揺れた百合の蕾が、静かに朝を待っていた。
「......あとは、あの子を信じるだけじゃ。」
老人は静かに目を閉じると、再び花壇へと視線を戻した。
第三話を読んでいただき、ありがとうございました。
次回は莉愛、十六歳の誕生日。
百合が花開くその日、彼女の運命もまた、動き始めます。
また次のお話でも、お会いできたら嬉しいです。
今後は週一回を目安に投稿していく予定です。




